解像度のはなし
とうとう僕らの新しい作品、『pre』のリリースも来週に迫りました。3人になって初めての作品。個人的には、どの曲もかなり手ごたえを感じています。
僕らが音楽を作るときや、音楽について話すときによく出てくる言葉に「解像度」というものがあります。今日はその「解像度」 についての話をしようと思います。
同じものを聴いたときや見たときに、その人によってどれだけ細部まで情報を得られるかは人それぞれ違います。僕らは、その「どれだけの情報を得られるか」という度合いを解像度と呼んでいます。たとえば、ベースを担当しているソフィアンであれば、ある曲のベースの音を聴いただけでその音がどのような機種のベースで弾かれたのか、どのようなアンプで弾かれたのか、そして弾いている人はどのようなプレイスタイルなのか、というように多くの情報を感じ取ることができるはずです。しかし僕の場合であれば、彼ほどの情報をそこから得ることはできません。
僕たちは音楽を作ることが仕事なので、音楽に対して感じ取れる解像度を毎日上げていく必要があります。それが上がるということは、他の人にはわからないような微細な違いに気がつく、ということです。一流の料理人が繊細な舌を持っているのと同じですね。
しかし、解像度が上がるのと同時に、音楽に対して感動できるハードルが上がっているのを感じています。バンドを始めた高校生の頃、出会う全てのサウンドや音が衝撃的だったあの感覚は、解像度が低く、今に比べて音楽を知らなかったから得られたものでしょう。
そんな風に、自分の中でのハードルが高くなっていくことを本当にいいことなのか悩んだときもありました。けれど感じ取る解像度が上がるほどに、その音から作った人の感情がより豊かに聴き取れるはずです。だから、それは音楽をより好きになっていくことと同じなのではないかなと最近は思います。好きなものをより好きになっていくこと。それを人生の中で繰り返していけるのなら、こんなにも素晴らしいことは他にないと思っています。