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#297 選択肢がいろいろあって選べない、というお悩み

先週、とある知人とした話をもとに、今日は放送してみたいなと思います。
まず、誰とどんな話をしたのかというところですが、私たちが運営するオンラインスクールの卒業メンバーに、新聞社に勤務するAちゃんがいます。
Aちゃんは今、社会部の記者として仕事をしている。
Aちゃんが今、「育休中に学んだり、コミュニティに所属したり、いろいろオンラインで活動する人って多いよね」そんなテーマを取り上げた特集記事を書きたいということで、その雑談と取材を兼ねた話をしていました。
Aちゃんはその記事のために、いろんな人に取材を重ねてきているということだったのですけれども、ユーザー側の取材の中で、「いろいろあって選べない」と言っている人が多いんですよね。
こんな話題が出ました。
ここで言う”ユーザー”というのは、育休中に何かしたいとか、学びたい、こう考える人ですよね。
そういった人が「選択肢が多いのはいいけれども、いろいろあって選べない」という話をしていた。
今日はこれについて放送で取り上げながら、皆さんと一緒に考えたいなと思います。

選択肢がいろいろあって選べない、というお悩み

まず「今、何かしたいな」と思った場合に、選択肢が増えた感覚って皆さんありますでしょうか?
これ、めっちゃありますよね。
まずオンラインという選択肢が広がったというのがすごく大きいですし、今は有料から無料まで本当にいろいろあるなって思います。
例えば、セミナーといった機会もそうだし、検索すればいろんなテーマに関して動画もあるし、音声メディアもあるし、コミュニティという形式もあれば、オンラインサロンとかスクールとか継続的に所属するという選択肢もあるなって思います。
そういった中で「いろいろあるからこそ、なんか選びにくい」とか、「何を選べばいいのか分からない」問題、もうこれは絶対についてくるし、その通りだなって思いますよね。

対処療法的に学ぶのか、予防的に学ぶのか、の観点

ここから選んでいくという中で、選択軸もさらにいろいろ持ちようがあるなと思うのですけど、今日は一つ着眼点を投げ込んでみたいなと思います。
その着眼点は何かというと、『対処療法的に学ぶのか、それとも予防的に学ぶのか』こんな考え方してみたらどうだろう?ということをシェアしてみたいなと思います。
完全なる私の造語と分け方なので、皆さんは「そういう考え方もあるのね」ぐらいな感じで聴いていただければと思うのですけれども。

「対処療法的に学ぶ」ということと、「予防的に学ぶ」ということ、そもそもどういう意味ですか?何が違うんですか?これを整理したいと思います。(小田木見解ですけれども。)
対処療法的に学ぶ」というのは、すでに起こっている問題に対して手を打っていく。そのために学ぶということですね。
例えて言うならば、走ってズッコケて、膝を擦りむいたので、絆創膏を貼るみたいな。
例えが良いのか悪いのか分かりませんが、こんな感じですね。
予防的に学ぶ」というのはどういうことかというと、気付いていない課題を明らかにして手を打っていくということかなと思います。
例えて言うなら、健康診断を受けて、そこで課題を発見して、対応をしていく、備えていくみたいな感じですかね。

今、「起こっている問題」という言い方と、「気付いていない課題」という言い方をしたのですけれども、問題と課題って何が違うのか?ということですけど、問題というのは、起こっているネガティブな事象、すでに起こっているネガティブな事象。転んで怪我しちゃったとか、こういう感じですかね。
課題というのは、その問題を解決するためのテーマ、これが課題かなと思います。
例えば、転ばないように、どうしたら足を高く上げて歩けるか?こんな感じですかね。
ちょと例えが分かりにくいかもしれない。

