おだぶんの「日々雑感」10 番外編『乳白色の思い出』

こんばんは。おだぶんです。

今回は投稿10回を記念して、短編小説を寄稿します。今日はお盆の送り火ということで、「お盆」にちなんだ内容です。一晩で書き上げたので上手く出来ませんでしたが、ご愛嬌ということでご了承下さい。

『乳白色の想い出』

「それじゃまたね。飲み過ぎないでね。」

妹夫婦はそう言い残して帰って行った。

誰もいない部屋で、私は一人温くなった水割りのグラスを手に、ぼんやりしていた。

今日はお盆の送り火。今年の春先に亡くなった母の新盆で、久々に妹夫婦と会食した。

妹夫婦も共働きで忙しくて都合がつかず、結局はお盆最後の日になってしまった。

私は送り火の代わりに、仏壇にお燈明の蝋燭を灯した。

仏壇の脇には15年前に死んだ父と、まだ新しい母の小さな遺影が並んでいる。そのそばで、盆提燈がゆっくりと回りながら、赤や青の彩りを交え乳白色の光を放っている。

この盆提燈は、父の新盆の時に私が買ったものだ。以来夏に実家に帰ると、私が組み立てて飾るようになった。私はこの盆提燈の幻想的に光る姿が好きで、お盆で帰った時は、必ず仏壇のある部屋に床を取った。

今日も同じように仏壇の前にペタンと布団を敷いた。

違うのは、母がいないこと。

母はいつもならこの時間はテレビにかじり付き、好きなクイズ番組を見ていたのだが、今はもうその姿が無い。静まり返った部屋は、時折りブーンと唸る冷蔵庫のコンプレッサーの音が聞こえてくるだけだ。

私は薄くなった手元のグラスにウィスキーを足して,氷を入れた。

私は二年前に離婚し、それを機に仕事を辞めて、実家に戻って来た。しかし、母がいたので、独りぼっちの寂しさを感じる事は無かったが、いざその母も居なくなると、独りの重さがズシッとのしかかり、改めてそれを痛感させられ、途方にくれている自分がそこに居た。

布団の上にあぐらをかいて、カラカラと鳴るグラスの酒を嘗めながら、くるくる回る盆提燈を眺めていた。ゆっくり目を瞑ると、まぶた越しに乳白色の暖かい光りを感じる。

そしてまた目を開けて酒を飲み、また目を閉じた

・・・

何度か繰り返しているとそのうちに、フッと意識が飛ぶのを感じた。

そして、乳白色のくるくる回る光に、すうっと体が溶け込んで行くような感覚に捉われた・・・

なんだろう⁇この感覚・・・

フッと意識が戻った。

太陽が眩しい。空は真っ青で夏雲が湧いている。

パタパタと、洗い立てのシーツがはためいている。

なんだろう?ここはどこだ?

洗濯物から、懐かしい粉石鹸の香料の匂いがする。今のような柔軟剤の強い匂いではない、安っぽく淡い香りだ。

辺りを見回すと、周囲がやたら大きく感じる。それにこの場所、だだっ広いビルの屋上のようだ。

「!!」

そうだ思い出した!!。ここ、私が幼児期に家族と暮らしていた、船橋のあのビルの屋上だ。

ビルと言っても父の勤める店の建物で、アーケードに面した四階建てのちっぽけなものだ。貧しかった私たちの家族はそこに住まわせてもらっていた。もう五十年も昔の事だ。

確か目の前に、大神宮の鳥居があったはず。コンクリの塀をよじ登り外を見ると、確かに石段と鳥居がある。

間違いないない。

それにしても一体全体どうなってるんだ?私には皆目見当がつかなかった。

シャーっという水音に気付き、振り返るとそこに誰かがいた。

「!!」

そこにいるのは、まだ三十代の若い父の姿だった。ランニングに短パンで、ホース片手に植木に水をやっている。近づくと父は私より遥かに大きい。

父は小柄だったので、私が中学に上がる頃には背丈を追い越したはずなのに。

違う。私が小さいのだ。幼児に戻っているのだ!!

父は私に気付くと、八重歯を見せてニヤッと笑い、ホースの先を絞って私の顔に水を吹き付けた。

『冷たいっ』

声が出ない!!

父は何も言わずに、また植木に水を撒き始めた。

死ぬ間際のあの衰弱して小さく枯れたような姿からは想像できぬほど、若い父は頼もしい背中をしていた。

私はまた塀をよじ登り、外を眺めた。南風が潮の香りを運んで来る。タワーマンションが立ち並ぶ現在の船橋界隈とは違い、屋上からは船橋駅前の西武デパートがよく見え、総武線の高架を、黄色い電車と房総へ向かうディーゼルカーがすれ違うのが見えた。

私はまた目を瞑った。そして乳白色の光の中に吸い込まれて行った・・・。  

スウッと意識が戻り、わたしは眼を開けた。

凄い人混みだ。目の前には女性の足や大きなお尻が見える。まるで大根の見本市のようだ。どこだここは⁇

私は買い物かごの裾を掴んでいた。

見上げると、なんとそこには若い母の姿があった。

大昔に流行ったクルクルのパーマで、エンジのスカートにつっかけを履き、背中のおんぶ紐にはまだ赤ん坊の妹がくくりつけられている。

見回すと、八百屋の売り声とかごに並べられた野菜や果物、魚屋のぶっかき氷を敷き詰めた木箱に、でっかいハエがブンブンたかるのが見える。

そうだ、ここは近所の商店街だ。見上げると空は茜雲、どうやら夕方の買い物ラッシュのようだ。

踏切の鳴る音が聞こえる。振り返ると肌色と赤のツートンカラーの京成電車が通過するのが見えた。

私は一人で留守番するのが怖いので、いつも母の買い物にくっついて行く子供だった。行くのはいいけど、途中で必ず退屈してグズり、母の手を煩わすのだ。

お菓子屋の前でねだって動かなかったり、公園のブランコを見つけるとすっ飛んで行ったりと、中々買い物が進まない。そんな母は私がグズりそうになると、肉屋に寄って「コンちゃんソーセージ」を握らせるのだ。このソーセージ、当時テレビで人気者の大村崑さんのキャラクターをあしらった魚肉ソーセージで、私の好物だった。

