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ジェラトーニを洗う


 今年の二月にディズニーシーで購入したジェラトーニのぬいぐるみとは、以来共に眠っていた。とはいえ万が一にもわたしのよだれで汚れるなんてことがあってはいけないので、同じベッドで互いに背を向けて眠っていた。停滞期のカップルさながらだった。


 そんなジェラさん(自分のジェラトーニのぬいぐるみをわたしはそう呼んでいる)の口から頬にかけて謎の茶色いシミがついているのを発見したのは本当に最近の出来事だった。わたしは盛大な悲鳴をあげた。


 汚れないように気をつけていたはずだった。だというのに、まるでコーヒーでも垂らしたかのような淡い茶色の汚れがそこにはあった。もちろん、ジェラさんがコーヒーを飲んだという可能性もあった。夢の国からやって来たジェラさんならばそれくらい可能である。けれども、理由がなんであれ、ジェラさんに茶色のシミがあるという事実は変わらない。由々しき事態である。


 わたしは即座にスマートフォンで、「ジェラトーニ 洗い方」と検索した。ジェラトーニのぬいぐるみはとにかくふわふわのやわらかい手触りをしている。これを洗濯機にぶち込んで乾燥をかければどうなるかということくらい、さすがのわたしにも想像ができた。ということは手洗いだ。わたしはYahoo知恵袋から答えを得た。洗剤とお湯でジェラトーニを何度か手洗いし、柔軟剤で揉んだあと、ごく短い時間だけ洗濯機で脱水させて乾かす。このやり方でふわふわを保てるという。


 わたしは早速実践することにした。ぬいぐるみを手洗いするというのは初めてだった(長年連れ添っているしろくまの抱き枕があるのだが、あの子は洗濯機でがしがし洗ってももちもちボディを保ってくれるので手洗いしたことがない)


 風呂場へ行き、浴槽に浅く湯をためた。そこへ洗剤を入れ、ジェラさんを入れた。最初はからだを沈め、撫でるように洗う。問題は顔である。口から頬にかけて付着している茶色いシミを駆除しなければならない。

 わたしはジェラさんの後頭部を掴んで、湯に沈めた。ぶくぶくと空気の泡が湯の中からたちのぼる。ジェラさんが呼吸をしているわけではないことくらいわかっていたが、とんでもなく悪いことをしているような気分になった。悪いことというか、もはや殺人である。ジェラさんを綺麗にしたいのか、窒息させたいのかよくわからなくなった。

 耐えきれず、すぐに湯からジェラさんを上げて、わたしはその顔の汚れをこすった。茶色のシミはちっとも落ちない。何度湯をかけて擦ってもだめだった。くそ。なんだよこのシミ。落ちろばか。なんだかわたしも悔しくなってきていた。ジェラさんごめんよと思っていた気持ちが薄れていき、なにがなんでも汚れを落としてやるという気持ちが強くなっていった。ごしごし。擦る力も強くなる。

 わたしは伝家の宝刀、ウタマロ洗剤を取り出す。この洗剤で落ちない汚れはないと過度な信頼をおいている、お気に入りの洗剤だ。スプレータイプのそれを、しゅっしゅっとジェラさんの顔面に吹きかける。どうせなら全体的にやっちゃおうという気持ちになって、茶色のシミがない部分にもしゅっしゅっしゅっしゅっとウタマロ洗剤をぶっかけた。そのころにはもうジェラさんに対する罪悪感よりも、いかに綺麗に洗うかということのほうが優先されていた。ウタマロ洗剤にまみれたジェラさんに薬殺の二文字を連想することもなかった。

 ウタマロ洗剤を落とすために、再びジェラさんを湯に沈める。じゃぶじゃぶと洗われて、びしょ濡れになったジェラさんの茶色いシミは結局落ちていなかった。わたしの敗北である。

 わたしは仕方なくジェラさんをぎゅうぎゅうと絞って、なるべく水分を抜いた。こうして文章にしていると、ジェラさんにとってはひどい虐待でしかなく、いまさらながら申し訳なさが込み上げてくる。短い時間とはいえ洗濯機で乾燥にかけられ、いま、サンルームで吊るされているジェラさんを眺めながら、わたしはごめんと謝った。乾いたらまた一緒に寝てくれ。

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