TENDER/BLUR/SUMMER



知らない人ばかりのところに流れ着いた、おそらく合流することは叶わない。とはいえ彼(ら)をいるべきに送り届けたという充足があった。

日は落ちきって、会場の光源が際立って浮かぶ、暑さはだいぶ和らいだが、ひといきれが少し苦しい。
予習はそこそこ、聞いたなという曲、聞いたっけ?という曲、止まることなく進んでいく。

もう少し英語が分かっていたらなとか思う、もう少し歌詞を知っていたらなとか思う、もう少し上手く話せたらなとか思う、もう少し上手く笑えたらなとか思う。
会場の熱量からは立ち遅れていた、だがもうどうでも良かった、ライフゴーズオン。

低音が(特にドラムだ)、不安も緊張も高揚も歪めて、心臓の拍を規定する。それが心地よかった。
大型ヴィジョンは単色の鮮やかな光を放ち、ハイコントラストな視界を作る。くらくらする光だった。

光と音に飲まれ、歓声が歌声がオーバーラップを繰り返す。観客がノる。揺らぎにうずもれていく。
どこにも行けないというなら、沈める分だけ沈めばいい、沈んでやろう、そんな気分だった。

かく語りきと言えるほどblurについて知っているわけではない。でもtenderだけは違った、僕はあの夏この曲に、既に遭遇していた。
何かを知るのは大抵映画(最近はまた少し違ってきているのだけど)で、これもそうだった。

aftersunは多くを語る映画じゃあない。あの時の私の視点があって、今の私の視点があって、あの時の父親の視点がある、そんな映画。夏休みの記憶が輻輳して見えてくることがあって、見通せない仄暗さも尚あって、それでも1つ区切りをつけることが出来た気もする、そんな映画。

高揚と憂鬱が行き来する夏休みをぎゅっと詰めたフィルムにこの曲があったのだ。優しいような、悲しいような、この歌に僕は虜になった。そういう趣向なのだ。

イントロが流れ始めたところから、既に観客たちは合唱だ。オーマイベイベー、オーマイベイベー。一生懸命歌えるほど熱心なファンでもない、歌詞をそれほど覚えている訳でもない、代わりに深く沈むのだ。

そうだ、僕はこの曲で深呼吸したかったのだと思いだす。人の熱と夜風が気分悪く混じるスタジアムで少しだけ目を瞑り、一度だけ深く肺に空気を送る。沈むだけと思っていた体が軽くなった気がした。

世界が大きく変化するなんてことはなかったが、ほんの少し視界が開けて、目の端にきらり、何かを捉える。振り向けば人の海、声、光。ケータイのライトが作る景色も今は珍しくない、それでも美しく思った、人造の星々。願いが、憂いが、祈りが、叫びが、ゆらゆらと、在るような。

ああ、また夏が終わっていく、
この感じを待ってんだって歌ってる。
とてもとても寂しく思う、
乗り越えようって歌っている。
きっとずっとこの日のことを忘れない、暑くて仕方のない日だったことを、聴きたかった音楽が溢れていたことを、あなたがいた(居なかった)ことを、この上ない時間であったことを。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?