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自由な心で生きていますか?

新聞のコラムでデンマークで福祉専門家として仕事して来られた方の記事を読みました。普段思っていることでもあるけど、海外に実際に長く居る、専門家としてお仕事をされている方の言葉は説得力がある。

日本は「自分の意志で生きる」「自分で考える」事をしない・出来ない社会だという。デンマークは自分の意志でチャレンジし失敗してしまった時の安全網が張り巡らされ、いざという時、社会が守ってくれる。

一方、日本は失敗したら自己責任。北欧は人々が「自由に生きる」権利が人権として保障されている社会だ。一方で日本は決められたレールの上を行く事が良しとされ、「人がやっている事をすればいい」と教えられ親にも育てられる。無言の圧力もある。

そう、十代でそれに気付いて日本脱出をしたいと思った私からすると、最も深刻なのはこの事態に気付いてさえいない人々も多いという事。これはとても怖い事で。まず気付かなければ変化は起きない。でも自覚が無い人が大多数という状況は、数十年前から変わっていない。

スピリチュアルな成長、意識変容に限界が来るのもこの問題が根にある。大事に大事に育てられ「その代わり言う通りにしなさい・生きなさい」と言われているような状況にある日本の人々。自分たちに(北欧で人権として扱われているようなレベルの)「自由に生きる権利」が与えられていない、という事にさえ気づいていない人も多いのかも。

コラムの著者の方は「人々が自分で考えられるようになれば日本はもっと良い国になる」という言葉で結んでいるけど・・本当にその通り。

けれどきっとこういう情報が耳に入ると、大抵の人は「ちゃんと自分で考えているけれども?」って、思ってしまうのではないかと。だから怖いというか、深刻なのだ・・と感じる。

だいぶ昔の記憶で、どなたの言葉だったか覚えていないけれど、成功されている文化人の男性だったと思う。「志や理想を持つ者にとって、日本はとてもチャンスが多い国」と。・・当時は若かったから「そうかな?」と思ったけど、今子育ても終えた世代になるとその言葉の意味もよく実感できる。日本という国の特異性、そしてありがたさも。

神智学の視点で言えば、各国や各民族にはそれぞれの「使命」があるという。何に対しての?と言えば、「地球全体の進化という神がかった方向性において」ということ。今とこれからのような大きな時代の変換点には、それぞれの「使命」が発揮されるのではないかとも思う。

同時に、各国や各民族(そして個人個人)も、「使命」を果たしてよりよい時代を迎える為には、欠点を修正したり乗り越えたりする必要もあるのだろうと。だから今、「自由に生きていないかも?」「自由の権利を与えられていないかも?」「自分の意思で考えて生きていないかも?」と、

まずは気づくことが大事なのだろうな・・と。心からそう思う。

(2022 March Twitter に加筆)