ベテランがカワルトキ

2020-02-05 22:30:51

何かを変えようとするときには、痛みを伴う。

行事を変えようとすると、保護者からの苦情があるかもしれない
保育内容を変えようとすると、同僚からの圧力があるかもしれない

アンラーンする(=改革、イノベーション)とは、当然の如く難しい。


保育現場を考えていくと二つの両極端な事例をよく聞く。

一つは、トップが変えようと思っているが、若手がなかなかついていけないケース

もう一つは、若手や(比較的)若い園長が、園を変えようとしているケースでの
ベテランの存在である。

後者について、多くの園は変わりゆく園の方針についていけず結果的に
退職する保育者が多いという。

結局、ベテランは変わらないのだろうか。


私の周りの(外部。内部も含めて)中堅や若手の保育者は、
熱い志を持った人が多い。

そんな彼らに私も刺激されているわけであるが、彼らが口をそろえて
いうのは、やはり先輩たちの有無を言わさぬ圧力である。


御局様という言葉が、保育現場にもある。

その昔、違う職場にいた時代では、本当に「御局様」は怖かった。
今でも、たまに夢に出てくる。もはや、悪夢である。

反論するなど滅相もなく、口を聞くことも、目を見ることもできなかった。
それくらい、組織の中で権力があり、恐ろしい存在だった。


保育における厳しさや、仕事に対する姿勢に対する怖さ、であれば
1000歩譲って、保育者の糧になる可能性もある。むかしであれば、そんな
先輩もいただろう。

しかし、「御局様」と称される人物は、自論で申し訳ないがそうではない。

保育や仕事というより、一言も二言も多いのだ。
つまり、嫌味、妬み、嫉みが多いのである。

一言、これはこうするんだよ と言えばいいのに、
「そんなこともできないの?」
「男って、だから使えない」

今の時代だとパワハラで即刻通報されそうなワードが、シャワーのように
豊かに溢れ出てくる。


新人から3年間そんな環境で育った。

なので、今の職場にうつった時には、「天国」のように思えた。



経験を積みかさね、組織内での地位も確立し、発言力もある。

彼、彼女らは、いかにして「御局様」という地位になり得たのかは
定かではない。ミドルリーダーが大事と言われている時代ではあるが
未だ「御局様」はどこかに存在しているのだろう。


そんな御局様あらため、ベテランは変わらないのだろうか。
当人の性格から来る言動は別として、保育観はどうだろうか。

前述したように、多くの園のイノベーションが起こるさい、ベテランは
退職という選択肢を余儀なくされていることが多いように感じる。


しかし、これから人材育成をしていく立場、未来を生きる人間からすると、
ベテランが、ベテランとしてのキャリアを組織のイノベーションにどうコミット
できるかを、やはり模索していきたいとも考える。

昨年の12月。そんな経験豊富な保育者の口から、
(たん的に言えば)子どもが生き生きと遊ぶ姿を見て、改革したことがが良かったと思う、という趣旨の発言が出た。

もう少し詳細に記すと、例年ある学年では、決まった行事が行われれいた。
それを3年前から私を含めて若手中堅で、ガラった変えていった、その際、
職員からは不満や異論が当然のことながら噴出していく。

熱心に、てをかえしなをかえ、策を考え、対話の時間をもうけ、かんがえる
時間を作ってきた。

しかし、組織は改革派と現状維持派で真っ二つに分かれる。

職場の雰囲気は、お世辞にも良いとは言い難い状況になった。

それでも、じぶんについてきてくれる人たちに少しでも働き易い職場に
したい、保育の質を高めたい一心で邁進していく。

いま考えると、やりすぎたかなと反省する点もあるが、
70年保育の積み重ねてきた園の歴史を変えていくには、まずは「行動」しか
なかったとも思える。

しかし、その結果、派閥ができてしまう事態にも陥った。

対話も進まず、腹の探り合いが続いていく。

しかし、前掲「新しい環境」も含めて、3年が経過したころに少しずつ
みなが心の内を開き始めていく。

そこには、当然、対話を促進する仕掛けを施してあるのであるが
予想外にベテランから「本音」がこぼれ出るようになってきた。

そして、昨年の12月に、自身が「行事」をしない事に納得し、
子どもたちの遊びにフォーカスし、行事がないことで、子どもたちの遊びが
豊になっていったことを実感した、ということであった。

何がよかったのか、なんで変わったのかは、まだ定かではない。
それをきくにはまだ時期尚早であると思っている。

よって、答えはまだわからない。

その保育者の言葉に耳を傾けると、「子どもの姿」から、自身の保育の方法を
かんがえるきっかけになった、ということであった。
子どもが生き生きと遊び、じぶんで考え、くふうし、友だちとの対話を
繰り返していく。

今までは見られなかった姿を発見したことで、自身が変わっていった、と
推測される。


我々は、実践者。

机上の答弁ではなく、実践しながら、実際の子どもの姿から考えていく。
そのことの重要性を、物語っている。


このケースは、一般論ではない。
どの園にも、どの保育者にもピタリと当てはまるわけではない。

しかし、一筋の光を保育界に照らすようなケースもあるように思う。

そう、人は誰でも変われる可能性がある。

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