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愛ってなんだ

全ての悩みの根源は自分の自信の無さだった。

彼がわたしのことを面倒くさくなって好きじゃなくなっちゃうんじゃないかとか、違う女の子のところに行っちゃうんじゃないかとか、連絡を早く返して欲しいとか、頻繁に会いたいとか、すぐ寂しくなったり不安になったりするのも全部、ぜーんぶ自分に自信がないからだった。


彼の伝えてくれる言葉、行動を見ていればわたしが不安になることなんてひとつもないことは分かってるんだよ?

きっと自分に自信があれば彼がちゃんとわたしのことを心から好きでいてくれていること、今現在彼の見ている未来にわたしがいること、全部を信じてあげられるんだろうなと思う。
一緒にいなくてもすぐ会えなくてもちゃんと彼のことを信じて自分の人生を歩める。

気付いてる。ちゃんと気付いてる。
だけど、実際本当に心から信じてあげられるようになるにはわたしがわたし自身を好きでいてあげないといけないし、自分がわたしであることを肯定してあげないといけないんだと思う。

難しいですね、自分のことですらも。


Twitterって自分の言葉に表せない感情を言語化してくれる人がたくさんいてすごく助かる。

この間Twitterを見てたらある方にこんな質問箱がきていた。

『いつか振られるんだろうな、と思いながら付き合っていくのが不安で辛いです。この感情とどう向き合えばいいですか。』

というものだったんだけど、主さんが

『いいですか、ありもしない傷をつついて痛みを確かめる行為はそれだけ相手にぞっこんだという証拠です、好きだからそういうことをするんですよどうぞお幸せにね』

と答えていた。

これを見て、恋愛をしているときのわたし、無理やり自分のどこかに傷を作って自分を不安にさせてるかもしれないってすごく納得したんです。

幸せになりたいと願っていつつも、どこか不安な気持ちが片隅にないと落ち着かないというか怖いんですよね。
ありのままのわたしが愛されるわけがない。不安や辛い感情を経験しないと本当の幸せは手に入れられないんじゃないかと思ってしまう。
きっとそんなことないのに。

一度幸せという感情を味わってしまうと、これからの人生にそれがないと満足できないように人間は出来ているんだと思う。

本当に人間は愚かですね。

その幸せが無くなった未来のことを勝手に想像して最初からこれは幸せの終わりが始まったんだ。と思い込んでしまう。
終わりなんて誰も決めてないのにね。


結局わたしはその幸せを求めて辛くなっている自分が好きなだけなんだろうな〜。
以前会社の同僚に感傷に浸ってる自分が好きなだけだろ。と言われたことにも頷ける。


どこか不安定な自分じゃないと自分じゃない気がして。


他人から与えられる幸せなんて最初から知らなかったらこんなことにはなっていなかったんだろうな。
でももう知っちゃったから。わたしは。
人間は歳を重ねるたびにいろんなことや感情を知れて幸せですね。

相手のために行動する理由が、見返りを求めず相手に幸せになってもらいたいというだけの気持ちなら、それは純粋に''本当の愛''と言えるのかもしれない。
それが、わたしはこれだけ愛したんだからあなたも同じくらいの愛をわたしに与えなさい、となるのはただの欲の押し付けで。
それは好きでも愛でもなんでもなくて、また相手が好きなんではなくて愛に似た何かを与えている自分が好きなだけなんじゃないか、と思うんです。

きっとこれからもわたしは彼から幸せを与えてもらおうとするし、そのために自分も相手に幸せを与えてあげたいと思う。
何回も言うけど、見返りを求めた行動なんてただの欲の押し付けでしかないことは分かっているけど、この世に見返りを求めずに相手に尽くし続けられる人なんているんだろうか。
マザーテレサくらいやろ、本当の''無償の愛''を知っているのは。

そんな綺麗な愛、できたことないかも、わたしは。

結局わたしは自分のために恋愛をしているんだろうし、恋愛は自分の人生を豊かにする手段の一つでしかないんだろうな、と気付く。最低かも。

どこまでもわたしは自分のことしか考えていない自己愛たっぷりな自己中ナルシストである。
心から他人のことを愛せたことがないのかもしれない、と自分を疑う。

それでもわたしは今日も彼が好きだと心から思っている。
本当の愛かなんてあの人が、あいつが、誰かが、わたしが、他でもないあなたが、決めることではないのかもしれないないね。



ある人から教えてもらった一昨年しぬほど聴いた曲。

孤独は売らないで

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