見出し画像

第3子 約900gの小さなお姫様【超低出生体重児】

よろしかったら前の出産日記も読んで頂けると嬉しいです😀
車で産まれた第1子→https://note.com/octorgironman/n/n7e3583ab359b
のんびり産まれた第2子→https://note.com/octorgironman/n/nf160adc11513

●超低出生体重児の第3子

これは今でもあの当時の不安を覚えてます。
とにかく心配だった…
予定よりも約3カ月早く産まれました。
産まれた時約900g。
1kgも満たない超低出生体重児ちゃんでした。

●夜中に突然の破水

突然夜中に妻に叩き起こされました。「やばい、破水した!」と。

2人ともパニックでした。まさか!?と思いましたが、すぐに産婦人科に電話して時間外ですが緊急の診察ということで診てもらうことになりました。

前日までそんな予感はなく本当に突然でした。

ただ今思うと前日一番上の子のサッカーの試合を見に行っており、かなり寒い日だったので長時間立ちっぱなしで身体を冷やしすぎたのも良くなかったかなと思います。

自分の親に連絡をして子供2人をお願いしてすぐ出発しました。

妻は不安と心配で泣いていて、僕も不安でしたが堪えて「大丈夫。ちゃんと診てもらってこの子を守ろう」とかいろいろ声をかけてました。

●診察、そして大きな病院へ…

産婦人科に着き診てもらうとやはり破水しており、紹介状を書いてもらって大きな病院に行くことになりました。

そして妻は救急車に乗り病院へ。僕は後ろを自分の車でついていきました。

大きい有名な某病院に着いて診察、そのまま妻は入院しました。

「どうなるんだろう…」という不安で押し潰されそうでしたが、妻は僕よりももっと不安で心配だろうし、家にいる2人の子供も心配なので一旦家に戻り少し休んでから子供の幼稚園の準備などをしました。

妻の母と僕の両親にたくさん助けてもらいましたが、この日から当分の間は僕がこの2人の子供の面倒を見ていました。

幼稚園の準備、お風呂、ご飯…でも仕事もある。

必死でした😣

余談ですが子供が「お弁当に玉子焼きいれて!」と言ったので、作るものの全然うまくいかなくてほぼスクランブルエッグになってしまいました。

「ごめん、パパ料理ヘタクソで変な玉子焼きになっちゃたから嫌だったら残してね。」と持たせたらちゃんと全部食べてくれて「おいしかったよ!」と言ってくれました。泣きそうになりました。😥

そして妻が入院して数日、先生が話があるとの事でした。

●現在890g、産むという決断

妻の病室にいると先生が来て話をすることに。

「このままお腹の中にいても羊水が減っている状態ですし母体感染や合併症の可能性があり危険です。産んだほうが安全です」との事でした。

1㎏も満たないし予定より3か月も早い…

知識が無くてすごく不安になりましたが、妻とお腹の子供が安全な選択が一番いいと思いました。

それからNICUやGCUの話を聞いて妻と相談して産むことにしました。

NICUとは?→新生児の(Neonatal)集中治療室(ICU)。低出生体重児(未熟児)や、先天性の病気を持った重症新生児に対し、呼吸や循環機能の管理といった専門医療を24時間体制で提供する。厚生労働省の施設基準などで、新生児科医師の常勤や、産科や小児科から独立した専従の当直医の設定、看護師1人に対し患者は3人以下、などの条件が定められている。

GCUとは?→GCUは「Growing Care Unit」の略。「継続保育室」「回復治療室」「発育支援室」など、さまざまな訳語が当てられています。NICU(新生児集中治療室)で治療を受け、低出生体重から脱した赤ちゃん、状態が安定してきた赤ちゃんなどが、この部屋に移動して引き続きケアを受けます。赤ちゃんの体重や状態によっては最初からGCUということも。ちなみに、NICUのある病院には必ずGCUもある、というわけではありません。

簡単にいうとNICUは保育器などを使用しお母さんのお腹の中の環境に近い状態ですね。GCUはその次の退院に向けてのステップです。

●出産、そしてNICUへ

そして手術日になり妻は手術室へ。
帝王切開が無事終了して産まれましたよという報告をたしか1時間半後くらいに受けました。まだ肺の機能が完全ではない状態だし、未熟児なのですぐに会うことはできませんでした。

ただ無事に産まれて、妻も無事と聞いて少し安心したのか涙が出てきて1人で泣いてました😅

そのままNICUに向かう途中で会う事ができました!

