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僕がミュージシャンになった日

3月の終わり頃から始まった自粛生活、僕は主に歌詞を書き、歌を入れる作業を繰り返していました。
歌詞を書くことは僕にとって、自分自身と向き合うこと。だからか過去を振り返ることが多くなり、それと同時に大切な思い出が蘇ってきました。
今回は、僕が音楽を始めた頃の話をさせてください。

バンドを始めた頃

高校に入学すると同時に、僕は中学の同級生でもあり、現在僕が所属しているバンドodolのピアノ担当でもある森山と共にバンドを始めました。音楽に限らず、物事を始めたばかりの時期には、 全てが新鮮で、些細なことにも感動するものですよね。初めてリハーサルスタジオに行った時に、マイクやドラム、スピーカーなど、それまでテレビで見ていたものが目の前にある……!と、ひとつひとつに感動したのを覚えています。

あっという間に1年が経ち、高校2年生にもなると、バンドをやるということにも慣れてきて(今思うと、もちろん素人の域を出ていないのですが笑)、自分もいっぱしのミュージシャンなんだと思うようになりました。
ちょうどそんなとき、僕らは新しいバンドをやることにしました。このバンドは僕が高校時代に在籍した3つのバンドのうち、2つ目に組んだバンド。メンバーはベースに森山、ギターとドラムに僕の高校の先輩を迎えました。
そのバンドでの初めてのレコーディングで出会った方こそ、その後の僕らの音楽人生に大きく影響を与える方。今回の話の中では、「Kさん」としておくことにしましょう。

「Kさん」との出会い

Kさんは当時30代半ば。そのスタジオの店長兼レコーディングエンジニアでした。耳のついたデニムと、mont-bellのフリースをよく着ていて、当時の僕らにとってはとにかくかっこいい大人の代名詞でした。
初めてのレコーディングでは、自分の歌に対して、どこがどう悪いのかもわからないほどに、深く絶望したことを覚えています。そんな、何も知らない高校生の僕らにもKさんはしっかりと向き合ってくれて、とても静かな、そして優しい口調で、僕の歌のどこがダメなのか、言葉をくれました。まがりなりにも存在していた自分の歌に対しての自信は、Kさんによって打ち砕かれたのです。今思うと、音楽を始めてから最初の大きな挫折は、この出来事だったかもしれません。
 レコーディングとミックスダウン作業は合わせて2日間で終わり、楽曲は無事に完成しました。でもそれ以降、料金が少し高めだったというのと、なんとなくKさんに対してバツが悪くなってしまい、そのスタジオに練習をしに行く機会は減ってしまいました。

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(これはodolで初めてのdemoをそのスタジオでレコーディングした時のもの。高校の時も、こんな感じで録った覚えある…)

レコーディングした曲でオーディションに応募したり、それまで以上にライブハウスでのライブを重ねたりしましたが、先輩メンバーたちの大学受験を理由に、夏休みを境にしてそのバンドは自然消滅していきました。

高校最後のバンド

初めての恋人ができたり、まだ見ぬ新しいバンドのために森山と曲作りをしたりしながら冬を越え、高校も最終学年の3年生になった春、僕らはまた新しいバンドを組みました。今のodolと同じ5人編成のバンドで、メンバーは僕の高校と森山の高校から一緒にやりたいと思った人たちをかき集めました。そして、このときにベースからピアノに転向した森山はまさに水を得た魚のようで、他校からもいろんなバンドに引っ張りだこになったのを覚えています。

僕らはそのバンドを高校生活の集大成にするべく、2曲のデモ音源を作ることにしましたが、やはり自分たちの力だけでは難しく、疎遠になってしまっていたKさんの力を借りることにしました。久しぶりに会ったKさんは嫌な顔一つせず、僕らと一緒に2曲の音源を作ってくれました。レコーディングやミックスをする日でなくてもKさんは時間を気にせず、以前と変わらず静かに、優しく、時にはユーモアを交えてアドバイスをくれました。今思うと、それはとても幸運なことで、高校生の僕らに対してあんなに親身になってくれたKさんには頭が上がりません。

僕らはその2曲を手作りでCDにして、ライブ活動を開始しました。それまで僕らがやってきたバンドのライブは、流行りのバンドのコピーとやれるときにオリジナル曲を1、2曲やる、というものでしたが、そのバンドではコピーはやらず、すべてオリジナルの楽曲を演奏しました。東京からやってくるバンドのオープニングアクトをやらないかと言っていただいたり、福岡県外に招かれてライブをしに行ったりと、それまで以上に精力的に活動しましたが、今度は僕らが大学受験をする年。夏休みを境に、一度そのバンドの活動はストップしました。