見上げる私の目を見ると、母は肉屋へ向かい、棚にある缶に入ったソーセージを取り、私に握らせた。

母は肉屋の店主に二言三言話しかけると、店主は経木に挽肉を乗せて秤にかけて、紙紐でクルクルと結わいて包み、母に手渡した。

母は私の手のひらを強く握ると、強引にスタスタと歩き出した。背中の妹は眠りこけている。

私はエンジ色のスカートに包まれた、母の大きなお尻を見ながら、引きずられるように歩いた。

そしてまた眼を閉じると、乳白色の光の中へと吸い込まれた。

次に目を開けると、目の前にバースデーケーキがあった。昔懐かしいバタークリームのデコレーションケーキには、5本のローソクが灯されている。

5歳の誕生日だ。テーブルにはささやかなご馳走が並べられている。どれもこれも、私の好きなものばかりだ。

横にはオカッパ頭の妹が、親指をくわえながら身を乗り出している。

母がファンタオレンジの栓を抜いて、私と妹のコップに注いでくれた。

パチパチパチ、母と妹と手を叩いて、私は歯を剥き出して喜んでいた。

程なく父が帰って来た。近所で飲んだのか、赤ら顔で上機嫌だった。帰るなり父は戸棚から懐中電灯を取り出すと、私に手渡した。

父はプレゼントやお土産を買って来ると一階の玄関に置き、階段の明かりを消して、私に取って来させるといういたずらをした。臆病で怖がりの私は嫌だったが、一階に行かないと望みの品が手に入らないので、懐中電灯片手にビクビクしながら四階から下りて行くのだった。ヒッタ ヒッタ ヒッタと、恐る恐る真っ暗な階段を下りる。途中でカタリと不審な音でもしたら、泣いてチビるかも知れない。それでも勇気を振り絞り、何とか一階の玄関に辿り着き、辺りを懐中電灯で照らすと、水色の包装紙に包まれ、リボンのかかった小さな箱が目の前に現れた。

その瞬間パッと階段に明かりが灯り、見上げると四階の踊り場から父がニヤッと笑っているのが見えた。

そのまままた乳白色の光が現れて、父の顔がフェードアウトして行った。

浅い眠りから醒めた感覚を覚えて目を開けると、目の前には常夜灯の仄暗い光が見えた。どうやら私は夜中に目を醒ましたようだ。足元から扇風機の緩い風が送られ、枕元の蚊取りマットから、甘い薬品の香りがしてくる。静かな夏の夜更けだ。

暑くて欝陶しいので、かけてあるタオルケットを足元へ追いやり寝返りを打つと、父の背中が見えた。

子供の頃は、狭い部屋で父と母に挟まれて、私と妹は寝ていた。私は父の背中に鼻を近づけて息を吸い込んでみた。懐かしい父の匂いがした。決していい匂いではないが、子供の頃この匂いを嗅ぐと、何故か妙に安心したものだった。

父とは物心ついた思春期以降は口すらもきかなくなって、そのまま大人になり、そんな気持ちや感覚は一切忘れていたが、今はっきりと思い出した。

スーッと、襖が開く音がした。

私は目を固く瞑り、眠ったふりをした。

薄目を開けると、頭にカーラーを巻いて化粧を落とした、寝巻き姿の母が見える。

母は、足元に追いやったタオルケットを私の肩の辺りまでかけ直してくれた。

耳元で、カリッカリッカリッと、目覚まし時計のゼンマイを巻く音がした。

ああ、なんというこの例えようのない気持ち・・・

何の不安も無く、満たされ、そして守られて私は育ち、そして今の自分がいる、そんな当たり前の事が、これほどまでに素晴らしい事だったなんて・・・

かつて私も子供の親だった事もあった。しかし私は子供たちにこのような安心感を示してやれていたのだろうか?

幸せをもらう、愛をもらう、そしてその幸せと愛を自分の子供や孫に与える。それが永遠に繰り返されて紡がれていく、幸せとは永遠に紡ぎ続ける糸巻き作業・・・それが今、ようやくわかったのだ。

「父さん、母さん・・・」

やっと声が出た。しわがれた低い声で目が覚めた。

いつしか眠ってしまったようだ。

確か布団の上にあぐらをかいてぼんやりしていたはずなのに、どうしたことか、肩までタオルケットがかけてある。

枕元には、すっかり氷が溶けた水割りが、そっくり置いてあった。

盆提燈は相変わらず暖かな乳白色の光を回転させている。

仏壇に目をやると、小さな遺影の父と母がにっこり微笑んでいる。

「ありがとうな・・・」

私は小さく呟いた。そして盆提灯のスイッチを切った。

時計を見ると5時少し前、私はカーテンと窓を開けた。東の空が少しずつ明るくなり始めている。冷んやりとした風、秋の虫が勢いを増して鳴いている。

お盆が終わり、風の中に季節が変わろうとしているのを感じた。

どうやら父と母は、無事にあちらの世界へ帰り着いたようだ・・・

(注)この話はフィクションですが、回想シーンはほぼ事実です。父はいませんが、母は今でも健在です。それから離婚もしておりませんのであしからず(笑)


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