画像1

やっぱり小さいな… たくさん管に繋がれてるな…

不安でしたが、嬉しい気持ちがすぐに込み上げてきました。
無事に産まれてくれてありがとう。

頑張って大きくなって退院しようね。と声をかけてそのままNICUにお世話になることに。

数日後に妻と2人で先生の話を聞きました。

未熟児の場合こういう可能性があります。という話を聞きました。

病院側にはもちろん説明する必要、責任がありますからね。

ただ聞いてくうちにどんどん不安が強くなっていくのがわかりました。この子は将来大丈夫なのかな?と。

でも妻も僕も何があってもこの子はちゃんと育てるという覚悟があったので最後までしっかり聞いて、手術後の妻は身体が回復するまでしばらく入院し、妻が帰ってくるまで子供2人とたくさんの人に助けてもらいながら日々を過ごしていました。

●NICUからGCUそして退院へ

画像2

妻も無事退院してからは昼の時間に妻が、夜は僕がNICUに仕事や用事で行けない日もありましたが、ほぼ毎日行ってました。

僕はいつも22時くらいだったかな。

母乳が大切で必要との事だったので搾乳器で採った母乳を母乳パックに入れて冷凍保存し、それを届けに行っては、保育器の前に椅子を用意してもらい座りながら子供を見てました。

先生の話だと母乳はミルクでは補え切れない力があるみたいです。

家族の誰かがインフルエンザに感染したりするとNICUの中にはもちろん入れず入口まで担当医さんや看護師さんが取りに来てくれました。

それ以外のケースでもNICUに入室中の子供達の多くは免疫力が特に弱く、入室時はマスク着用と手洗い、アルコール消毒は必須でした(何か服みたいなものも借りたかもしれませんがあまり覚えてませんすいません…)

行くたびに設備や看護師さん達を見て安心感を得てました。

僕がNICUって場所を知らなかっただけだったんだと。

また上の2人の子供や自分の両親などは入室できず、別室でモニター越しで見ることができました。

それでも見れた時両親は喜んでたな😊

そして順調に育ってくれて次のステップGCUへ!

画像3

繋がれてる管が減った、保育器から出た…

ちょっとずつ成長してくれて、その度に嬉しかったです。

GCUは妻と2人で行った時もあったし、抱っこできる時間も多く不安はそこまでありませんでした。

そして無事退院する事ができて我が家にやってきました!!

上の子2人は嬉しそうだったな😊

●そして今現在はというと…

すくすく大きくなってくれて(特に横に…w)元気に幼稚園に行ってます。

画像4

絵も上手?に描けるようになりました😊
2歳前頃は風邪をすぐに引いたりしてましたが、最近は体調もあまり崩さなくなりました。

家でも上の子2人に負けじと元気によく遊んでます(少しうるさいくらいw)

ただ言葉が少し遅れてる気がします。

もう少し喋れてもいいよなと。あと背が低いといえば低いかな…

そこは僕は個性だと思ってます。日本にいるなら日本語は喋れるようになるだろうし。

でも今日1年ぶりにNICUの病院に診察にいったらなんの問題もなかったみたいです🙂

未熟児というのが自分の個性の一つであり強みだとこの子が将来思えるように、これからも成長してくれた喜びを忘れず家族皆で楽しく過ごしていきたいと思います!

●最後にもしNICUに子供がいて不安だという方へ

NICUに入室してた当時、不安で押し潰されそうになる時もありました。

でも最近の医療ってホント凄いんですね。うちの子も未熟児だということを忘れそうになるくらい元気ですくすく育ってくれてます。

不安な当時「知ってる未熟児で産まれた子今185cmも身長あるよ!」とか「私の旦那も未熟児だったよ。すんごい健康」とかたくさんの友人、知人に声をかけてもらって不安が解消できてました。

うちの子の成長が少しでも安心材料になってくれたら幸いです。

長文読んで頂きありがとうございました!

これで我が家の出産日記はお終いです🤗

読んでよかった!楽しかったって方は是非サポートよろしくお願いします🙇 いただいたサポートは今後の活動に使いたいと思います!