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都市の加速度

昔、上京したての兄が「東京は加速度の高い街だ」と言っていた。

どういうことか。

例えば、金沢では繁華街の街頭によく占い師がいるが、誰も見てもらっていない。むしろ奇異の目で見られている。

これが渋谷や新宿になると、驚くことに、見てもらっている人がいる。

それを見た人は(あ、私も見てもらおうかな)と同調していく。

この加速度のことである。

もちろん単に人間の母数が多いから関心を持つ人が出てくるだけだ。東京には綺麗な女性が多いし、夜出歩いている不良の高校生が多いし、殺人事件が多い。小さな数が、大きく見える。小さな動きが、波を作る。都市が媒体になっている。

あるいは電車の中。

並んで立つ大学生風の男女。二人の間隔は近いが、会話から判断するに恋愛関係にはない。車内が混んでいるから近くなるだけだろう。しかし、この近さは間違いなく田舎では作り出せない親密さをコーディネートする。恋の一つも生まれておかしくない。正直、羨ましい。

席が空いて座る。田舎では、見知らぬ他人とこんなに肩を寄せ合うことはほとんどない。司馬遼太郎の文庫本を読む人、スマホをいじる人、不思議なくらい熱心にナンプレに取り組む人、英単語のカードをめくっている高校生。ひととき他者の人生に触れ、己の人生を想う。自分の内に向かう加速がある。

人口と経済成長の相関関係のあるなしには諸説があるが、それが同調であるにせよ、差別化であるにせよ、他者を意識することが加速度を生むことは、実感としてある。

ただ、冒頭、兄がそう語ったのは2000年代の始めの頃で、ソーシャルメディアもなかった。今では、Twitterに、Facebookに、Instagramに、奇天烈な人が、才能のある人が、美しい人が、幸せそうな人が溢れている。都市からインターネットへ、加速度を生むメディアは移り変わった。

そして時あたかも新型コロナウイルスの登場。

リアルの都市は、なんだか少し落ち着いていて、僕はほっとするのだ。

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