タナカユウミ

ライター。書く人。1995大阪枚方生まれ|取材、撮影。お仕事以外の文章はnoteに書い…

タナカユウミ

ライター。書く人。1995大阪枚方生まれ|取材、撮影。お仕事以外の文章はnoteに書いてます。

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小学校4年生から中学2年生まで 「コドモ嫌いなオトナ」に育てられていた話。

先生と出会ったのは、今から14年前。先生が31歳、私が10歳のときだった。 はじまりは、地域の児童劇団。 児童劇団といっても、集まった子どもたちはプロの役者ではない。 まだまだミルクの香りが抜けない、ごくごく普通の小学2年生から中学2年生。総勢80人の子どもたちだった。 私が生まれた街では、毎年夏になると小劇団の若手劇団員を講師に招き、 「オーディションで選ばれた子どもたちに舞台経験をさせる」という催しがあった。 ……「次の方、どうぞ」 軋むパイプ椅子に腰をかけ、じ

    • 「初めまして」じゃない。誰かのロマンスの続きを生きる私たちへ

      人は死んだらどうなるんだろう? 物心ついた頃から、そんなことばかりを考えている。 例えば明日私が死んだとする。 すると今日と明日の境目がなくなって、好きだった人のことも、昔好きだった人に教えてもらったアドレスも、両親の顔も、隣の家から漂うシャンプーの香りも、自分が何者だったのかも忘れて、世界っていう概念のもっと遠い「ここじゃないどこか」をぼうっと彷徨い続ける。 まず、手と足っていう概念がないから、自分がどこに向かっているか分からない。 進んでいるのか、ただ浮遊している

      • 全てが見え過ぎる日々の中で。AV女優・戸田真琴さんの『人を心から愛したことがないのだと気づいてしまっても』を読んで

        小学校4年生のとき、突然目が悪くなった。 新学期に受けた視力検査。 両目で0.5しか見えていないことが分かった。 「あなた、黒板見えてないんじゃない?」と保険の先生は顔をしかめて、問診票を手渡した。 その日を境に、転げ落ちるように視力は低下する一方だったけれど、眼鏡っ子にはどうしてもなりたくなくて、結局高校生になるまでずっと裸眼で過ごしていた。 およそ15年間。視界はいつもぼんやりして、全体的に色素は薄い。モノやヒトの輪郭はいつだって曖昧で、鏡に映る自分の姿は、現実よ

        • 「中学生の足が傷つくなんて、その人にはどうでもいいはずだ」 ビルケンシュトックをくれた大人のハナシ。

          フラットなサンダルが欲しくなって「ビルケンシュトック」の専門店に行った。 「恐ろしく高くて買えないわ……」と諦めていた去年の夏。 実家のシューズボックスから、なぜか白いビルケンシュトックが出てきた。 もちろん、自分で買った覚えはない。 「ええ?なんで家にビルケンシュトックがあるのや?」と軽く混乱して。 だけどすぐに思い出した。 10年前にある人がくれたサンダル。 ……中学3年生の夏。 私は、とある舞台のリハーサルを手伝っていた。 舞台袖について、すぐ。「ああ、

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        小学校4年生から中学2年生まで 「コドモ嫌いなオトナ」に育てられていた話。

        • 「初めまして」じゃない。誰かのロマンスの続きを生きる私たちへ

        • 全てが見え過ぎる日々の中で。AV女優・戸田真琴さんの『人を心から愛したことがないのだと気づいてしまっても』を読んで

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          「忙しい自慢」に終止符を。 24歳で「ほうれい線」が生えて気づいたこと

          存在感抜群の「それ」はあまりにも突然、私の顔へ舞い降りた。 「うそやろ、もう?え、早くない!?」 鼻の両脇から唇の両端に、ニョキニョキと伸びる2本の線。 化粧脂でテカテカになった私の顔面には、昨日までなかった、大きな「ほうれい線」がしっかりと根を張っていた。 かがみの中に映る自分の姿にギョッとして、一気に目が覚めた。 7分の5。 1週間のうち、私が化粧を落とさずに眠ってしまう割合である。 「あぁ、またやってしまった……!」 役目を終えたファンデーションは、ボソ

          「忙しい自慢」に終止符を。 24歳で「ほうれい線」が生えて気づいたこと

          「君は文章じゃない」と呪いをかけられたけど、それでも文章で生きていく。

          「君は文章じゃないと思っていた」 思わずカッと頭に血が上った瞬間だった。思い出しただけで、今でも呼吸が浅くなる。 両膝についた拳の指先で、自分のふとももをギュッとつねった。涙が出るのを必死に堪える。悔しくて、悔しくて、死んでしまいそうだ。 ……泣くな、死んでも泣くな。 ちょうど1年前の春の日。 私は大学時代から続けていた会社を辞めた。 街の情報を取材して記事にする情報メディア。地元では名の通った、小さいけれど「いつも変わったことをしている」ベンチャー企業だった。

          「君は文章じゃない」と呪いをかけられたけど、それでも文章で生きていく。