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こどものとき

小学生までは
泣き虫だった。
気は強いけど、泣き虫。

2個上に兄がいたから、
兄を切込隊長に、
兄を盾に、
兄をモニターに、
兄の真似をし、
兄を反面教師にもし、
うまいこと生きてきた末っ子。

気は強いけど、すぐ泣くのが
直せなくて、直したくて、
6年生の頃
泣くのを我慢するようになった。
ほどほどくらいに
泣くように。
それでも泣いてたけど、
我慢の甲斐あり、
毎日泣くようでは無くなって、
泣く時も、悔し泣きが多くなってった。

こどものときって
怒って、泣いて、
寂しくてないて、
痛くて泣いて、
どうすればいいかわからなくて泣いて、
ごめんなさいで泣いて、
眠くて、眠くないと言って泣いた。

感情がコントロールできないと
泣くのかもしれない。

大人になっても
たまに泣くのは、
感情を出せるということで
溢れさせる必要があるときは
出るにまかせたほうが、
体にいい気がしてる。

感情も、気も強くて、
そのバランスがまだまだ取れない
こどものころ、
小学生や中学生になった頃に
保育園の自分を思い浮かべると。
私だったら、私のこと、好きじゃないなー。
と、つまり、
やなやつだったなー。

漠然と感じてたんだけど、

大人になってから、
子どもの頃の私を知ってる
保育士さんに、
兄と私の学童での様子を教えてもらって、
涙が出た。
かわいくて。優しくて。
愛しくて。

きっと、自分の評価した、
やなやつな感じの自分も
事実だったと思うと共に、
今出会う子どもたちのように、
可愛くて、愛しい子だったのだと
気づけた。

今出会うこ、
みんなかわいい。
みんな違って、
強さや、弱さや、
正義や、誤魔化しや、
不安や、勇気や
色んなことが、
みんな、色んなバランスで
表れて、
まだまだコントロール不能なまま、
表れてるだけで、

みんな愛しい。
そういう、色んな子のうちの、
1人だったんだな。
って、大人になってから気づけた。

私は、大人に恵まれたから、
私も、出会った大人たちのように、
こどもたちを愛して、
いいとこいっぱいあるの、知ってるよ、
って、
ただただ、包むように、
それでいて、ぽーんと
そこにいる感じで、

出会う子どもたちに
愛を注ぎたいと
思う。

おもってるより、
みんな、すてきだし、
なりたい自分に
まだまだまだまだ
なっていけるはずなんだ

うまれてきただけで
もうみんなと違う人間で、
育つ環境も
みんな違う。

常識にあわせにいくよりも
まずは自分をみつめて
自分のいいところに気づいて、
余裕な気持ちで
生きていけると
いいな。

常識なんて、
誰かが決めた概念よりも
自分のルールも
大切にしたら
いい。

私のルールは、
そうだなー。
また別の機会に。

ひとつ言えるルールは

ルールはルール。
ルールに縛られない。

きっと死ぬまで
ルールは変わっていいはずね。
身体や脳内の変化と共に。

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