青山誠さんとの対談から2〜ピンチはチャンスで、チャンスはピンチ?!〜

2020-07-24 22:44:20

テーマ:保育・教育
一昨日の対談で、出たもう一つのキーワード。

コロナをきっかけに軒並み保育内容、とりわけ行事や活動を変更、中止にせざるを得ない(ピンチ)

だけど、これをきっかけに考え直したり、見直したり、職員同士で話し合えるかもしれない(チャンス)

でも、考え直す方向によっては、短期間に詰め込んだり、教師の指導(というなの強制力や締め付け)が厳しくなったり、より個に特化する施策も出てくることもある(ピンチ)


ピンチは、チャンスだけど、チャンスはピンチでもある。

言葉遊び風だけど、確かに見直す内容によっては、もしくは見直し方によっては、ピンチはチャンスだけど、チャンスがピンチになってしまう。

まあ、簡単にいうと、そんな感じだわけだ。

いや、うちは、ピンチをチャンスに変えているよと思うトコロも


ピンチをチャンスに変えるべく頑張ってはいるものの、
ピンチをそのまま引きずってしまっている箇所もない訳ではない。

多分。


だって、このコロナの状況で、人の考え方は多様であり、みな模索しながら生活している。

完全に自粛している人もいれば
気分転換に出かける人もいるだろう
気にしない人もいるだろう
外に出ざるを得ない人もいるだろう

さらに、感染者数が増えている状況にもかかわらず、前回と同じ状況かどうか分からず、対応や判断に困り、解釈の仕方はさらに多様になっている。


そんな中、園の対応は、各園で異なり、かつ園が打ち出す方向性に、保護者は全て了承しているとも言い難い。

ある意味、この保護者は共感してくれるが、あの保護者は共感してくれない、と
チャンスとピンチの捉え方が異なってくるのは当然だろう。

まあ、これは「コロナだから・・」という状況に関係なく、平時から常に
そうでもある。

そう、これも対談の中で出てきたキーワードで、コロナとは「状況」だよ、と。
一つの状況に過ぎなくって、行事を改革しようとしていることも「状況」だし
去年、園庭を改造しようとしたことも「状況」。


良いと思ってくれる人もいれば、うーんと思う人もいるだろう。
極々自然なことだ。逆に、全員が「良い」と思っているのは、不自然極まりなく、気持ち悪い。


まあ、つまり、そういうあらゆる「状況」に対して、園がそこにいる職員が、どのように伝え、対話し、共に歩もうとしてきたかが、問われる。そんな気がする。

平時から、ね。

コロナだからではなく、今までの日常でどうしてきたか、です。


ピンチを「ピンチかチャンスか?!」に二分するんではなく、なんとか「チャンス」にしようとしている人を増やすことがこれからの、園と保護者の関係に求められる。

それを、青山さんは「共犯関係」(多分、この字?)と言っていたけど、ちょっと、まあ犯罪の匂いもしてしまうので、「共絆関係」(キョウハンカンケイ)と呼びたい。


まあ、どっちでも良いんですが、

とにかくさ、子どもたちのことを「園」のみで決めていく、という時代はもう終わりということで。

子どもは地域で育てていくもの。地域のプラットフォームとしての担い手が園である必要性が出てきているのであれば、これからどういう経験が必要なのか、そのためにどんな行事や活動が必要なのか、それを一緒に考えていこう、ということ。


まとめ


色々と話が飛んだので、思考の整理がてらの、まとめ。

ピンチはチャンスで、チャンスはピンチです。

ただ、ピンチかチャンスかは、人によって捉え方が異なる

捉え方は、強制することはできない。なので、どうやってチャンスと捉える人を増やそうか、と考えることはある意味、無意味。

そうではなく、どうしたらチャンスになるか、つまり、より良くしていこうと共に考える共絆関係を保護者と作ることを、日常から、今からでも良いからシフトしていくこと。

それが、これからの時代の教育で必要なのではないか。

そんなところかな。


ちなみに、

保護者にアンケートをとっているとか、頂いたクレームは柔軟に対応しているといったことは、共絆関係とは言わない。

そんなんは、もぐらたたき、でしょう。

ピンチという「もぐら」をプレイヤーが叩いて、叩いて、対応していったところで、「もぐら」は一向に減りはしない。

むしろ、プレイヤーを増やしたり、もぐらが出てこない仕組みやゲームそのものを変える知恵をもらえるような「パーティー」作りが、問われるのではないか。


もぐらたたきは、オワコンです。

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