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#04 102号室 いももち

「寝坊して楽単落としたけど、
 俺は泣かないと決めた」

隼人にそういってLINEを送ったあと、くしゃくしゃになった布団の上で、朔は力尽きた。

というのは嘘。自分で自分がおかしくなって、笑い出した。こじんまりしたアパートの一室が、壁中こぞって笑っているようだった。
朔はそういう男子大学生だった。

昨日の夜から、次の冒険先はどこにしようかと、
パソコンと『地球の歩き方』をちゃぶ台に広げ、
結局窓の向こうの山際が白み始めるまで起きていたツケが回った。

おかしいなあ。
上の階の姉さんが夜明けとともに仕事に行く音も、
隣の部屋の野球少年たちが、ドタバタ出かけていく音もしっかり聞いた気がするのに。

めちゃくちゃ楽勝な単位、略して『楽単』を、
寝坊で今この瞬間落としたことが確定した21歳の大学生は、おそらくこの楽勝講義開講以来の逸材だろう。

メガネをかけた、ごぼうとナマズを掛け合わせたみたいなお爺ちゃん先生が、ひたすら自分の恋愛経験を学問的に語る『恋愛学』。

それに対して、いかにギャグみたいな芸術的感想を書くか。それプラス一回の恋愛アンケートみたいな試験受けるだけで単位がもらえる、大学の成れの果てみたいな講義なんて、落とせるわけがないのに。

「バカだろお前wwやば」

LINEの通知がスマホ画面に広がり、サークル仲間の友人隼人が画面の向こうで他の奴らと爆笑しているのが浮かんだ。
まあ、これも後々旅先で語る笑いのネタになるから、よしとしよう。

落としちゃったもんはしょうがねえ。
潔く恋愛研究講義に別れを告げて、次に進みましょうか。

そう頭の中で呟いて、朔はちゃぶ台に広げられたままの『地球の歩き方』に向かい合った。
世界が青年に手を振っていた。

秋国 朔は、夕焼け町の隣町にある大学に通う20歳。

漁師である実家は、この夕焼け町から遠く離れた港町にある。家業を継がずに大学生になってからは、
この『こしあん荘』の、抹茶色のドアの102号室に
一人暮らししていた。

毎日海に出る父親の背中を見ながら、3人兄弟の長男として育った朔は、父親が愛する海の向こう側に一体何が広がっているのか、幼い頃から知りたくてたまらなかった。

一方で、小さい頃から木の葉のように舞う船に乗せられていた朔は、自分も長男として父の後を継ぎ、海に愛される漁師になるのだと当たり前のように思っていた。

周りもそうだったから。
大人になればそのまま、親の家業を継ぐことが
地元では当たり前だった。

しかし
転機は朔が16歳、高校1年生の時に突然訪れる。

北の果ての海辺の町から、遥か南の新天地へ転校していった親友に会いに行くために、ヒッチハイクをしたのである。

免許もない。お小遣いも足りない。
バイトもしていない。でも朔は、親友に何としても会いに行きたくて両親に直談判した。

息子の真剣な眼差しに父が出した答えは、
「自力で行け」
だった。

最初は徒歩で行けと言っているのかと絶句した。
しかし海を見ているうちに
「そうか、いろんな人を頼ればいいのか」
と思い立ったのであった。

リュッサックに、地図やら懐中電灯やら、ポテトチップスやら寝袋やら、役に立つのかわからないものをぎっしり詰めた息子を、高速のインターまで送って行った母は、内心不安だったに違いない。

いくら日本とはいえ、何百キロという道のりだ。

しかし、そんな心配とは裏腹に、16歳の少年の顔は興奮で輝いていた。

初めて、生まれ育った街を離れる朔の心はどこまでも青く、春風の吹き抜ける海原のようにキラキラとしていた。

それから手作りの看板を掲げ、親指を道路に突き出し、いろんな人に拾われながら、朔はいくつもの街と、山と、川を越えた。

そんな16歳の少年を、たくさんの人が目に留め
その若さと、触れれば弾け飛んでしまいそうなエネルギーに微笑み、頷いたのだった。

大型トラックの運ちゃん。
賑やかな旅行中の大学生。
生まれたばかりの赤ちゃんを乗せた家族連れ。
熟年夫婦みたいな若いカップル。
言葉の通じないインド人のおじさん。
いろんな人に朔は出会い、別れた。

自分の人生の一点で一瞬巡り会い、そしてまた過ぎ去っていく。その一つ一つの出会いが、朔の中に何か熱く、儚く、美しいものを残していった。


途中まで
親友の住んでいる街の名前を間違えて覚えていて
別の方角に向かっていたために
丸一日無駄にしたと気付いた時から、
朔の中では『人生はネタ探し精神』が生まれたのであった。

