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学部長の教科書④ リーダーシップ編 第1ステップ−緊急課題の認識 「鳥の目」編

危機感を認識・共有するために

学部変革の第1ステップは、学部がいかに危機に直面しているかという現状を把握することです。次に、その危機感を学部全体で共有していきます。

このステップは簡単にみえます。実際、IR部署にお願いすれば、データはすぐに集まるでしょう。しかし、前述のコッター教授は、「私がこれまで見てきた企業だけでも、この段階でつまずいてしまうケースが過半数を占める」と述べています。実はこのステップはそんなに簡単ではないのです。

なぜなら、人には「正常性バイアス」があるからです。正常性バイアスとは、心理学の用語で、「自分にとって都合の悪い情報を無視したり過小評価したりするという認知の特性のこと」と説明されます。災害時に人が避難せず、逃げ遅れることがあるのは、危機が直前に迫っていても、「大したことじゃない」と思い込んで現実を直視しなくなるからだと言われています(参考:広瀬弘忠(2004)『人はなぜ逃げおくれるのか ―災害の心理学』集英社新書)。

現在の大学の状況のなかで、危機意識が薄い人がいるとしたら、それは正常性バイアスにとらわれているせいかもしれません。そんな相手には、下手に危機感をあおっても、感情的に反発されることすらありえます。

学部長自身はどうですか? 正常性バイアスにとらわれて「まだうちは大丈夫だろう」などと思い込んでいませんか? 正しい危機感を持つために、まず学部長自身がしっかりとした状況認識ができるようになりましょう。

「鳥の目」と「虫の目」

学部の状況を正しく理解するためには、2つのアプローチが重要だと私は考えています。それは「鳥の目」と「虫の目」です。「鳥の目」とは、俯瞰して全体をみる視点のことを意味します。「虫の目」とは、対象に接近して多角的な角度から見ることを言います。「多角的」という理由は、虫の目が複眼だからです。

「鳥の目」は主にデータを使います。今ではほとんどの大学に、様々な情報の調査及び分析を実施する部門、つまりIR(Institutional Research)部門が設置されています。IRデータをもとに学部全体を「鳥の目」で見てみましょう

その一方で「虫の目」も大切です。IRデータがいくら問題の所在を示していたとしても、その問題がどのような理由から生じているのかは、データから読み取れないことがほとんどです。現場で起きていることを理解するためには、「虫の目」になって、「自らにレンズを向ける」という第2の視点が極めて重要です。この点は次回で述べます。

IRデータで「鳥の目」を獲得する

まずは、「鳥の目」で学部を俯瞰しましょう。といっても、膨大なデータ処理や統計分析が必要なわけではありません。あくまで俯瞰できることが大事なので、学部長という立場からは、鳥の目の解像度は低くても十分です。「データを可視化」も棒グラフや折れ線グラフで十分です。以下に、私が重要だと思うIRデータをリストアップしてみました。学部長は忙しいでしょうから、こういった仕事はIR委員や教務委員にお願いしてルーチン化してもらえばよいでしょう。

学部を「鳥の目」で俯瞰するための8つ(追記:9つ)のデータ

  1. 志願者・入学者推移…志願者・入学者は過去5年間でどのように変化していますか? 多くの大学で2021年度(令和3年度)に志願者が減少したはずです。学部ではどうでしょう? 入試別での志願者や入学者はどのように変化しているでしょうか?

  2. 退学率…退学率は上昇していませんか? 年によってアップダウンがあるので、5年から10年間の推移を見ましょう。もし年間5%前後の退学率が発生している場合は、学部の教育に構造的な問題があることを疑うべきです。また、1年生の退学率(初年度退学率)は募集に影響が出るので要注意です。

  3. 成績不振者率…年間修得単位数が25単位未満の学生は何割いますか?そのままだと4年間で卒業できない留年生・退学者予備軍です。次に、学年ごとの修得単位数やGPAの分布状況はどうなっていますか? ふたこぶラクダみたいに二極化が起きてはいないでしょうか?

  4. 成績評価の科目間のばらつき…4段階の成績分布(S、A、B、C等)分布は、授業科目間でどれほどばらつきがあるでしょう? 合格者のうち半数以上がSといった成績評価のインフレが起きている授業科目は何割ぐらいありますか? 他方で、合格率が50%以下の科目は何割ぐらいありますか? また、同一科目複数開講の場合、クラスによって評価がかなり異なっていたりしませんか?

  5. 留年率…留年率はどれくらいですか? もし多いとしたら、なぜ留年生が多いのでしょうか?

  6. 就職率…卒業者のうち就職者と進学者の合計は何割ですか? 未就職者は何割ぐらいですか? 未就職者の中で、ゼミや専攻などの偏りはありませんか?

