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自分の誕生日を機会に誕生日を考察してみた

先日、生まれて初めての44歳になりましたー。

皆さん、たくさんのお祝いメッセージ、
ありがとうございました。

お祝いメッセージをくれた人も、
へー、あいつ、誕生日なんだーって、
ひそかに思いを向けてくれた人も
皆さんのおかげでハッピーになれました。

44歳の今の時点での誕生日って、なんだろう?
そんなこと思ったので考察してみました。

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結論から言うと誕生日って
「私という存在を今、ここにあることを気づかせてくれる機会」だなと。

家族や友人からのお祝いの言葉。

ささやかでも、私へ意識を向けてくれる瞬間があること。それは私が「ここにある」ことを教えてくれる。ここまで生きてきたことを認めてくれるような気がしました。

その「オメデトー」には大小はなく、
「あっ、私、こんな感じでいいんだ」
って思えて、気持ち前を向けました。

そして、そんな気持ちなんだと自分が受け取れると、今度は私が「オメデトー」を伝えたくなりました。

今度は、私から「あなたがいてくれて良かった」って気持ちを込めて…。

「オメデトー」にはそんなあたたな気持ちが隠れているなって思いました。

そんなこと、当たり前なのかもしれません。しかし、当たり前すぎて、言葉にしてこなかったことを、こうやって言葉にしてみると当たり前でない気づきがあります。
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◇幼少期の自分の誕生日とは ◇

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誕生日=お祝い=ケーキ=プレゼント
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モノ、コトとリンクしていて、365日分の1日、無条件で主役になれるというヨロコビがあった気がします。

その頃は家族がプレゼントまでくれて、自分の存在を手放しで喜んでくれる。
そりゃ、嬉しくないはずはない(笑)
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◇思春期から大人の誕生日◇

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誕生日=他人の誕生日へのシフト
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思春期から大人になっていくにつれて、
自分が主役感を味わうよりも、他人の誕生日を大切にする意識が生まれてきます。
それは社会の中での知恵だったりします。

家族から友人や恋人、日常の中で関わる人への「オメデトー」が加わり、大切になっていく中で、その関係性の違いが出てきたりします。
それがお互いのプレゼントになったりします。
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◇中年以上の誕生日◇
中年って、何歳から??そんなことは聞かないで(笑)

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誕生日=歳を重ねること=老いる
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老いることは身体の機能が低下していく中で、死に近づいていくということを意識していく。そこに抵抗するように、年齢を重ねることが嬉しいことではなくなっていく。(中には、老いていくことを受け入れヨロコビを感じる人もいますが…。)

そうすると自分の年齢に興味が薄れ、不意に年齢を聞かれた時に、自分がいくつだだったかわからなくなったりする(笑)

しかし、しかしなんです。

自分に興味がなくても、大切な人、他人の誕生日を知ると、「オメデトー」って、伝えたくなる。

その「オメデトー」は
「あなたがいてくれて嬉しい」って、
気持ちなんだなーって思う。

今回のお祝いだけでなく、ここまでの私に向けられた44回分の「オメデトー」は、私の存在を肯定してくれ、私の存在感を輝かせてくれました。
(トラエカタハ ジユーデス…)


皆さんのおかげさまで、
ここまで来られましたー。


そんな気持ちになりました。
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「オメデトー」を漢字にすると
「お愛でとう」と書くこともあるそうです。

ここからは私の見解ですが…
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「愛でる」は、いとおしさ、愛すること。

その「愛でる」に、わざわざ敬意や丁寧に扱う時に使う「お」をつける。

「おめでとう」の「とう」は「~しとう」「~したい」
願望を表しているのではないか?

そこから、私が「オメデトー」を超訳
リョウ訳(笑)してみると


『君は、今、最上級にいとおしいんだって
 そう、伝えたい!!』


でないかと思う。

大げさかもしれませんが、この「おめでとう」という言霊にはそのくらいの気持ちが隠れていると、私は思いました。
それは誕生日に限らず、どの「おめでとう」にもある。
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あらためまして
「お誕生日、おめでとう!ワタシ」

おい、ワタシよ、
最上級にいとおしいぞ!(笑)

誕生日は他人からお祝いされるのはもちろん、嬉しいですが、「自分のいとおしさ」に思いを向ける機会になったら、素敵な世の中になるなと。

私にも普段、自分のことが嫌になることが、度々あって「ムキーッ」ってなったりもしますが、今回、自分を大切に思うことに向けられた。

そんな初めての44回目の誕生日でした。

まとめ
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誕生日とは

相手のハッピーを思い願う時間。
自分の存在を輝かせる機会。

そして、
「自分のいとおしさ」
に思いを向ける機会にもなる。

「うん、よくここまできたね!」って。

全ての人にある誕生日たから

全ての人の生きてきたことに
思いを向けられる機会にしようと思う。

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最後に、

家族へ
誕生日の夜に予定を入れていたことを
伝えてなくて、残念な感じにさせて
しまってごめんなさい。

でも、やっぱり、
家族からのお祝いは格別です。

ありがとう。

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