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存在がなんかチョロい

いつだったか、後輩に言われたことがある。

「猿渡さん、なんかチョロいっすよね」
「何がだ」
「んー、存在が?」

が? じゃねぇよ。と内心ツッコミながら、ヘラヘラしていた。
そういうところも含めてチョロいのだろう。自分でもそう思う。

基本的にあなどられる。ミスったら遠慮なく指摘される。新人レベルの雑用を振られる。

「言っとくけど俺、わりかし中堅(社員)やぞ!」

と、サラリーマン時代は後輩諸氏によく叫んでいた。だいぶダサい。


そういえば、昔からそうなのだ。
大学生のころだったか、休日に、人どおりの多い都会の本屋にいたら、急に女性が近づいてきた。

奇跡の逆ナンか! と期待していると「聖書を買いませんか?」とのこと。この経験が3回もある。(最終的に「すでに持ってます」と返事したら引き気味の顔をされた。売り込んどいてそのリアクションはひどい、と思った)

あと、社会人になりたてのころ、友人とふたりで歩いてると、猫背の女性がぼくだけに突進してきて、「われわれの集会にご興味ありませんか?」と、チラシを差し出してきた。明らかに新興宗教の勧誘だった。目玉の書かれた手のひらから光が放たれている、そんなイラストが雑に書かれていた。

「お前、ポアされるんちゃうかと思ったわ」と友人がゲラゲラとあざ笑う。


と、なぜ自分がチョロいのか、を書いているのかというと、今日も今日とて同じようなことがあった。

朝がた、公園をジョギングしていて、園内のベンチで休憩していたら、男性がふいに話しかけてきた。スーツ姿の60才前後くらいのおじいさんだった。

「あの」と、おじいさん。
「へぃ」
「あなたの幸せのために祈らせてもらっていいですか」
「…………時間かかります?」
「いえ1分程度」
「ではどうぞ」
おじいさん、ぼくのひたいに手をかざしてくる。あ、合掌スタイルじゃないんですね、と思いながら、1分間待つ。
おじいさんが手をおろす。
お礼を言ってくる。
「ありがとうございました」
「なんのこれしき」
「初めてお会いしましたでしょうか?」
「さて、どうでしょう」
「あの、興味ございますか?」
何の興味という問いだろう、と思ったけれど、深掘りしないことにした。
「だいじょうぶです」と言って去ることにした。
悪い人ではなさそうだったなぁ。


まあ、でも存在がチョロいというのは、他人を変に威圧しないということだし、怖がらせない、ということでもある。

会社で丁重には扱われなかったけれど、こういうチョロい存在が暇そうな顔をしていると、ピンチなときやしんどいときに相談してくれる人もいた。

公園のおじいさんも、人の幸せを祈ることで、少し幸せのおすそ分けを趣味にしているのだと思う。であるとすれば、祈られる程度は何ら問題ない。

聖書を売り込まれたり、集会に誘われがちなリスクもあるけれど、引き続きなんかチョロい存在でいいんじゃないか、と思っている。

最後まで読んでいただきありがとうございました。これからもどうぞよろしくお願いします。 いただきましたサポートは、書籍や芸術などのインプットと自己研鑽に充てて、脳内でより善い創発が生み出されるために大切に使わせていただきます。