ゆうメイト

高校1年生の冬、「ゆうメイト」をやった。「面倒なのでやった」などの理由で配らずに捨ててしまいよくニュースになる、例の年賀状配達のアルバイトである。

当時、私はファッション雑誌に載っているお高いお洋服が死ぬほど欲しかった。

しかし、小遣いではとても買えない。

稼ぐしかない。

短絡的な思考回路である。

しかし、またまた「しかし」である。明文の規定はなかったはずだが、確か校則でアルバイトは禁止されていた。なんだよ、英米法かよ。

私も当代きっての小心者。リスクは負いたくはない。

そこで浮上したのがこのゆうメイトだ。

何故かこのアルバイトだけは禁止されておらず、むしろ推奨されており、校内で募集案内が配られていたくらいだ。

「これだ!」と膝を打った憶えはないが、私は喜び勇んで申し込んだ。

ゆうメイトの仕事は内勤(仕分け)と外勤(配達)があるが、男は問答無用で外勤だった。さすが保守王国石川である。

クリスマスイブあたりから練習で、一般の郵便物を配達することになる。赤い自転車で。

これがなかなか深い。

別の高校に行った同級生が「超暗記法」を始めていた。手にした葉書には「教材をお送りしてから一ヶ月が経ちますが、いかがでしょうか?」と記載がある。本当に、いかがしてしまったのだろう。

別の同級生の家には彼の父親に対する出頭命令の通知書を届ける。昔は郵便物のセキュリティも甘かった。

配達していて閉口したのは、ものっすごく離れた1軒に、ものっすごくどうでもよさそうな郵便物を届ける時だった。

「お宅にも幸福を呼ぶ開運の置物を!」とか。

絶対要らんやろ、これ。

間違いなく0.5秒で捨てられる。

石川県は雪深い土地である。雷鳴が鳴り響く吹雪の中を配達する羽目になることもある。

ポストまで歩いて行くと、後ろでガッシャーンと自転車が倒れる音。鞄には満タンの郵便物が、配達するルート順に入れられている。

それが、全てパア。

あの賽の河原並みの徒労感はなかなか味わえない。生きているうちは。

しかも時給制だからチンタラやればいいのに、メイト仲間の馬鹿どもは競って速く配りやがる。私はたまに家に帰ってコタツでみかんをキメていたが、自分だけチンタラやっているわけにもいかない。仕方がないからせっせとやっていた。恐るべき五人組社会ニッポン。

悪天候を極めたある日、配達を終えた私は高熱を出してダウンしてしまう。さすがに配れない。しかし休めない。

どうしたか。

じいちゃんが代わりに配った。スーパーカブを駆って。

どうやったんだろう。自分が郵便局と折衝した記憶はないから、たぶんじいちゃんが郵便局に闖入したんだろうな。祖父は孫に甘い人である。トコトン甘い。猫可愛がり。そのくらいのことはやってのける、地蔵菩薩の登場だ。

年賀状は元旦は配達するが、2日は絶対に配達しない。ここは年末年始の郵便局員に許された戦士の休息。元旦の朝、局長が「今日は頑張って、明日はゆっくり休みましょう!」みたいな演説をかましていたのを憶えている。3日は「返り年賀」と言って、元日に届いた年賀状のうち、書いていなかった相手に慌てて書いた返事を配達する日である。

ゆうメイトのお給料はしめて42,000円ほど。これで私は38,000円のジャケットを買った。ウール素材の黒に、見えないくらい細いピンストライプが入った、細身の4つボタン。シャツにもパーカにもジャージにもスラックスにもジャージにも合わせた。長い間レギュラーで頑張った、いい奴だった。

年賀状の数も年々減ってきた。習慣自体がなくなりつつあるし、付き合いの中から残っていく人も絞り込まれてきた。職場では虚礼廃止の号令もかかった。

私がこれまでもらった中で一番感銘を受けた年賀状は、中学生時代に同級生の女子からもらったものだ。

「今年があなたにとって素晴らしい1年になりますように」

みたいなことが書いてあった。

中学生である。これまでもらった年賀状は「あけましてこの野郎」とか「あけましてイィヤッホォウッ!」といったトチ狂ったタイプのものか、「あけまして世界が平和だったらいーなーみたいな」といった毒にも薬にもならないタイプのものだった。

そんな中、私の幸福を祈念するこのポジティヴなメッセージはどうだ。感涙むせびものではないか。

今になってふと思うんだけど、あれ、定型の印刷文かもしれない。

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