  7. 学生アンケート…学生の満足度が2年生で急に落ちたり、DP到達度自己評価が卒業段階まであがらないといった、気になる結果が出てませんか?

  8. ST比率…教員1名に対して学生は何名ですか? ST比は変化していますか? 他学部とはどれくらい差がありますか?

  9. (追記)外部テストを導入している学部であれば外部テストのスコアの学年別推移や学年比較なども重要ですね。失念していました。というわけで、データは9つです。失礼しました。

学部長が把握していればよいIRデータは、以上で十分すぎるほどです。一教員の時には気にならなかったこれらのデータが、学部長になった途端に意味を持って迫ってくるように感じることでしょう。

特に変化している数字、悪化している数字に要注意です。これらのデータをもとに学部に危機が迫っていることや、学部改革の必要性について、学部教員に伝えていきましょう。

そのためにも、これらのデータは、学部長自身が即座に参照できるように、自分なりにエクセルファイル等でまとめておくことをお勧めします。

なお、これらのうち、1,5,6,7,8は公開情報として各大学のホームページに掲載されているはずです。ということは、競合校と比較が可能だということです。ぜひ、競合校・競合学部と比較してみてください。
(追記:北陸大学で同僚の田尻慎太郎先生から、ほとんどの大学はこれらの情報を「公開」してないですよーとご指摘いただきました。入学者推移がたとえ事業報告書に記載されていたり、ST比を教員数と学生数で算出できたとしても、それは大学が「公開」してることにはならないんです、とのことでした。IRerからみると、9割以上の大学は学生数の推移すら公開してないと。というわけで、自大学と競合校の比較は限定的でしか可能にはならないだろうとのことでした。)

もう一段階上からの「鳥の目」①財務情報

危機感を持つうえで、財務情報もある程度押さえておくとよいでしょう。学校法人会計は企業会計と異なる部分も多く、基本金といった独特の概念もあり、教員で理解できている人は少ないとは思います。そんな財務情報を学部長が説明できるようになっていれば、学部長としての信頼を獲得できるかもしれません。

財務情報も各大学のホームページで公開されています。大学の存続可能性を理解する上では、次の3点の指標を把握できれば十分だと思います。自大学のホームページから数字を抽出してみてください。

  1. 教育活動収支差額…財務情報のうち、「活動区分資金収支計算書」や「事業活動収支計算書」の中にあります。教育活動収支が赤字だということは、本業が赤字だということです。支出の中で「教員人件費」や「奨学費」も見ておきましょう。入学者が確保されていても、奨学金に頼っていれば持続可能とは言えません。ただし、教育活動収支が赤字の場合でも、教育活動外収支や特別収支などを合計した「基本金組入前収支差額」が黒字の場合もあります。

  2. 運用資産と外部負債の比較…「財産目録」等から運用資産を見ます。運用資産の中で、現預金、特定資産、有価証券の3つの合計が重要です。他方で、外部負債は、借入金、学校債、未払金、手形債務の合計金額を見ます。運用資産と外部負債を比較することで、大学がどれだけのキャッシュを持っているかがわかります。キャシュが不足すると、ボーナス時に銀行の借り入れが必要になったりします。

  3. 耐久年数…耐久年数は運用資産を教育活動資金収支差額で割ったものです。あと何年で資金ショートするかの目安になります。資金がショートすると、最悪の場合、給与の遅配などが起きるでしょう。

もっと詳しい指標については、財務に詳しい職員さんに教えてもらってください。また、競合校の財務状況も調べてみましょう。少しは安心材料になるでしょうか? それとも、より危機感を感じるでしょうか?

もう一段階上からの「鳥の目」②マクロデータ

より俯瞰的にみるためは、18歳人口の推移や、私学事業団の「私立大学・短期大学等入学志願動向」などのマクロデータをみるようにしましょう。以下に、重要と思われるデータをグラフにしてみました。

私立大学総入学者数と総入学定員の推移(1993-2022)
出所:学校基本調査(文科省)、私立大学・短期大学等入学志願動向(私学事業団)

18歳人口は、1993年から2022年までの30年間で198.1万人から112.1万人に減少しました。その一方で、大学の入学者は54.4万人から63.5万人へと増加しました。つまり、大学進学率は28%から56.6%へと上昇したのです。

他方、私立大学全体の入学総定員は35.8万人から49.8万人へと増加しています。大学の新設や学部の増設等によって入学総定員は増加し続けました。2021年度には、ついに入学総定員が入学者総数上回ることになりました。

このグラフを見るだけで、大学を取り巻く環境がいかに厳しさを増しているかを実感できるはずです。定員割れはもはや構造的問題です。これまで大学の撤退や倒産は珍しい出来事でしたが、今後は当たり前になってくるはずです。

長くなったので、ここでいったん切ります。「虫の目」は次回に回します。

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