朔はその旅から帰ると、
「漁師は継がず、大学に行きたい」
と両親に告げた。

海の向こうにある世界を、自分の足で見に行きたい。会ったこともない人たちと、語り合ってみたい。見たこともないものを、探しに行きたいから。

父と母は少し寂しそうに、それでも微笑んで
「わかった」
と言った。

それから大学に上がった朔は奨学金を借りつつ、
夕焼け町の居酒屋でアルバイトをしながらお金をコツコツ貯め、真っ赤な60Lのバックパックを買った。

その大きなバックパックに人生を詰め込んで、
長期休みのたびに海の向こうの世界を旅するようになった。

次はモンゴル平原を目指すことに決めていたのだが、その計画が楽しくなった矢先の楽単落第。

「やっちまったな」
と人ごとのように頷いた朔はふと、腹が減っていることに気づいた。


「なんか作るかあ。恋愛学の講義に歴史も刻んだことだし」

旅の記憶を辿っていた朔の頭に、ポンと浮かんだ食べ物があった。

「あー、いももちか」

ヒッチハイクをした初日に拾ってくれた、軽トラの老夫婦を思い出す。

二人乗りのオンボロ軽トラの真ん中にかろうじてスペースを作ってくれ、違法だよな..と思いながら3人乗りしたのだ。

「お前、泊まってくとこあんのか?」
農村地帯の里から、街まで娘夫婦に会いにきた帰りだったらしいツナギ姿の旦那さんが、夕暮れの迫る田んぼ道を猛スピードで通り過ぎながら、朔に聞いた。

「いや....全く決まってないけど、寝袋あるから
どっかのパーキングの待合とかで寝ようかなって思ってます」
「そんなのだめだあ」
日除け帽を被ったしわくちゃの奥さんが、朔の左から言った。

「うちに泊まってきな。この道の先にあるから。 
綺麗じゃあないけど、子供達が使ってた布団もあるから」

「まじか、やべえやったあ!あざっす!!」
と16歳の朔は思わず叫び、しかめっ面だった旦那さんが思わず吹き出した。

その晩。
使い込まれた古民家の中で、静かな秋の虫たちの声を遠くに聞きながら、昨日まで名前も顔も知らなかった2人と一緒に朔は食卓を囲んでいた。

その時、腰の曲がったそのおばあちゃんが作ってくれたのが、いももちだった。
朔は、一口食べてほっぺたが落っこちそうになった。

こんがりバターでカリカリに焼き上げられたまあるい餅。もっちもちのじゃがいもの甘みが、砂糖と醤油、みりんで作られた甘じょっばいタレと絡んで、
口いっぱいに広がる。 

もともと土地の名産物だったが、朔の母は別の土地から嫁いで来ていたため、秋国家の食卓で目にしたことはなかったのだ。

朔があんまりうまいうまい!と言うものだから、
おばあちゃんが得意顔になってレシピを丁寧にメモに書き、渡してくれたのだった。

旅先で出会った初めての料理は、それからもずっと、朔の脳裏に焼きついていた。

「もう、いももちしかねえな」

そう言って朔は、使い古したトラベルノートを引っ張り出し、だいぶ黄ばんでしまったおばあちゃん手書きのレシピを見つけた。

上の階の、農業女子からおすそ分けしてもらったじゃがいももまだ2、3個残っている。
完璧だ。

寝起きのスウェット姿のまま、耳にかかったドレッドヘアを払いのけ、朔は台所に立った。

鍋に水をたっぷり張って、火にかける。
皮をむいたじゃがいもを、適当に薄く切る。
水にさらす。

グツグツ湯が沸いたら、ジャガイモを入れて
そのまま竹串がすっと入るようになるまで茹でる。

さて。
グラグラと湯が沸いてじゃがいもが柔らかくなったら、熱湯をちょっぴり残して、あとはなげる。

それからほっくほくのじゃがいもを、
とんとんとんとおたまの裏でとろとろになるまでマッシュ。

それから片栗粉を、これでもかってほど加える。

火傷しないようにちょっと冷まして、手を真っ白にしながら、こねる。
そうすると、べちゃっとしたじゃがいもが、弾力のある餅になる。

そこに、
塩と胡椒をちょっと加えて、とろけるチーズを練りこむのがミソだ。

あとは、あっためたフラインパンにバターを熱して、じゅわーっと焼くのだ。
甘じょっぱい香りが、102号室の台所に広がる。

「よっし」

こんがり焼き上がったいももちを皿に並べると、
ちゃぶ台の上の『地球の歩き方』をちゃんと整理した。
麦茶をたっぷり注いで、食卓につく。
窓の外から、明るい冬の日差しが入り込み、
朔を照らした。

「いただきますっ」
と、一口かぶりつくと、あの時のおばあちゃんの
得意そうなドヤ顔と、寡黙なおじいちゃんの
「ちゃんと食え」の優しいしゃがれ声が、浮かんでくるようだった。

モンゴルに行ったら、草原の上で、
楽単落としたネタを肴に遊牧民とこれを食おう。

朔は、心に決めた。

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