夜を蹴飛ばせ!


自分の弾き語り活動について思い返してみると、変だったなーと思って、初期は自分でも理解できていない意味不明な歌詞を羅列し怒鳴り散らすみたいな芸風だって、やれ田舎の国道に俺は幽閉されて死んでいくんやとか世界の実態は結局滅びなんだみたいなことを自嘲を装って歌っていたなと思う。
そういうのばかりではやっぱり観客が、サーッと引いていったり、こいつはいったい何を言ってるんだ?みたいな不思議な感じになったり、ひどい時は俺はこいつのいうことに腹が立つなぜなら陰気だからという刺青の入った反社っぽいにいちゃんに殴られそうになったりして、怖いのと、やっぱり伝わらないって辛い、しんどいから、最近は季節や情景などついてちゃんと歌おうと思って、半年くらい前からその方向でもやっていけるかなと手応えを掴みはじめたところって感じ。捻くれず、素直に自分がいいなと思うものを歌にできるようになってきたと、まだまだなんだけどちょっとした自負はあるのである。そうするとやっぱりお客さんにも伝わりやすい、あの曲良かったですよとか前より言われるようになってきて、嬉しい。それはコツコツ続けようと思うのだ。歌ってるのは自分のほんとの気持ちだし。
で、なぜそんな自分がややこしい行程を歩んできたのかというと、高校生時代にパンクロックというこの世で最凶、最悪の部類にあたる音楽ジャンルを聞いてきたからである。
高校の時、ガラケーのEZウェブというのがあって、そこからMP3の音源を掲示板から違法ダウンロードして、たくさん聞いていた。
頭脳警察というバンドが好きでブラッドブラッドブラッドという曲を学校の行き帰りで、ジャリジャリの音源を音漏れさせながら100均のイヤホンでループさせていた。「てめぇの内臓引き裂いてばら撒いても、腹すかした野良犬どもさえ鼻つまむだけさ」という歌詞にうおおお俺はなんかすげえもんを聞いてるぜと興奮したものだった。だからと言って、部活の先輩や顧問に反発したり、先生とやり合ったりとかはしなかったのだけれど…。てか、そんな反抗するような動機になるアレもなかった。みんな優しかったし。でもなぜか聞かざるおえなかったのだ。自分の性格が嫌だったり、どっちかというと自分への怒りだったのかもしれない。
頭脳警察とか、バックホーンのインディーズ盤とか、INUとか初期のエレカシとかを聞いていた。友達にも家族にも言えなかったけど。兄貴が俺の持ってたSTOP JAPを盗み聞きして、めっちゃキレていた。こんなもんどこがええねんって。どこがええかわからんのがええねんと俺は言った。そして、弾き語りの音楽活動をはじめた際も、その最凶、最悪な感じを引き継いでやっていきたいと勝手に思っていたのだった。

で、最近PANTAさんがお亡くなりになられたのをTwitterで知った。72歳らしい、遠藤ミチロウの時も早いと思ったが、それよりは長生きだがそれでも早いと思ってしまう。4年前ぐらいに磔磔にアナーキーとの対バンを見に行って、めちゃくちゃ声出てたから勝手にまた見れるものだと思っていた。だから少しショックだった。ご冥福をお祈りします。

頭脳警察を筆頭とした最凶、最悪なパンクロックは俺にとってアジールだったし、どうしようもなく辛く悲しい時にもうそれにしかすがることのできない最終救済措置だった。頭脳警察とか好きなんですよとかライブハウスで話すとおじさんにマウント取られたり、それにしては甘っちょろいなみたいなこと言われるんだけど、お前に俺の何がわかるんやと言いたい。音楽的にパンクロックを聞いてきたのが、ポジティブに作用してるかはわからない。でも、忘れたくないのは間違いなくあの時のどうしようもない焦燥感、孤独感のなか、俺だけの世界がそこにあったのだ。だからそれは共有できない、しようと思ったら相当工夫しなきゃいけないんだなと学んだ。しばらくは、自分の心の棚に入れておくんだと思う。

誰かが亡くなったことに、何か言うことができないのはわかってるし、あやかって何か言うのは嫌いだし、この文章もその可能性をはらんでいることもわかっている。ただ、何か心に欠落感みたいなものがあって、どうしても書いてしまった。自分にとって大事な思いをどうしても書かざるおえなかったのである。俺は俺の踊りを踊り続けたいから。



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