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odol結成より前のこと

10月も気がつくともう中旬ですね。先週は「涼しい」と言っていたのに、いよいよ「寒い」と感じ始めています。楽曲制作もひと段落したので、データを整理していると、僕がodolを結成する前にやっていたバンドの懐かしい音源が出てきました。なんと、日付を見てみるともう8年も前。

僕らがodolとして活動を始めたのは2014年の2月のこと。実は、僕とドラムのマシ(垣守)はodolを始める前に違うバンドを結成し活動していたのです。今日は、そのバンドのことと、彼との出会いについてお話ししようと思います。

僕とマシが出会ったのは2012年。東京に出てきたばかりの僕には、音楽仲間といえる友人はほとんど居ませんでした。しかし誰かと音楽がやりたかった僕は、頻繁にインターネットのメンバー募集サイトをチェックしていました。
様々な人たちとやりとりをして、実際に会って話をした人たちも居ましたが、当時18歳の未熟だった僕とバンドを組み、プロを目指そうとしてくれる人はなかなか見つからず、一人で家でギターを弾くことしかできない日々が続きました。

そんな中、大阪から音楽を志し上京してきたという、僕より2歳年上のドラマーとベーシストがバンドメンバーを募集している、というページを見つけました。今の年齢になってみるとそれほどでもないのですが、当時高校を卒業したばかりの僕にとって、2歳の差というのは大きいもの。いわば僕が高校1年生の時の、3年生にあたる差です。「またフラれるんだろうな」と思いながら顔合わせへ向かいましたが、実際に会ってみると、意外にも彼らは僕が高校時代に作った音源を誉めてくれたのです。そして、僕らはさらにギタリストを迎え、晴れてバンドを始めることができました。そして、そのドラマーこそが「マシ」だったというわけです。

ちなみに、「マシ」というヘンテコな呼び名の由来ですが、当時4人で結成したバンドの中で一人だけ年下だった僕は、親みと尊敬を込め、彼のことを下の名前の「ショウマ」に氏をつけた「ショウマ氏」と呼んでいました。そして、odolを結成してから「ショウマ氏」では長いということで、いつの間にか「マシ」になっていたのです。

そんなマシと組んでいたバンドで印象的だったエピソードがあります。
それは初めてライブハウスに出演したときのことです。僕とマシは「これじゃダメだ」とライブハウスを飛び出して、何時間も話をしました。とにかくどうしたら自分たちの音楽をたくさんの人に届けられるのか、本気で意見をぶつけ合ったことを覚えています。出会って数ヶ月が経ち、僕らはバンドメンバーとして腹を割って話せるようになっていたのです。当時の僕にとっては、そうやって音楽について仲間たちと意見し合えること自体がかけがえのないことでした。

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(そのバンドで初めてライブをした時の写真)

しかし、結局そのバンドは1曲の音源を作り、2回のライブをして解散することになってしまいます。理由は、僕が突然、新しいバンド「odol」をやるために抜けると言いだしたからです。
今思えば自分勝手すぎる行動に思えますが、当時のメンバーは怒りもせず、優しく「本気でその人たちとやりたいのなら、そっちをやった方がいい」と受け入れてくれました。思い返せば、僕の声や歌を「良い」と言ってくれ、音楽を一緒にやろうとしてくれた彼らから、僕は勇気を与えてもらっていたはずです。当時は何をするにも焦っていて、周りもよく見えていなくて、ただひたすら走り続けることか、何かを捨てることしかできないと思っていました。しかし、今になって振り返ってみると、そのバンドで体験した一つ一つのことが今に活きています。

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(1st demoのレコーディング。2013年。)

そのバンドが解散したあと、僕らがodolとして活動ができるようになるまで、約1年間、誰の目に触れるでもなくひたすらに準備をしました。そのあいだ、odolとして活動してくれるドラマーを必死に探しましたが、僕にはマシのプレイが忘れられず、odolとして一緒に活動してくれるよう頼み込み、そしてそれに応じてくれました。長い準備を終え、2014年に僕らの旅は始まります。その年、初めてのdemo EPをリリースし、初めてのライブをします。
「飾りすぎていた」という曲は、その頃に僕ら5人が初めて作った曲。いまだにライブで演奏することも多く、この曲を歌う時にはいつも、あの頃の焦りと希望の入り混じった形容しがたい空気を思い出すのです。

まだ聴いたことのない方は、ぜひ聴いてみてくださいね。

ヘッダー撮影:野本敬大


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