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東京ー滋賀


 東京藝大の研究生として1年過ごしたのち、晴れて藝大の助手となった。藝大は大学院に上がるといくつかの研究室に別れていき、各研究室ごとに教授と助手がいる。僕が在籍していた研究室はとても人気で、全国からその研究室に入りたいという美大生が後を経たなかった。
 他の研究室は内部生が多かったが、僕の研究室は、教授が「才能のあるやつは外部生だろうと内部生だろうと関係なく取る」という方針だったので、内部生でも受かりにくいことで有名だった。そんな研究室の助手として、鳴り物入りで入った僕は、周りの人達からの風当たりがけっこうキツかった。

 特に、学部から大学院までずっと藝大で、苦労して助手まで上がってきた先輩達がいて、そのうちの1人からの攻撃が特に激しかった。初めは僕も気にしないようにしていたが、どうしてもその人と一緒に仕事をしないといけなくて、右も左も分からなかった僕は、嫌でもその人に色々と頼るしかない状況だった。
 仕事が忙しいのは覚悟していたが、寝不足に加え、理不尽な扱いを受ける日が続き、うんざりしていた。
 ただ絵が描きたくて入っただけなのに、どうしてこんな目にあわなきゃならないんだろうと思っても、僕が助手でいる限り、この攻撃は止まないのだろうなと思うと、毎日が辛かった。
 助けを求めようにも、外から来た僕は、学内に知り合いもなく、周りもどこか冷たい雰囲気だった。教授にも相談できず、自分がそこでうまくやっていくには、耐える道を選ぶしかなかったのだが、それがいけなかった。
 1年が経つころ、限界に達してしまった僕は、ある朝、布団から起き上がれなくなってしまい、なんとか頑張って服を着替え、外に出ようとするが、足が震え、ドアの前にへたり込んでしまう。そこから一歩も踏み出せなくなり、仕事に行けなくなってしまった。
 教授にこれ以上仕事を続けられないことを伝え、僕は大学を去った。せっかく掴んだ未来も、そこで途絶えてしまったような気持ちになり、目の前が真っ暗になった。僕は人生における初めての挫折を味わった。

 それまでの僕は、東京に行って、助手として働きながら制作活動を続け、その流れで画家としてデビュー!みたいなハッピーな希望を胸に抱いていた。その暁には、彼女を東京に呼び寄せて、2人で作家活動をしていこうと約束し、そのための家も借りていたが、そんな淡い期待も無惨に打ち砕かれてしまった。

 今となっては、もっとこうしておけばよかったとか、そんな大したこともなかったのになぁとか、いろいろと思ったりもする。それに、誰しも生きていく中で、辛い体験や悲しい過去はあるもので、何も自分だけが不幸な体験をしたわけではない。むしろ、自分はさっさと辞めて帰ってこれたのだから、その程度で済んで良かったとも言える。
 ただ起きてしまったことは変えられないので、僕にできることは、過去を受け入れること。そして、そこからまた立ち上がることだった。

 関西に戻った僕を優しく迎えてくれたのは、自分の家族と彼女の家族だった。
 彼女の実家は滋賀県で、「琵琶湖の眺めがきれいだから、遊びにきたら?」と誘ってくれた。僕は大阪の実家にいるつもりだったが、彼女の家に遊びに行った時、とても静かでゆったりとした時間の流れを感じ、近くの湖岸でぼうっとしていると、気分がとても軽くなった。
 家におじゃました際に、彼女のお父さんが、「元気が出るまでいつまででもここにいたらいい」と言ってくれた。僕はそれまで堪えていたものがグッと溢れ出し、肩の力が抜けた。その時、自分がやっと帰ってこれたような気がした。
 それから、しばらく彼女の部屋に居候させてもらうことになった。その彼女とは、今の妻のことだが、当時はまだ結婚もしていなかったので、かなり異質な状況ではあったが、彼女のお母さんも「1人くらい増えたところで大したことないから」と言ってくれた。とてもありがたかった。
 思えば、自分はいつもだれかに支えられて生きてきた。人は1人では生きていけないと言うが、本当にそうだと思う。

 妻の家には、ペコ(♀)という名前のシーズーがいた。そう、おだんごだんごのペコのモデルだ。
 いつも座布団の上にちょこんと座っていたペコ。僕がいちばん辛かった時に出会ったペコは、癒しの存在だった。
 ペコはマイペースでおっとりしていて、どこか人間のようだった。いつも毅然としていて、媚びない感じが好きだった。でもトマトをあげるとすぐに食べにくるのがかわいかった。
 ペコと桜を観に、近くの公園まで散歩に行ったりした。くんくんと地面に落ちた花びらに鼻を近付けて、歩き回っていた姿を昨日のことのように思い出す──

 僕は徐々に元気を取り戻し、働けるようになった。そして、妻の実家の近くに家を借りて、そこで制作活動を再開した。
 そこは、お義父さんが紹介してくれた家で、1階は事務所になっていて、2階のふた部屋を間借りさせてもらった。オーナーの方に、古いし風呂もないから住むならタダでもいいと言われたが、それはいけないので、光熱費込みで1万円で住ましてもらうことになった。(それでも破格だ。)
 ひと部屋をアトリエ、もうひと部屋を寝る部屋にし、風呂は近くのジムに行って、鍛えるついでに済ませることにした。確かに古い家だったが、初めて自分のアトリエを持てたことが嬉しくてそんなことは気にならなかった。
 そして、ここからまた、自分は絵を描いていき、社会の中に自分の居場所を作っていくのだという、わくわくと不安が入り混じったような気持ちだった。

odango dango 竹沢 佑真

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