バンドの活動がストップしても、僕と森山は受験勉強の合間に、練習するわけでもないのに、Kさんのスタジオに話をしに行きました。Kさん以外のスタッフの方も、他の大人のバンドマンたちも、僕たちにとても気さくに接してくれて、いつしか僕らにとって、そのスタジオはなくてはならない、かけがえのない場所になってました。新しい音楽の話、古い音楽の話、楽器の話や、そして自分たちの将来の話など、とにかく数え切れないほど様々な話をして、僕らはそこで出会った大人たちから、音楽に対しての考え方や、ミュージシャンとしての姿勢を学びました。

卒業

大学受験が終わった2月から新学期が始まるまでの時間は、それまで溜め込んできたものを解放するかのように音楽をしました。 受験の結果が出て、森山が東京に来るのが1年遅れることが決まり、未踏の地・東京に僕は一人で出て行かなくてはならなくなりました。そこで、僕は東京で出会うであろう人たちに、自分が何者なのかを聴かせるために、一人で曲を作り、それをKさんに録音してもらうことにしました。 レコーディングの相談という名目で、名残を惜しむように何度もスタジオに通ったなあ。

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(その時の写真が奇跡的に残っていました。これはレコーディング当日、ギターを録っているときだな。)

Kさんとは、本当に色々な話をしたけれど、特に新しいものや、未来の話を沢山したように思います。まだガラケーが主流だった時代、当時の僕にとって新鮮な言葉をたくさん教えてくれました。今でこそ当たり前に聞くようになったけれど、たとえば、クラウドファンディング、サブスクリプション、BandcampなんかはそこでKさんに教えてもらった言葉でした。新しい時代がどんな風になっていくのか、Kさんの予想を聞いている時間は、世界中の誰よりも最初にそれを知った気になれて、とても楽しかったのを覚えています。

高校の卒業式の日、営業の終わったそのスタジオの事務所で、僕ら高校生組の決起会だか壮行会だかを催してもらったこともありました。Kさんや、そのスタジオで出会った大人たち、そして僕と森山でこれまでのことやこれからのことを、あれやこれやと話しました。夜も明け、朝方になった頃に、誰かから会の締めの一言をせがまれ、少し酔っぱらったKさんがしばらく考えて僕たちに言ってくれたことが今でも印象に残っています。

「高校卒業おめでとう。
まだ若い二人にはわからないかもしれないけれど、
音楽を続けていく、というのは実は難しい。
就職だとか、結婚だとか、卒業だとか、そういった人生の節目ごとに、
音楽を辞めてしまう人たちがたくさんいる。
もちろん寂しくなるけれど、音楽を続けるのは難しいんだ。
二人を見ていると、尋ねるまでもなく、
きっと東京で音楽を続けるんだろうな。俺は、それがとても嬉しいし、誇らしい。一人の友人として、一人の音楽仲間として。
また新しい曲を聴くのが楽しみです。」

思い返せばきっと、僕がミュージシャンになったのは、初めて人前で歌ったときでもなく、CDがお店に並んだときでもなく、今の事務所と契約を結ぶことになったときでもなく、このときだったのかな、と思います。
年齢とか、技術とか、そんなことは関係なく、僕らの心を見て、ミュージシャンだと認めてくれる人がいた。高校時代に、そんな大人がいてくれたことが、今の僕にとってどれほど影響をあたえてくれたことか、感謝してもしきれません。

その後、僕は東京に行き、odolを結成しました。もちろん、僕らはまだ旅の途中ですが、大学を卒業した今もこうして音楽を続けられているのは、間違いなく僕らの音楽を聴いてくれる皆さんのおかげです。けれど、もし僕らがKさんと出会っていなかったら、今の僕らの音楽や、音楽に対する考え方は違ったものになっているでしょう。
Kさんは福岡を離れられたらしく、ここ数年、会うことはできていないけれど、odolの新しい作品ができたら、毎回送っていて、感想をくれます。いつもはめちゃくちゃ辛口なKさんも、今回の『WEFT』はお気に入りだそう。

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(これはodolの最初のdemoを録音してもらっているときかなー。)

物事を始めたときの感動を忘れてはいけない、というのはKさんの口癖でもあります。これからも初心を忘れずに、音楽を続けていきたいな。

(そして、「今、求められている音と思う」と言っていただけた「小さなことをひとつ」本当に嬉しかった。)

いつもより長い文章になってしまったけれど、ここまでお付き合いいただきありがとうございました。

おまけ

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先日はinterFM「謝音祭」に出演してきました。
今、なかなかライブもできない時期に、演奏を届ける機会をいただけたことに感謝です。
写真は、リハーサル中に森山と。森山マスクだけど。
バンドを始めたのはもう10年も前なんだなあ。

ヘッダー撮影:野本敬大

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