オドモ リョウ

妄想を言葉にしている時間が幸せな時間。 相手に気持ちを合わせ、 言葉やカタチにするのが好き。 お墓のデザイナーをしていて、 2019年には全優石の想いのお墓デザインコンテストで日本一になりました。 『妄想を志事へ』 と新たなステージへ発信していく。

オドモ リョウ

妄想を言葉にしている時間が幸せな時間。 相手に気持ちを合わせ、 言葉やカタチにするのが好き。 お墓のデザイナーをしていて、 2019年には全優石の想いのお墓デザインコンテストで日本一になりました。 『妄想を志事へ』 と新たなステージへ発信していく。

最近の記事

あなたの目が私の目になる

それぞれの感性でキャッチした世界。 SNSで流れてきた、その人の目を通し、その人が向けたカメラを通し、その人の言葉や表現を通してシェアされたものが響くことがある。 その時、思ったことがあります。 あなたの目は私の目になり 私の目はあなたの目になる 投稿された画像や言葉には書かれてなくても、それを撮影したくなった感動やシェアしたいという気持ちは、その画像に情報として書き込まれているのかもって妄想していた。 デジタルの情報かもしれないけど、それを私が受け取る時、画像の波の

    • 日本語から、ひとつであったことを感じるということ

      私は日本語の音がすきだ。 音と意味にあいまいさと奥ゆかしさを感じるから。 辞書を見ていたら、意味が七変化する言葉を見つけて妄想のスイッチが入る。 「かえる」という言葉。 おたまじゃくしからカエルに姿が変わるように、 言葉もの同じ音なのに意味が変化する。 カエルの完全変態ではなく コトバの完全変態(笑) カエル 変える 帰る 買える 替える 返る 漢字を見れば理解できても、会話の中では漢字が見えないので、イントネーションや前後につく言葉で意味を判断していく。 そんな

      • 【話すことで気持ちを放て】

        先週、 幸ハウス、お寺deなごみ、はまゆうのじかんと日常から距離を置く、場づくりに参加しました。「場づくり」って「自分の居場所づくり」なのかもしれない。 そんなことを思い、久しぶりに言葉にしたくなったので、ここにアウトプット。 それぞれの場に集う参加者の声を聴きながら、思ったことがあります。 それは、「日常では抑え、放つことが出来ない感情が誰にもあり、そこに息苦しさを抱えている」ということ。わかってはいたけど、言葉にしてみると私も含め、なぜ、感情を出すことにそんなに臆病に

        • 音が泳ぐカラダ

          音が私を自由に泳ぐ 意図しない動き ゆだね ゆだね ゆだね ヨロコビ 陶酔する カラダがあって良かった 私にはヨロコビを受けとる 装置があるんだ

          布団に行きな

          ソファーを背もたれに 床で寝落ちする君と その胸の上にページを開いたまま 伏せられたハードカバーの小説 「布団に行きな」 いつもの風景。呆れて言葉が出る。 返ってくるのは、いつも適当な返事。 動く気配はない。 「布団に行きな」 もう一度、うながしてみる。無視される。 もう、ほっておこう。 そう、思った時、見たことある場面だなと ふと、思い浮ぶ母の姿。 「布団に行きな」 呆れた母の声が記憶に木霊(こだま)する。 「布団に行きな」 ああ、私も何度も言われてきたな。

          布団に行きな

          4000年の再会

          今日は 満月と天王星が一緒に 地球の影に入る 4000年に一度の その日だという 4000年という時間 人生80年とだとしても 50回以上生まれ変わらないと 見られなかった宇宙(そら) 今、隣で声を上げる息子は4000年前 何していたのだろうか 縄文と名付けられた頃 名前さえもままならぬ 赤く染まった光る丸を見上げ きっと、声を上げていただろう あれから 地球はヒトの快のために 人工物に覆われ 日々、破壊と創造を繰り返し 変わらない景色は見当たらない あふれる情報は

          フルエネルギー

          うめき声で歌う君 ながめる私 そこから受け取るは フルエエネルギー 振るわす重低音 腹の底をゆらす 心の底に沈下した叫び あふれる涙 外に出せた喜び 音のうねり 波となり きみのとなり 響き重なり 波長はわたし シンクロニシティ うめき声で歌う君 ながめる私 そこから受け取るは フルエエネルギー 振るわす重低音 腹の底をゆらす

          フルエネルギー

          運命共同体

          真っ黒な富士山の頭に ほんのりと雪が積もった 朝から得した気持ちになった 職場に出勤すると 「富士山、雪降ってたね」 って、会話になった 年齢立場関係なく みんな富士山を見上げている 気がつくと富士山を探している なぜだろう? もしかしたら、 変わらずそこに居てくれることに 安心しているのかもしれないな いつどんなときも 雲に隠れて見えなくても その向こう側にあることを 信じて疑わない 思っているより短かったワタシの命の100年 その後もそこに在り続ける富士山の1

