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幸福とは

18〜21歳までの病み時期、20歳終了時の全力自殺願望を乗り越えてから早2年。
当時の僕は本気【マジ】で死ぬ気しかなかったから、どうすれば自分の死を他殺に見せ、未解決事件にできるかばかり考えてた。
だから21歳以降生きてるなんて思ってもいなかったから今現在も(あ…今EXターンだ、ラッキー✌️)ってふと思う。

そんな地獄のような精神不衛生状態を脱した時から今に至るまで考えていること、それが幸福について。

例えば年末年始休まず働いている人を見て一般的にはどう捉えられるだろう。おそらく年末年始にまで働いて可哀想、頑張ってる、お金に困ってるんだ等々挙がると思う。

けれど当の本人は年末年始を特別なモノと思ってないかもしれないし、曜日固定勤務で日頃のルーティンをこなしているだけかもしれない。ましてや親戚等々の集まりに参加したくないから断る口実ができて喜んでるかもしれない。

以前LINEで恋人いるか聞かれて『いなーい』って送ったら『ごめん』って返信が来て、その時謝られた意味がわからなくて「なんだコイツ〜!!!!」って声出たけど、よく考えたらその人にとっては
恋人がいない=悲しい
とかそんな感じのマイナスイメージだったんだなと。
僕に恋人はいないけどそれが自分にとって普通のことだし、悩んだこともない。

そんな各々が持つ幸福のものさしで他人を計ることが多い世の中。

今現在僕の幸福度はかなり高い。
衣食住に困らず、五体満足で超健康的、多くはないけど仲の良い友達がいて何も不自由ない。
必要最低限が揃ってて少しの高望みも許される現状が楽しくて仕方ない。

でもこれらが揃っている状態でも不幸だと感じる人が多い現代。

所詮他人の気持ちなんてわかるわけない。
幸福の捉え方なんて個人で違うものだから当たり前の話。だからこそ不幸を減らすにはどうすればいいか。そこでふと思ったのが自分が不幸と感じることを幸福と感じる人がどこかにいるかもしれないということ。

僕の生活は自分でも割とストイックだと思う。真冬でもストーブ使用禁止(ガス代節約)だし。
それでも僕は何も苦じゃないし節約をさらに楽しめるから最高だと感じてる。

だからどういう工程を踏んだら不幸を幸に変えられるか考えてみるのも1つの手段じゃないのかなと。
ただの逆転の発想に過ぎないけど、この考え方が多少でも皆の幸福度UPに繋がるのでは?と思う。

一度自分の不幸を客観的に、違う視点で見つめてみて欲しい。何か新しい発見があるかもしれないし、やっぱりどう考えても不幸かもしれない。暇な時間が少しでもあるならやってみて欲しい、だって無料だから。

客観視ってマジ重要!
他人の言動が理解できなかった時とか。
みんな主観でモノ言う前に客観視通してから言って!
その方が争い生まれないよ〜〜〜〜!!!!!
広い心を持って元気に生きよう!!!!!!!

そんなこんなで常に少しでも幸福度が高い選択肢を選びたい僕は、食べるものを決めたり次の移動先を決める時などかなり慎重に考えるため優柔不断になってしまう。
幸福を優先したことによって決断に時間がかかってしまう。自分が死なない限り時間は過ぎていく。限られた今という時間を小さい選択に食いつぶされている。それは果たして幸せなのか?

そんなことを考え続け、僕の幸福についての解答は未だ出る様子はない。

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