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ひそひそ昔話

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20歳前後までの忘れ去られた記憶を手繰り寄せて、話します。恥ずかしいので、ひそひそ喋るから耳を近づけて読んであげてください。
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#昔話

ひそひそ昔話-その14 2004年のライトフライ-

恐れるべくは、ライトに届くフライボールだった。絶望するべくはグローブからこぼれ落ちるであろうソフトボールだった。冬至の近い日曜日の夕方、紅白試合は佳境を迎えていた。 傾いていく太陽が僕の影をどんどん引き伸ばしていくのが分かる。僕は自分が日時計の一部になったように感じる。僕はその針なる自分の影に向かって早く4時を刺せと念じる。その鋭利な針の先でそいつを刺し殺せと強く願う。それが即ち練習の終わりの合図だからだ。 右打ちバッターよ、ここまで打たないでくれ。 ピッチャーよ、どうにか抑

ひそひそ昔話-その13 僕たちは簡単には、立派な人間にはなれない-

卒業式後のパーティでは、学生も卒業生も先生たちも一緒くたになって、お酒やオードブル料理をつついていた。僕は節目のパーティというものが割合好きで、年中なにか“節目”を刻んでパーティをしたらどうかと思う方だ。それで発泡酒片手に一つのテーブルからもう一つのテーブルへと渡り歩きながら、親しかったりそうでもなかったりした人と挨拶を交わしていた。どうせほとんどが今後一生会わないような人々だ。 学科長の教授の挨拶が始まると言うんで、僕らはステージに注目することとなった。 額に深い皺を刻んだ

ひそひそ昔話-その12  『黒い雨』の時代と、現代と-

教室のうしろに飾られる,、読書ポップづくりの仕上げ作業をしていると、隣の班を見終わった副担任の先生が近づいてきた。机の上に置かれた私の文庫本を手に取り、その表紙や裏表紙の内容紹介をじっくり眺めた後、彼は口を開いた。寡黙なリクガメを思わせる口の開き方だった。 「井伏鱒二、黒い雨。私も読みました」 そして机の上に本を置き、「素晴らしいですが、本当につらいお話です」とだけ言い、別の班へと移動していった。 姑息で、卑怯で、周囲の評価を気にしいな性格だった高校1年生の私は、読書を促すた

ひそひそ昔話-その6 不必要に死の影を背負うということ-

正月、ばあちゃんを墓参りに連れて行った。その前の夜、街で同級生と昔話に花を咲かせているとき、親父から電話があった。「明日、ばあちゃんを墓参りに連れて行ってくれ」と。特に用事もなかったので二つ返事で了承した。ばあちゃんは足腰が悪く、もうこういう親戚一同が会する正月の時くらいしか墓参りに行けないのだ。 ばあちゃんの家から少し歩いた先に墓地がある。僕は、車道側に立ち、ばあちゃんの隣で一歩ずつゆっくりと歩いた。そしてその一方で14才の愛犬を散歩させている。時折、名前の知らない近所の人

ひそひそ昔話-その2 お父さん、お父さん、あれが見えないの?ゴリラの幽霊が!息子よ、確かに見たよ 白い服の女の人を-

 実家の隣は駐車場だった。でも実家の壁のペンキが色あせておらず、庭の芝生も生き生きとしていた四半世紀前の新築時は、墓地だった気がする。だからじゃないけれど、私の家にも幽霊が出た。らしい。私の家族はみんなで心霊番組を見ることが家族団らんのひとつのかたちだった。所さんだか嵐だかタモリだかの番組の、心霊写真を紹介するコーナーで、毛むくじゃらのゴリラの幽霊だかが紹介されて、それがなんだかとても怖くて、脳裏にこびり付いて離れなかった。  暗い廊下の突き当りにトイレがあって、幼い私にと