          赤の鼓動

          雨の彼岸 雨の秋分 どんよりした空に 濡れた曼珠沙華 秋分の日に 寸分狂わず咲く赤 鬱蒼と並び赤を放ち 一層、映える赤は悲しげ 何も言わず燃やす ひとときのいのち 火花を散らす 花火みたいな赤 不確実で不安定な時勢の中で 変わらないものがあることを スッとたたずみ 黙って放つ赤 自己のエゴにつかり 刹那主義に流されている切なさ 自然の摂理さえも見失い うしなって気づく存在の大きさ ひとは、しぬ メメント・モリ 彼岸と此岸が近づく 死者に一番近い日 受け

          震える手当て

          弱さは 恥ずかしさ 見せるなんて イヤだ 弱さの否定は ボディーブローのように ココロに効いていた ああ、誰か… 「だいじょーぶ」って 自尊心の漏れていく穴に 手を当ててくれ 眠れず 天井を彷徨う視線を落ち着かせようと SNSに「いいね」を押し続けていた 「ワタシはここにいるよ」 適当な「いいね」は ひそかなSOS 画面をスライドしていくうちに 空しさだけが積もっていった みんなは自分を表現している ワタシはどうなんだ? 評価のない安全に流されてないか?

          震える手当て

          あいにいくね

           わかばはこのベンチが好きだ。 辛いことや嬉しいことがあると、近所の公園に立ち寄りこのベンチに座る。高台から見下ろす光る海。そして、どの建物より空高く突き抜け、主張する製紙工場の煙突。その赤と白のボーダー柄の主張を物ともしない存在感で鎮座する富士山。海と工場を従えた町並みと富士山が一斉に見られるこの場所が、わかばにとってもお気に入りの場所。太陽の光が波間にキラキラと反射し、わかばの気持ちを上げた。周囲を囲む山の尾根に隠れることなく、広がる裾まで望める富士山。移り気な雲は、その

          あいにいくね

          ハラハラ

          ハラハラ ハラハラ  舞う朱鷺色(ときいろ) アスファルトに降りる 晴れ渡るうす空 眦(まなじり)を細める  ハラハラ ハラハラ  右手におさまる カスミソウの花束  談笑に囲まれる君 陽炎の向こう  ハラハラ ハラハラ  ひそやかな白い想い 渡せずにグレーの紙袋にそっと仕舞った  ハラハラ ハラハラ  こぼれて こぼれる  ハラハラ ハラハラ  こころで 手を振る  ハラハラ ハラハラ  小さくなっていく姿 言えなかったエール  親指に勇気を注ぎ

          ささやかな「世界平和」

          「ささやか」 その、四文字がとても、大切だと思った。 「ささやかさ」は遠慮がちな行動なんだ。  私は「世界平和」と疑うことなく言える人をすごいなーと尊敬する反面、どこかで嘲笑していた。 私にとって「世界平和」は、大きすぎてイメージが追い付かなかったから。 でも、今はもしかしたら出来るかもしれないと思っている。 「手の届く範囲の世界が平和なら、世界が平和なんだ」  この言葉に出会ってから、私は「世界平和」が身近になり、「ささやかな平和」なら目指せると思ったからだ。 

          ささやかな「世界平和」

          アルゴリズムの神様

          外の喧騒から逃れようと イヤホンを突っ込み耳をふさぐ  それでも、喧騒は入り込み ふさぐ前より気になっていた  もう、何でもいい ここから離れたい  外の世界から離れようとすればするほど へばりついて離れない喧騒  何も考えたくなくて アルゴリズムから薦められたまま 音楽でふさいだ  それでも追いかけてくる喧騒 そこから離れたい一心で 初めて聴く曲のリリックを追っていた  その音の先にある世界へ 言葉とFLOWに没入していく ふいに ほっぺたにスーっと冷たさが伝

          アルゴリズムの神様

          父親と息子とバリカンと

          いつもより早く仕事が終わり、家路を急ぐ運転席。ハンドルを握る右手は何も考えなくてもいつもの道をたどり、アームレストに置かれた左手がビートを刻む。仕事でいいことがあると、そのままプライベートに影響するものだ。車庫入れも軽やかに自宅に到着した。上機嫌で車のドアを開けると玄関先で話す、父と妻の声が聞こえてきた。自宅は、実家の隣に建てたので距離的なアドバンテージも手伝い、親との距離も近い。子どもたちが実家とを行き来し、妻も上手に振る舞ってくれているおかげで親子のコミュニケーションが取

          父親と息子とバリカンと

          「怖さ」は「喜び」

          「怖さ」は 分からないことを 確かめる、知ることが出来る 「楽しみ」 でもある そう思うと 「怖さ」は 新しい自分の感情と出会う 「喜び」になる 「怖さ」を感じたってことは すでに前に進んでいるんだ 今朝、ふと思った そんなことを思える 私の今日は 怖さを越えられそうだ

          「怖さ」は「喜び」