チャリプロ

もう5年も前のことだ。

通勤の乗り換え駅で電車を待っていると、到着した電車から、何と地元石川の同級生Hが降りてきた。ここは東京である。

大学卒業以来、実に15年振りくらいになるが、お互いに「あっ」と気づく。

大手携帯電話会社の地元支店に就職した彼は、「この4月から本社勤務なんよ」と言う。

「へえっ、本社で何やってんの?」

「経理」

ズコッという感じの古いリアクションの私に名刺を差し出す彼。

「石川に家族残して、わけわからんわ」

「じゃ、また」

この間およそ30秒。私は彼が乗ってきた電車にそのまま乗り込んだ。悲しいかな、これが凍狂、いや東京で鍛えた社会人の早業。

彼は、チャリプロだった。

「チャリプロ」とは、技巧ではなく移動手段としての自転車を偏愛し、自転車による行動範囲が無駄に広い者を意味する言葉である。

私が定義した。

Hは、チャリプロの第一人者である私が認定したチャリプロの一人である。

彼と私は「いかなる悪天候でも自転車で通学する」ことをポリシーとしていた。

ある猛烈な雪の日、当然のように私は自転車で学校に向かった。

しかし吹雪と積雪で運転できないので、自転車を押して歩くことになる。

油断して歩みを止めると、自転車に降り注ぐ雪が凍り、車輪が固まって動かなくなる。

もはや意味不明である。

あんなに愛していたはずの自転車を田んぼに投げ捨てたい衝動にかられる。子供をおぶって逃げる引き揚げ者のようだ。祖母は、「重くて水筒も何もかも捨てて歩いた。高志(私の父)も捨てようかと思った」と話した。そしたら俺、生まれとらんやないか。

眠った子供のように重い鉄クズ。いや自転車。

通学には通常20分を要するところ、鉄クズを引きずって、1時間以上をかけてようやく学校に着いた。

一面雪に覆われ、閑散とした自転車小屋に、1台だけ自転車があった。

Hのものであった。

好敵手よ、君は今どこで何をしているのか。

名刺どっか行ったわ。ごめん。

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