クリスマスイブの東尋坊
それは大学生の頃のクリスマスイブのこと。
実家が何らかの仏教である、という敬虔な仏教徒であった私と友人Aは、クリスマス熱に浮かされた俗世を離れ、悟りの境地に至るべく、Aの車で旅立った。
目的地は、東尋坊。
(来世での)永遠の愛を誓う恋人達の聖地である。
明鏡止水、我々の心を映したような、いつものように澄み切った石川の曇天。
軽快に車を飛ばす。
Aが。
福井県に入ったあたりで雪がちらつき始める。
これはきっとお釈迦様が我々に課した試練、と身を引き締め、悪路に注意してハンドルを操作する。
Aが。
何時間かかっただろうか。日も暮れ、あたりは雷鳴が轟き、果たして我々は東尋坊に到達する。
猫の子一匹いない。これぞ聖地。
扉が固く閉ざされた土産物屋の間を抜けて海岸に着く。
公衆電話ボックスのほのかな灯り。
「いのちの電話」
金銭を身につけぬ修行者を誘惑するためだろう、傍には500円程の硬貨が置かれている。
「これを取ったら罰が当たるだろうな」とAと語らい、静かにその場を離れる。
激しい波が打ちつける岸壁。
我々は接近を断念した。
雄島に寄る。
東尋坊からダイブしたサムシングが漂着する場所として有名な島だ。
島に辿り着くには長い長い橋を渡らなければならない。
ますます激しさを増す雷鳴。
この状況で遮る物のない橋を渡るなど、まさに修羅の所業。
「男子大学生2人、世を儚んで心中か」
との新聞記事の見出しが脳裏によぎる。
もう、悟りは開いたから、いいよね。
帰り道のことはよく覚えていない。
あなたの御寄附は直接的に生活の足しになります。