日記_2024/02/17_シロップ漬けの浦安の骨
知人が亡くなった。本を読んでもらおうと思っていた。
書くのを数ヶ月前から先延ばしにしていた。途中まで書けてたけど、納得できていなかったから、手直ししようと思っているうち日々は過ぎ、タイムリミットも過ぎた。
昨年、養父も亡くなった。
寝たきりになるひと月前、浦安へ一緒に行こうと話していたが、連れて行けなかった。
養父は浦安での "密漁" が好きだった。現行の漁業法は昭和24年に定められたが、施行以前から日常として釣りや素潜りをしていた人間にとって「 "密漁"か否か 」は興味のない話だったらしい。
養父の”いいかげん”なところが好きだった。
自身の価値基準を堅持して、人に嫌われようが怒鳴られようが飄々としている、"いいかげんさ"が。
養父はマメな人間で、遺品整理をしているとあちこちから日記や備忘録が出てくる。
隅々までびっしりと食事から飲み代の貸し借り、排泄の調子などが書かれている。養父は映画音楽が好きだった。ともに映画館へDUNEを観に行こうなんて話して、結局行かなかった。ジョン・ウィリアムズの来日公演にも連れていってやりたかった。
養父の日記には立ち飲み屋でおれと飲んだ緑茶ハイの杯数と、下田と柏とロック座に連れていった日のことが書かれている。
こういうのばかり言い訳にしているから、さほど反省もできていない。そういう自分の小狡さをずっと持て余している。
手元にはわけのわからない雑用が大量に溜まっている。どれからやればいいのか、毎日わからない。
際限がないように思えるが、有限なのだから、やるしかないのにね。
ひさしぶりに薬を飲む。500mlのモンスター缶2本で流し込む。
飲まないと、人並みになにかをやることもできない。
送りそこねた、書き途中のデータを開く。
この段階でも、十分送ってよかったのにね。
「ペラ1でもいいから送ってよ」と言われていたのに、見栄だけ先行して、こんなことになる。すみません。だれに謝っているのか。
こういうのは今に始まったことじゃない、まえから、先延ばしばかりしている。
先延ばしが奏功したことも、なくはない。
しょ〜もない自裁をしようとして、1年の期限のうちに実行しようと考えたが、怠惰にかまけて寝て過ごすうちに期限を過ぎた。
それ以来、自裁は選択肢から意図的に外している。もう、そんな甲斐性もないカスだと自覚するほかない、と思ったから。希死念慮がなくなるわけでもないが、それに酔えるほど立派な人間ではないと自分を戒めて過ごしている。
せめて、今月中には共通の知人にクソ本のデータを送ろうと思う。なさけない、不出来な文章の集積。それはそれでしょうがない。みじめな自分の無能をそう変えれるわけでもない。
だけど、せめて、嘘や見栄くらいは削っていきたい。
骨肉にまで染み込んだ腐った性根と付き合っていくしかないにせよ、せめて、悔いは減らしていきたい。
おれはばかだから、いろんなことを忘れていってしまう。
だから、戒めくらいは見えるところに書いておかないといけない。
冥福を祈る、と軽々しく記していいのか、迷う。
死んだ後、彼らがどうしているかをおれはしらない。
でもやはり、せめて、おだやかでいてほしい、
そう思ってしまうことくらいは、ゆるしてほしい。
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