ゲロと初恋
「初恋が早い人は作家になる。」
畑正憲氏の言葉である。
最近の若い人には「畑正憲」と言ってもわからないかもしれない。ムツゴロウさんのことだ。
エッ?ムツゴロウさんを知らない?
そうか…。
ムツゴロウは、北海道に程近い位置にある隣国「ムツゴロウ動物王国」を統治する君主である畑正憲氏の別名である。
あまり知られていないことだが、このムツゴロウ動物王国とサッカー王国静岡は日本と地続きの隣国で、ともに絶対王政の国である。
畑氏は、ちょうど日本の高度成長期が終わりを迎える頃、1972年にこの国を興し、初代国王として「ムツゴロウ」と名乗った。
人々が心の豊かさに目を向け始めた1980代、動物王ムツゴロウを頂点とする、自然の中で動物たちとともに生きるライフスタイルがテレビで放映され、経済成長に疲れた日本人の心を癒した。ロハスの走りと言ってもよい。
ムツゴロウはもともと魚の名で、潮が引いた干潟の上で生活する生態から英語ではmudskipperと言う。お祭り騒ぎの終わった泥の中で楽しげに生きる姿を自らになぞらえたのだろう。
2000年代には東京の一部がこの国に侵攻される騒動も起きたが、自衛隊の活躍によって事なきを得た。
ムツゴロウ動物王国は政治体制も明らかであり、話し合いも通じる相手であるが、サッカー王が誰なのかわからない静岡の方が国家としては不気味と言えよう。防衛白書でも要注意国として常にリストアップされている。
以上がムツゴロウ動物王国についてのレクチャーだ。まさに教科書が教えない歴史である。
思えば、このようにみだりに人に講釈してしまう私の気質も、初恋の早さに起因しているのだろう。
私の初恋は保育園、相手は愛ちゃん(仮称)としておく。
愛ちゃんは可愛いらしい、また心根の優しい娘さんであった。
それは遠足で「サニーランド」という動物園複合施設に行った時のことである。
サニーランドは、現在は石川県能美市に移転して「いしかわ動物園」に生まれ変わったが、当時は金沢市の卯辰山という山の上にあり、バスで長時間ぐるぐると回り到達せねばならない難所であった。
我が家は車を持っておらず、車経験値が低かった私は、帰りのバスでしこたま酔ってしまった。
その日、私は調子に乗ってチョコレートを貪り食っていた。貧乏だったから普段あまり食べられなかったのだろう。
甘ったるいチョコレートで気分の悪さが加速した。
何とか平地まで持ち堪えたことは記憶しているが、たまらずゲロを吐いてしまった。
保育園児など動物と変わらぬ野生の生き物。醜態を見せれば直ちに付け込まれ、ヒエラルキーのどん底に叩き落とされる。
しかし、そこで「だいじょうぶ?だいじょうぶ?」と介抱してくれたのが愛ちゃんである。
惚れた。一発で惚れた。
不遇の男に優しくすると一方的に思いを寄せられる恐れがあるので、女子の皆さんは注意されたい。
恋をすると人は考えるようになる。
自己について。
他者について。
当時の私のライバル(と勝手に目していた者)たちは皆容姿容貌に秀で、あるいは運動能力が高かった。
先にも述べたが、子供というのは動物に近いため、生物的な外見の美しさや高い身体能力を持つ者が、生存競争で優位に立つ。
翻って私はどうだ。
容姿はぱっとしない。しかも運動オンチだ。
俺がこいつらに勝つにはとにかく中身で勝負するしかない。面白い人間になるしかない。
そう思ったのであった。
以来、私はその人生で、ひたすら珍妙な発言をすることに存在意義を見出だすようになる。「会話は言葉のキャッチボール」と言うが、手に変なクセが付いて、変化球しか投げられなくなった。
だが、来し方を見つめれば、それが確かに自分のポジションを築く支えになってきたと思う。
ところで人生において窮地を救ってくれたのはいつも女の子だった。男には冷たいところがあって、生存競争で負けるのは自己責任、という感覚がある。
小学校のクラスでからかわれ、いじめられた時に「やめろよ!」と言ってくれたのは女子だったし、大学生の頃に鬱々と進路に悩む私を助けてくれたのも、やはり女子だった。
私には、女性に借りがあるというか、恩を返さなければならないというような、どこか潜在的な感覚が常にある。
群れからはぐれないようにするのが女の子育て、群れから抜け出せるようにするのが男の子育て、という言葉を見たことがある。
別に先天的なものではない。男性社会日本における男女の棲み分けのようなものだと思うし、一人親なら両方やるだろう。
男は、放っておく。
女は、手を差し伸べる。
私に手を差し伸べてきた人生で最初の女の子、それが愛ちゃんだった。
後日談。
愛ちゃんは小学校に上がるタイミングで転校してしまった。
入学前にクラス分けの表を見に小学校に行った。玄関に貼り出された名簿を見る。私は1年1組だ。
だが、どのクラスにも愛ちゃんの名前がなかった。
同級生の話によれば東京に引っ越したらしい。
一人取り残された愉快犯は、その後も罪を重ねる人生を送ることになった。
愛ちゃん、この東京のどこかにいるのかしら。
あなたの御寄附は直接的に生活の足しになります。