決断の主体者は一体誰なのか

2020-03-06 22:21:47

テーマ:保育・教育
コロナウィルスは相変わらず、終息することはなく、
買い溜めも少しも落ち着くことなく、世間では居場所をなくした
中高生が街に溢れかえっている。

初期対応に失敗したのかもしれない政府の対応は後手に回り、
子どもたちが居場所を求めて彷徨っている。

保育園は開園を余儀なくされ、人員確保に追われている。

幼稚園は、市区町村によって対応が異なり、開園している園もあれば
休園している園もある。

小中高はほとんどが休業状態であるが、幼稚園だけは対応がまっぷたつに
分かれている。

休園か、開園か・・・

確かにその判断は難しい。

正解がなく、確かな情報がないだけに、どう対応していいか迷う所であろう。

開園しているからといって、働く親や行き場がない子どもたちのためという
理由もわかる。

休園じたいも、この状況であるからやむを得ない。

どちらも仕方がない、といわざるを得ない。


ただ、とっても気になることがある。

ある市としておこう。その市は、市の幼稚園会長が「やる」と言ったことで
右に倣えでほとんどの園が「開園」という結論に至った。休園にしたのは
1園のみで、のこりの10数園は開園している。

そんな話だ。

ん?

べつに、開園することは、それなりの理由があり、都市によって感染者がいなければ
そういう決断もあり得るかもしれない。

ただ、「みぎにならえ」で結論をだしてしまったことに非常に違和感を覚える。

私は、その場にいたわけではいし、園長でもないから口を出す権利もギリもない。

でも、それってどうなの?!という違和感を猛烈に覚えてしまう。


今回のような正確な情報がない状況で早急に結論を出さなければならないという
稀有な状況。


園長たるリーダーは、そういった場合に、決断を迫られる。

場合によっては、「右」という決断を出しても、「左」という結論に至っても
批判が出ることもあるだろう。

決断とは、複数の選択肢を「捨てる」ことを意味する。なので、決断したことで
批判もあることを覚悟しなくてはいけないだろう。

ただ、わたしは、今回のようにどちらに決断したとしても、正しいのか間違っているのかわからない究極の決断(?言い過ぎ?)を迫られる状況は、特になぜその
決断に至ったのか、ということが殊更重要であるように感じる。

年度末のこの時期に、好き好んで休園にしたい保育者は1人もいないだろう。
その苦渋の決断を職員で話し合い、様々な可能性を考慮し、ある程度職員が
合意形成した上での決定であれば、誰も文句はないと思う。

自分の様々なツテを頼り、可能な限り幅広い情報収集を行い、その上で
自園はどうするのか結論づけたのであれば、後悔することはないだろう。

最終的には、リーダーである園長が、その園の主体者として決断をしていく
ということが絶対的に大事ではないのか。

誰かが言っているという情報だけで、または権力がある人が言っていることに左右されて決断をしてしまうということほど愚かなことはないだろう。

風評被害、断片的情報に踊らされた末の過剰な買い占めは、「主体者として決断する」という姿勢があまりにも欠如しているといわざるを得ない。

決断の主体者は誰なのか。

いやいや、それはまぎれもない、自分自身。

そんな大事な大事なことを、子どもたちの命を守る重要な決断を
他人に委ねてもいいのか。

そんなアホなことあるのか。

気持ちはわからなくもない(偉そうだが)

どうしていいか分からない時は、誰かが言っていることに乗って行った方が
安心できる(というか、楽だ)。

でも、それって考えることを放棄しているのかもしれない。

だって、結論もない、情報もないなか、どうするのか考えることは
禿げるくらい悩むものであるから。

誰かの結論に乗っかった方が楽だ。

でも、禿げることを気にしてたら誰もついてこないぜ。

10円ハゲ上等!悩んで苦しんで、話し合って、対話して、情報収集して
ハゲそうになるくらい悩もうよ。

まあ、「ある都市」のその時の状況がわからないし、もしかしたらそんな話でもないかもしれない。

が、気持ち悪いと思うのはわたしだけではないだろう。

そんな園長が園のリーダーって、どうなの?と猛烈に思ってしまうが、
「噂」がおヒレをつけて、大きくなった話だと思いたいものである。

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