今回の対処療法的な学びと予防的な学びに、さらにイメージを膨らましてみれたらと思うのですけれども、例えば、今起こっている事象が「いや、なかなかうまく両立できないな。自分の時間が欲しいけど、なかなか自分の時間が持てないんだよね。」だったとするじゃないですか。
これに対して対処療法的に学ぶというのは、「じゃあ、時間術を身につけなきゃ」こんな感じで学んでいくのが、対処療法的。
予防的に学ぶというのはどういうことかというと、そもそもうまく両立ができていない、これは何によって発生するのか?というのを一段掘り下げて考えた時に、やみくもにいろんなことに手を出しちゃっているから、うまく両立ができていないってことに方向性を定めれば、たぶん自分の軸を明確にするということになると思いますし、そもそも忙しいわりに成果が出ていない、もしくは目的を達成できていないってことであれば、目的や成果を定義するための言語化力を磨いたり、もしくは状況を整理するための論理的思考を磨くというのが、課題の方向性になるかなと思います。
こうやって考えてみると全然違いますよね。
起こっている事象は「うまく両立できない」だったとしても、「じゃあ時間術だ」と学んでいくのか、それとも、そもそもというところに立ち返って、「自分の軸を明確にしよう」とか、「目的や成果を定義する力を磨こう」こんな感じで手を打っていくのか?ここの違いがあるんじゃないかなと思います。

今、自分により必要なのはどっちか?という観点で選ぶ

くれぐれもこれはどっちが良い悪いという話ではなくて、例えば、対処療法的な打ち手が必要なのか?それとも予防的な打ち手が必要なのか?
今、自分により必要なのはどっちか?という観点で、自分で選べるということが大事ですよね。
対処療法が今必要なのか?予防が必要なのか?ということを自分で選択する。
そのためにどんなことから考えていくかというと、いろいろあると思うのですけれども、例えば、今どれくらい時間があるか?とか、どの程度時間を投じられるか?によって違いますよね。
対処療法だったら、たぶん単発ごとのセミナーとか、日常の中で継続的に続けられる(このVoicyもそうかもしれないですけれども)、そういった手段が適切かもしれないですし、逆に、育休でまとまった時間があるとか、腰を据えて何かやるということができるのであれば、予防的に体系立った何かを学ぶということもありなのかなって思います。

あと、投じられる時間以外でいくと、課題が明確なのか?明確でないのか?というところで分かれる可能性もありますよね。
課題が明確、患部がはっきりしているのであれば、これも対処療法的にそこに手を打っていくっていうことが有効だと思いますし、例えば「なんかうまくいかないんだけど、何が悪いのか分かんないんだよね」とか、「モヤモヤしちゃってるんだけど、どうしていいのか分かんないんだよね」レベルであれば、課題の整理だとか、特定ができそうな場や機会を選んでいくということができるのかなと思います。

あと、選び方としては、何のためにそれをしたいのか?とか、どうなりたいのか?ということに即して決めていくと、振り回されず、自分で決めることができますし、「なんかいろいろやったけど、結局何がしたいんだったっけ?」とか、こなすことが目的になっちゃうといったことも避けられるじゃないかなと思います。

ということで、「いろいろあって何にしていいのか分からない」という中に、対処療法的に学ぶのか、それとも予防的な学びが今必要なのか、着眼点を持つことで選べるようになる。みたいなテーマで話をさせていただきました。

まず動いてみて、体感してみて、試して決める

今、選択肢も増えている一方で、本当にいいなって思うのは、選び切る前にいろいろ試せるという状態にあるのも、今のすごく良い点かなって思います。
ということは、自分に100%合った選択肢を選ぶことに時間を割くよりも、「うーん」って言いながら動けないよりも、まず動いてみて、体感してみて、試して決めるということができるのも、今のすごい魅力的な部分なのかなって思うので、「何が合っているのか分からない」という中では、方向性をある程度定めながら、試しつつ決めていくということもできるんじゃないかなと思いました。

ということで、今日は先週のAちゃんの話から、対処療法的に学ぶのか、それとも予防的に学ぶのかという観点で、徒然な話をさせていただいきました。
お聴きいただきありがとうございます。

それでは、今日も一日良い日にしましょう。

小田木朝子プロフィール

「仕事が好きだし、楽しいと言い合える女性が増えることが喜び」小田木朝子(おだぎともこ)です。
このチャンネルは両立女性のためのオンラインスクール育休スクラから出産後の変化を柔軟に乗り越え、仕事がもっと楽しくなる“知恵とヒント”を平日の毎朝配信しています。2回の育休を経て、現在人材育成・組織開発を行う株式会社NOKIOOの役員をしています。
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