僕が江東区に引っ越した訳

何気なく街を徘徊していると、駅近なのにアラー家賃月6万円とか、大変に好感度の高い物件が目に飛び込んでくることがある。

独身時代に住んでいた江東区木場のマンションは、わずか6畳で最寄駅から10分以上歩く上、家賃は月8万円という、まさにお上りさんを騙すために存在するような物件、ボーン・トゥ・オノボリであった。

しかも、後日気がつくと、敷地内に窓ガラスも破れて目茶苦茶に荒廃した無人の宗教的建造物が存立しているし、近隣には校長が朝礼で友情とか団結みたいなテーマのアジ演説を長時間、頻繁に行う小学校があるため、落ち着かないことこの上ない。

もう少し周辺に足を延ばせば、漫画でしか見たことがないようなマンション建設反対の看板、しかも「怖い!建設敷地内で猫が殺されました!」とかいった狂信的なタイプのものが立ち並んでおり、穏やかでない。

それでも無理して機嫌よく歩いていると、おそらく昔はここ一帯の遊郭(それも後日知った話)で働いていたであろう見知らぬ老婆が、煙草を吸いながら「100円貸してくださァい」などと無心してきたりする。

何故ここになったのか。

最初は北千住で探していた。

荒川の河川敷の開放感が故郷石川の手取川を彷彿とさせた、という理由もあるし、こち亀フリークにとっては下町=東京なのに人情味溢れる人達がイイネ!実際触れ合ってきたらそれはそれで面倒そうだけど!という魅力もあった。

ある晴れた冬の日。ふらりと北千住に降り立った私は、ひとしきり商店街を練り歩き、手頃な定食屋などに目星をつけ、来るべき退廃的なシングルライフに想いを馳せていた。

果たして、商店街の一角の「なんちゃらホーム」的量産型不動産屋に「たのもう!」と内心で口にしながらコソコソと入店、事情を説明した私は、これまた量産型中年従業員の車で物件巡りを開始した。

うーん。ない。

駅に近いのは築20年の和室で風呂トイレ共同とか。

イエイ、これぞトーキョーライフ!素敵なベイビーは何処?みたいな物件は駅から20分とか、これまで聞いたこともない路線が最寄駅とか。

日も暮れはじめる。

下町の夕焼け。こりゃ三丁目の夕日だ。

しかし、私には帰る家がない。

「私、以前江東区の担当だったんですけど、行ってみます?」と中年が切り出す。

今思えばこれが間違いの始まりよ。

そうして見知らぬ土地に連行され、辿り着いたのが件のマンションであった。

日はすっかり落ち、がらんとした部屋の中で冬の寒さが身に染みる。

カーテンのない窓からは、通りを挟んで向かい側に立つマンションの暖かい明かりが見えている。

もう私のための物件は残されていないのではないか。

勝ち組の連中が、みんな収奪し切ってしまったのではないか。

心細い気持ちになる。

もう、どこでもいい。

気分よくトイレに行けて、好きな時間に洗濯ができて、好きな時間に風呂に入れれば。

当時住んでいた三鷹の寮がスラム街並みの悪環境であったこともあり、いつの間にか、私が物件に望む条件はそれだけになっていた。

「あ…もうここでいいっす…。いいっすね、ここ!」

石橋は叩いてはみるが、途中でどうでもよくなって「ままよ」と渡ってしまう中途半端な性格が遺憾無く発揮された、ある冬の日の出来事であった。

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