歌詞短評/おやすみ/THE SPELLBOUND

彼らは多分に詩的だ。
余白があって、解釈して消化するのが難しいことがある。その分浮かぶ情景は豊かで、音像と相まって奥行きつーか、パースペクティブつーか、遠くまで連れてこられる感じがある。ここまでが僕のスペルバウンドへの前提条件。

この歌のおやすみは、時間的な意味合いを飛び越えている。「太陽の中でおやすみ」或いは、「TVは浮かんだままこの部屋を照らすだけ」とか。前者は開けた場所での日向ぼっこが浮かんできて、後者は真夜中のソファでまどろむイメージ。

「おやすみ」って誰に対する言葉になるのか少し考えた。夜のあいさつと見れば別に誰に使ってもおかしくはないけれど、
だいたいその日、最後にお別れする人への言葉になるような気がした。
午睡を見守るおやすみも、そうその辺の人にかける言葉でもないし、やっぱり大事な人へ向かっていくものなのかな、とか考えた。

転調してからの「光の矢が」のパートが特に好き。ライブで見た影響もかなりある。ライティングが突き刺すような光になって降り注ぐ様は、圧巻?荘厳?言い尽くせない解放感がその場にはある。

ここでも時間感覚は超越している、と思う。「星たちに連れられて」を意識すれば光の矢は流れ星や彗星だろうし、強い印象を残す「太陽」を思えば、幾つもの光芒に変わる。

最後は、「どこへ行こう」と「どこまでも」と結ばれる。昼か夜かは兎も角、どうにか休んだならば、どこにでも行ける、どこまでも行ける。これはエールだ。
時間を揺蕩うおやすみは、挨拶なんかで終わらない、背中を後押す合言葉になるときが、あるのかもしれない。

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