映画『EVEREST』をみたよ


 アマゾンプライムに入ったので面白そうな映画ないかなと探して、そういえば見ようと思ってみてなかった映画があったなと思い出したのがこのタイトル。エベレストの登山については書籍やらテレビやらで社会問題とかガイドの問題とか知ってて、特に「シェルパ」という存在が、自分の仕事の考え方において共感できるものがあり知っていた。

 先にシェルパと自分の仕事のつながりについて書いておく。シェルパとはもともと、エベレストの南麗、ネパール東部の山岳地帯に住む民族のことをいいます。ヒマラヤ山脈についての地理に詳しく、普段から高地に住んでいることもあり空気が薄いところでの活動に慣れていて、ヒマラヤ山脈の登山をする人にとってはガイドとして重宝されています。ヒマラヤ山脈の世界最高峰の山、エベレスト登頂を目指す登山家には、優秀なシェルパは必要不可欠です。いまではシェルパという言葉が「案内人」という意味を持つほど定着しており、ひとつのビジネスとして成り立っています。エベレスト初登頂を果たしたエドモンド・ヒラリーにも、テンジン・ノルゲイという優秀なシェルパが同行しました。初登頂を果たした二人にはその後「どちらが先に頭頂に足を踏み入れたのか」という質問をよくされたのだが、二人とも「同時だ」と答えたというエピソードがある。登山家とシェルパとの間にたしかな信頼関係ができていたことを物語っており、この信頼関係こそが、自分が築きたいデータエンジニアとデータ利用者の関係性だと感じました。

 自分はもっぱら、データを集めて集計する環境を提供するという立場におり、データ関連の部門が大きくなるにつれて、データの内容や集計結果が実際どのように活用されているのかについて、評価にも繋がりにくかったということもあり、あまり注目していませんでした。会社としてもデータの利活用を進めてサービスを良くしていこうという方針を掲げていたのですが、データを利用する部門と、データを扱う環境を整備する部門との間には同僚でありながら別会社とやり取りしているような、自身の都合を優先した話し合いになることが多く良い関係を生み出すことが困難でした。データを利用する側はもっとデータを不便なく使いたいと考えているが、無駄が多くデータの処理リソースが必要以上にかかってしまうことが多い。データを管理する側は、安定してコストを抑えてデータ提供することを優先するため、データ利用者からの要望の対応は遅々として進まない。お互いに自身の仕事に責任を持っているだけに譲れないものがあり、なかなか良い妥協点を見つけることができないでいます。この関係性について悩んでいたときにエベレスト初登頂のエピソードを見かけて、お互いに登山家と案内人の専門家でありながら、相手を尊重し合う関係性に感化されました。お互いの抱える事情や背景についてまずは理解しようという姿勢が足りないのだなとこのとき痛感したものです。まずは自分が良き「シェルパ」になろうと考え、データ利用者をサポートするようなチームのリーダーにしばらくなりました。

 シェルパという言葉が自分にどのように関わっているかについて、思いのほか長くなりました。映画を見た感想などをここから書いていきます。映画の内容についてあまり多くを書くつもりはないですが、念のためネタバレ注意です。




 実際にあった事故をもとに、エベレストに挑戦する登山家と、自然の脅威が描かれており、死と隣合わせの登山家たちの心情がよく表現されている作品だと感じました。エベレストのガイドによるビジネスがピークを迎えようとしたときに実際に発生していた、登山中の渋滞の問題、登山家の自己中心的な判断によってもたらされる悲劇、エベレストのゴミ問題といった描写もあり、メッセージ性もとてもある作品です。序盤は高地のキャンプ地で皆が自身の成功を信じ、酒を飲み交わしたり踊ったりと、こんなことここでできるのかと思えるような余裕のある場面が多いですが、中盤以降は様々な視点で自然の脅威をまざまざと見せつけられます。精神的にも肉体的にも追い込まれた状態で、ガイドは互いに連携を取り、みんなを死なせないために尽力する。その姿は確かに応援したくもなるのだが、窮地に陥る要因は登山家あるいはガイドの細かいミスが積もり積もった結果でもある。危険を承知で挑んでいるとはいえ、何かあったときに後悔なく受け入れることは難しい。家族がいるような場合はなおさらだ。ヒューマンドラマ、自然に対する人の無力さ、人によってもたらされた社会問題、印象的なシーンはたくさんあり、見る人によって深く印象に残るものは大きく差があるかもしれない。

 この作品の面白さは映像の中にとどまらず、実際の事故を再現するように描かれていることから、事故について後で調べて映画と比較するように情報を追うことも、人によっては楽しめるかもしれない。この事故を発端として社会問題として大きく取り上げられるようにもなり、その後のエベレスト登山に関する活動にも影響を与えている。また、撮影自体もかなり過酷なものだったと出演者は話しており、演技によって表現された自然に対する恐怖ではなく、実際に体感した恐怖をそのままカメラに収めたような形になったシーンもあるとのこと。凍傷になったスタッフや、命を落としかけたスタッフもいて、撮影現場自体が死と隣り合わせだったことが、結果的に実際にエベレストを登頂しているような映像を生み出したのかもしれない。日本人の出演者もいるため、日本語の記事も多くあり、映画を観た後にこういったメディアを追いかけることもとても楽しい。その時の心情、実はあれはアドリブだったなど、新しい発見が多く得られる。

 映画を見ていて少し感情移入しづらいなと感じた点が1点だけある。それは登場人物たちの相関図というか、誰が登山家で、誰がシェルパで、誰と誰がグループでといった、人に対するラベルがいまいちはっきりわからない点。後半まで名前と顔がはっきり一致しない人物もいた。登山しているとき、顔の殆どが覆われている状態になるため、誰が発言しているのかはっきりしないという場面もあった。シェルパについての詳しい説明があるわけでもないので、シェルパを知らないと「結局なんだったんだ?」となるかもしれない。事前知識として登場人物がどういった役割を担っているのか、シェルパとはなにかというのを知っておいたほうが見やすいだろう。

 記者から「なぜエベレストに挑むのか」と聞かれるシーンがある。これに対して、はっきりとした回答をする登山家はいなかった。これが自分にとっては印象的だった。「そこに山があるから」はある意味登山家たちの合言葉のようなもので、個人のはっきりとした理由を端的に答えてはいない。山を登るのがそれほど登山家にとって自然なことになっているのかもしれない、もはや理由は後付けなんだろうか、という感想とともに、好きだからという次元も超えて、山の魅力にただただ吸い込まれるように足を進めるというのはどんな状態なのだろうという興味も抱いてた。



 この作品を観た人の感想を聞いてみたいという気持ちもあるものの、エベレスト登頂と周辺の社会問題とかに興味がないと、かなり退屈かもしれんという思いもあり、思い切って勧められないというのが正直なところ。メッセージ性は強いものの、人によってはそれが鬱陶しいと感じるケースもあるのでなんとも悩ましい。もし観たよって人がいたら酒でも飲みながら話してみたいものです。

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