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足りない何かと、うるおいの雨

社会のデジタル化が益々進行するなか、便利なものはこれからどんどんサイバーの世界に構築され、その便利さを喜んで享受するようになるにつれ、複雑な世界のありようはデジタルの世界にブラックボックス化さた形でいつの間にか代替されるようになり、誰もその全体像を把握することができないまま、世界が再構築されていくのではないか。

といったような話を、大阪万博のアーキテクトでもある東京大学生産技術研究所、建築士の豊田啓介さんの登壇するウェビナーを聴きながら感じた。どこまでが豊田さんの意見だったのかが判然としなくなる程度には、そのお話に没入しながら聞いていた。電車は時折トンネルの中に入り、その度に電波が途切れ、再起動と再ログインを繰り返した。それまでに誰かが書いていたチャットのコメントは消失し、何かはっとさせられるような言葉の中身は「はっとした」という印象だけが残る。

かつて、インターネットの黎明期には、インターネット上のデータの所在はある程度把握できるくらいに一枚の絵に表現されていたというが、その翌年には既に全体像の広がりは把握できない程度に爆発し、いまやその時に比べてどうしようもないほどに広がっている。それまでクリエイターと呼ばれていた人とそうでない人との境界線は限りなく薄れてきている。

かつてあんなに熱望していた「テレワークがより進むこと」は、この2、3年であっという間に実現したけれども、それによってよりよい生活となったのか、イキイキとした生活が実現したかと言えば、半分はそうかもしれないが、半分はそうとも言い切れず。ただただ余裕の無い、朝から晩までオンラインに繋がれる…、いや、もとい、オンラインという鎖に繋がれるような毎日となり、それはそれで究極的に効率よく物事の処理速度は高まり、それまではとてもできそうになかったようなスピードで物事が進んでいる。

前置きがいささか長すぎる。
なんというか、この生活の先には何があるんだっけ?というのが時折わからなくなったりするのです。いや、半年から来年くらいにはこうなっていたらよいよなという程度のイメージはまあまああるのだけど、これをやらなきゃいけない、それは分かってるんだけども、なぜだか手が動かない。ただ日中の時間が過ぎて、また次のオンライン会議の時間が来て、それをこなしているうちに夕暮れになり、子どもの迎えに出ていかねばならない時間になる。その時間にふと思うのです。「あ、今日はいったい何をやってたんだろう」と。

実は昨年10-11月頃に病みかけていたのを自覚している。振り返ってスケジューラを見てみると、その頃の打ち合わせの予定は今と比べてほぼスカスカ。大した時間も取ってないのになんだか物事に手がつかない。なんだったのかと思うけれどもそんな時があった。

そのときに一度実家に帰ることがあり、そこで地元の人と話をしたときに、その病みはあっさりと解消した。ああ、そうか、単純なことだったのだ。本当にやりたい、やるべきと思っていることから離れていると、頭では気付いていないけれども、心には無理をかけているのかもしれないなということなのだ。

ローカルは人と人とのかかわりのなかに

もう一年以上前にクラウドファンディングにご協力していながら、コロナ禍を言い訳に訪れていなかった、南伊豆町のゲストハウス「ローカル×ローカル」にやってきました。

天気は雨模様。不思議とここの地域で降る雨は他のところと匂いが違う。うっすらと潮の香りが混じりつつも、周囲を緑に囲まれた感じの。
同じように緑に囲まれた長野の山の中とも違うし、首都圏のそれとももちろん違う。うるおいが半端ない。

下賀茂商店街の古民家を改装して作られたゲストハウス


南伊豆町の元・地域おこし協力隊員であった伊集院一徹さんが運営する宿泊施設。部屋は3部屋。


たまたま、今回のゲストは私のみ。
宿の説明をしてくれたイッテツさんの言葉が刺さる。

ローカル、というのは単なる田舎、というわけではなく、その人を取り巻く周囲の人との関係性。都会に住んでいても、それぞれの人に「ローカル」はあり、それぞれの人のローカル同士が交わることで、新しいローカルが生まれる。

イッテツさんの解説から

そう解説されると、自ずと自分のローカルを披露せざるを得ないような気もする。

シンプルな部屋と、エメラルドグリーンに塗られた壁

自分のノートパソコンにみっちりと向かい、気が散る要素のない空間。外には雨音と、時折走り去る車の音。
ひそかに理想として思い描いている、「伊豆の奥地で小説を書いて暮らす」生活を擬似体験している。これは、できる。自宅テレワークで鬱屈とした気分が驚くほどに解消されていく。同じ時間の過ごし方にも、かくも上質で実りあるやり方があるなんて、という思い。BGMとアロマの香りが頭と心をほぐしてくれる。

イッテツさんによる朝食、南伊豆で作られたパンとジャム

ワーケーションなるものの価値とは

あまり深いことは言わないし、万人にとって共通的な価値を表現しきれるような気もない。けれど、これは、ずっと自宅で引きこもって作業しているような方には、一度でよいから体感すべきものになりつつある。環境を変えることによるアウトプットの出方の違い。違った視点、そして、生活はさまざまなところにあり、世界は自分の周りだけではない、という当たり前のことを実感し、自分自身のありようを客観視できる…など。

行き詰まったときに、頭をリセットする方法の一つとして、誰でもやりうること、になっていったら。

…ただ、子どもを学校に行かせる世話やご飯を作ってくれている妻には大感謝なのであります。

明日からまた頑張ろう。


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