見出し画像

ニューヨーカーたちのパーソナルスペース見習って心の耐震構造強くしてこ★

 たまに水道管破裂を起こしては、その都度修復を繰り返してきた心が、どう直したらいいのか、どこから直したらいいのかわからないくらい、大洪水ど以上に、建物ごと崩れ落ちる時は、心の耐震構造を見直すべきだ。

私の修復の仕方が悪いんじゃない。
ちょっと揺れただけで、全部がダメになって跡形もなくなってしまうような構造をしているのが悪い。
耐震構造10年ぐらいの心を持つには、労力と知恵がいる。
いろんな感情が出入りできるようなマンションがいい。
朝、おはよーっていろんな感情があいさつして、万が一地震がきた時には、いろんな感情が結託できるような。みんなでどこかに避難して、避難所で役割分担なんかしたりできるように避難訓練もさせておきたい私の感情たち。

耐震構造ガチガチの心にするために、日々点検しておきたいなということを考えていたら、ニューヨークのハンバーガー屋さんで見た光景を思い出す。
2年前の秋、現地の映画祭に出るために初めて行ったニューヨーク。

ニューヨークの街並み

お腹が空いてハンバーガー屋さんに入ると、大きなリュックを背落い、大きなキャンバスを持って絵を描く14歳ぐらいの少女が一人でベンチに座っていた。他のハンバーガーを注文したお客さんに混じって彼女も同じようにハンバーガーを待っていたんだと思う。
だけど店内は混雑していた。
正直言って、

なぜここで描く必要が??

などと思ったりもした。
けれど、ニューヨーカーたちは、彼女を邪魔だなどと思わずに、彼女の周りにできるだけスペースができるように端っこに寄っていた。

少女はそれに見向きもせず、Thank you. とも言わず、黙々と絵を描くだけだった。
目の前をいい匂いのするハンバーガーが通り過ぎようが、宗教勧誘をしている全身黒い服をきたおじさん二人が通ろうが。
絵を描く外側で起こることは、彼女には関係ないことで、彼女がハンバーガー屋で黙々とキャンバスに何かを描いていることもその場に居合わせた人間にとってあまり関係のないようなことのように思えた。

彼女が目一杯ペンを持つ手を動かせるように、スペースを空けたというあの光景は、優しさの受け渡しなんかでもなかったのかもしれない。絵を描く人間のためにスペースを空けるということは、

家を出るから、鍵を閉める。

のような、必要だけど必要だともいちいち思っていない、無意識的な動作だった。
誰も少女に話しかけることも、見ることすらしないのだから。

そんな、ニューヨークで生きる人の適度に保たれたパーソナルスペースが当時の私にとってとても心地よく感じたことを今でも思い出す。と同時にここでしか描けない光景がこの街にはあるというメッセージも私は彼らから受け取っていた。
効率が重要視されてしまいがちなこの世界で、効率とは程遠い文化の生成が見知らぬ人によって邪魔されないのが、この街の発展の仕方なのだと思う。

少女はあの街で今も絵を描いているだろうか。

彼らみたいな一定のパーソナルスペースを保った感情たちを心に住み着かせることができれば。
私も耐震構造ガチガチの心を持てるかもしれない。
ニューヨークみたいな、特異な感情の市民を当たり前とする、そんな街だっていつかは。

注文したハンバーガーが来ることだけを楽しみに待つ、欲望に従うそんな住人に絞って、心のマンションの入居者募集したい。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?