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私にとっての美術館は、パチンコ好きにとってのパチンコ

できれば毎日投稿したいから昨日も電車のなかでスマホを開いて書こうとしたんだけど、パソコンじゃないと書く気が起きないな。困った。でも書くのは楽しいからわざわざ学校でパソコンを借りて書いている。いや~、わざわざこのために借りるか??借ります。

昨日は誕生日でした。誕生日ネタは3回目ですが、自分の誕生日は大切なので許してください。「大切」と「大事」ってどういう使い分けをするんだろう?ちょっと調べてくるわ。

ああ、これ前も調べたな。

大切と大事の決定的な違いは、心とか気持ちがこもってるのが「大切」で、一応そういうのが入ってないのが「大事」だって。まあそうよね。でもこういうの大事よね。この間文学科の先生が「一日で一回も言葉の意味を調べないのはかなり危険」って言ってた。

で、前日からわざわざ「誕生日 ひとり 過ごし方」で検索していたわけですが、起きてみると意外や意外、すごく心が落ち着いていました。本当は森アーツセンターギャラリーで開催中のバスキア展にでも行こうかと思っていたのですが、コーヒー飲みながら漫画読んだりしていたらあっという間に14時ごろになったりしていました。友達とのご飯の約束が20時半に渋谷だったので、せっかくだったらそこらへんに行こうかなと思い、支度をしてワタリウム美術館に行くことにしました。

私が興味なくても一応毎回展覧会に足を運ぼうかな~と考える美術館?ギャラリー?は2つありまして、初台のオペラシティアートギャラリーと、ワタリウム美術館です。ここ一年くらいはほぼ行ってるのかな?大体美術展の情報は「チラシミュージアム」というアプリまたはTwitterから得るんだけど、この二つはあまり情報が載っていないことが多いので自分で調べてるし、大体面白いのでおすすめです。オペラシティの方は企画展が微妙でも、同じチケット代で鑑賞できる収蔵品展がかなり充実してるし、特に「Project N」と題された若手作家の展示とかもおもしろかったりするので定期的に足を運んでいます。ワタリウムは現代アート中心なので難解だったりもするけど、行けば新しい発見を得られるのは間違いないし、オンサンデーズというショップも見たいのでよく行きます。浅野忠信の展示は超~びみょうだったけど。

今回ワタリウムでは「見える自然・見えない自然 ロイス・ワインバーガー展」が開催されていました。このワインバーガーさんはなんかもう自然と一体化しちゃった、みたいな人で、都市というすべてが加工された空間が苦しくて、コンクリートを剥いでそこに土と種を運んできたりするような人です(この解釈が合っているかは知らん)。直島のリーウーファン美術館に行ったときに、一面に芝生が広がってる庭にひとすじコンクリートの線が入ってたのを覚えてるんだけど、彼の場合はその逆で、アスファルトの中にひとすじの「自然」の線が入ってて面白いなと思いました(ワインバーガーは「自然」という言葉を多用する)。通常は展示にキャプションがつく形なんだけど、今回は彼の言葉が書かれたリーフレットも配られていて、哲学を感じる展示でした。すごく人は少なかったけど面白かったな。浅野忠信は人は多かったけどつまらなかった。

で、この展示を見ているときに、「またこれをnoteに書くんだろうな」と思ったんだけどさ、絶対読んでる側からしたら「この人毎日映画観たり美術館行ったりして大丈夫かな?」って思われるかなと考えてた。でも私にとってのこういった文化活動?なんて言うんだろう鑑賞全般の行動は、パチンコ好きな人が毎日パチンコに行くのとまったく同じ動機だと思う。テニスにバカみたいにハマっている私の兄が毎日テニスをしにいくように、私も毎日作品を見る。これが趣味だし、自分が幸せになれるものだし、、と前にも書いた気がするが、そんなことを思いました。みんなどういう気持ちで美術館に行ったりしてるんだろう?

ワタリウムは外苑前にあるので、渋谷に向かいがてらはじめて青山ブックセンターに行きました。田舎っこだから実は行ったことなかった。雑誌の取り揃えが充実してるのは知ってたけど、ま~どの本屋さんも同じくらいだろ~と思ってたら、けた違いでビビりました。すごいね~。

都会は好きだけど居心地が悪くて苦手だな~。

この間毛利義孝の『ストリートの思想』を読んでいて思ったんだけど、若者と都市って結び付けられて考えられることが多いじゃん。下北は若者の街、とか渋谷は若者の街、とか。でも私にはそういう結びついた街ってないな~と。多分スケボーをする人には渋谷とか駒沢公園とか、バンドをする人にはどの街、とかある程度あるんだろうけど、そういう趣味を持たずに家と学校を往復している私には、そういったすべての街があくまで遊びに行く場所のままである。多少よく行くところはあっても、例えばその街で文化を無視した大改変がなされるってなったときに反対運動が起きても、たぶん私はそういうのに参加するほど思い入れもないから、なんか寂しいなと思った。だからこそ何か創作物とか出したりする人になれば、いわゆるその界隈の人とよく会う場所、みたいなのができて、私も土地とつながれるのかな。なんか作りたいけど、作りたくないものを作りたくはないしな~。とか言って逃げているこの頃です。

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