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放火された家のセーフルームには、車椅子に乗った人たちが取り残されていた。

朝6時半ごろ、レッドアラートから全ては始まった。私たちは子供たちの寝室でもあるセーフルームへと急いだ。子供たちをなだめながら、今度はどこに避難すれば良いのかと考えた。ジクロンにある妻の実家か、それともエイラトに向かうべきか。
何度も爆発があった。激しい音だった。そして数分後、とても近くで銃声が聞こえた。いまだかつて経験したことのない事態だった。私はすぐに銃を手にし、戦闘服を探した。カーゴパンツ、スポーツシューズに履き替え、外に出た。
キブツ・レイムのセキュリティ・コーディネーターだったハレルは、休暇でキブツに滞在していた6人の待機隊員を招集した。私たちはキブツのフェンスの西側、つまりガザ側に集合した。

そこで繰り広げられていた光景は、想像を絶するものだった。テロリストが猛烈な勢いで道路を攻め上がってきていて、大混乱に陥っていた。国道232号線も、レイムからオリムへの道も、ガザ人の車やオートバイでいっぱいだった。軍司令部の基地の前で爆発も見えた。
私たちは自問した。「この地域で一帯何が起こっているのか?ガザ人全員に対して、私たちだけで立ち向かうことになるのだろうか?」
他のキブツからも銃声が鳴り響いていた。キスフィム、ベエリ、アイン・ハシュローシャ…私たちのキブツ・レイムとガザ地区との間に位置するキブツだ。間もなくテロリストたちがここにも到達するだろうと、私たちは悟った。

武装していたのはわずか6人で、私たちは2人ずつ3組に分かれた。私はニヴの指揮下に入った。ニヴは副セキュリティ・コーディネーターで、南側を指揮した。彼は、私がナハール第50大隊にいたころからの旧友だ。キブツ・レイムを紹介してくれたのも彼だ。私たちは20年来の親友で、最も結束力の強いバディだった。私とニヴは、不確かな事態に立ち向かい、私たちの生活と価値観、コミュニティ、子供たちを育てている場所を守るために、戦闘に加わろうとしていた。ニヴと一緒にいるとき、私はいつも、すべてがうまくいくだろうという安心感を得られた。

私たちはキブツの南側、一番奥の住宅地に向かった。7時30分頃、戦闘が始まった。私たちの目標は、訓練の手順に従って、IDFの援軍が到着するまでできるだけ長くテロリストを足止めすることだった。テロリストが接近してくる度に、私たちは家と家の間のさまざまな場所から数発の銃弾を撃ち、移動を繰り返した。あたかも大きな軍隊がいて、あらゆる方向から銃弾が撃ち込まれているようにテロリストたちに錯覚させようとしたのだ。
また私たちは、民家からできるだけ離れるように誘導を試みた。彼らはふれあい動物園の近くにひそみ、私とニヴはデイケアサービスの施設の間にいた。我が子をいつもそこに通わせていたので、私たちはその辺りの草むらや木々の配置を知り尽くしていた。ここは私たちのホームなのだ。

テロリストたちは西に移動し、私たちは彼らの後を追った。直接の交戦は控えた。なぜなら、私たちこそ、テロリストとキブツの住民を隔てる最前線だと分かっていたからだ。もし私たちが倒されれば、テロリストたちは民家に侵入していくだろう。戦いの間、私たちはトランシーバーやWhatsAppで連絡を取り合った。情報によればテロリストたちは3つのグループに分かれ、3つの異なる方向からキブツに入ってきていた。

テロリストたちが幼稚園に入っていくのを見て、捕虜を探しているのだとわかった。キブツの南西にいたグループは、15人から25人のテロリストで、家に火をつけ始めた。私たちは正体がばれないように地域一帯を走り回り、さまざまな位置から彼らを撃って混乱させようとした。
キブツ内の木々や家々が燃えた。キブツ内でもその周辺でも、四方八方から激しい銃撃戦が繰り広げられ、戦火が燃え上がった。キブツ中の友人たちから、銃声やアラビア語の叫び声が聞こえたという連絡を受け取った。彼らは口々にこう尋ねてきた。「援軍はどこだ?」「IDFは何をしているんだ?」と。

これが個々のテロリストによる侵入ではないことは明らかだった。訓練では数人のテロリストに対処することを学んできたが、実際の現場では複数のグループ、つまり異なる部隊に分かれた何十人ものテロリストと戦うこととなった。援軍も来ず、武装したテロリストが車に乗って何十人も突っ込んでくるという状況は、私たちの想像をはるかに越えていた。私たちだけで対処できるものではなかった。IDFはどこにいってしまったのだろう?空軍は?ガザ全域に対し、私たちだけが対峙していた。空に飛行機は1機もなかった。

その状況で私たちを鼓舞したのは、無線から聞こえてくる待機隊員6人の報告が途切れなかったことだ。私は背後からの脅威を感じることがなかった。常に誰かが前線の私たちを援護してくれていた。地形に精通していたこと、軍事訓練を受けていたこと、そしてトランシーバーを持っていたことで、私たちは戦線を維持することができた。テロリストたちが行きそうな場所は手に取るようにわかった。
戦闘が始まり約1時間がたった頃、他の武器の音が聞こえ始めた。私たちは、それが外からテロリストを逮捕しようとしている警察のものだと気づいた。別の狙撃地点まで全力疾走し、テロリストたちを撃ち続けた。

10時頃、早朝からハブソール公園まで働きに行っていた待機部隊の一員のオレンが、任務を果たすために戻ってきた。彼はキブツに戻る途中、テロリストに遭遇したが、かろうじて切り抜けたという。そして、家族を残してすぐに救助に向かった4人の警察官と合流した。この4人は真の英雄だ。

道路に警察部隊が配備されていたおかげで、私たちはキブツの南門まで移動し、門を開けてオレンと4人の警察官を中に入れることができた。彼らは統制されていて、準備ができていると感じた。部隊は6人から11人に増えた。さらにフェンスの外ではテロリストと戦う警官部隊がいた。キブツを守る防衛線は倍増した。これは大きな後押しだった。

まず、警官たちをオレンの家に連れて行った。彼らは武器を持ってきていた。これ以降、茂みから飛び出してきたテロリストたちは、さらに激しい銃撃戦に直面することとなった。
オレンは私の長年の友人であり、キブツの子供たちのために一緒にサッカー教室を開くパートナーでもあった。オレンがサッカー場を走っているのを見た瞬間、私の認識が完全に変わった。それまでは、「今日、自分は死ぬんだ。キブツは消滅するんだ」と思っていた。しかし、その瞬間、私たちは勝利すると思えた。なぜなら、私たちは共にいて、故郷を守るために戦っていたのだから。キブツは死なない。

オレンと横並びになって戦う間、私たちは自分たちの家を守っているのだと感じた。目に映る全てが私たちにとって故郷の象徴だった。キブツそのものが、私たちの家なのだから。動物園、サッカー場、教育施設、文化遺産など、我が子たちが育てられた場所のために戦っていたのだ。これは、広い意味で故郷のための戦争であると同時に、ほんの些細な守るべき光景のための戦争でもあった。

この時点で、私とニヴは分かれるか、一緒に行動するか議論した。そして、ニヴとオーレンが残って近所を警備し、私はキブツに不慣れな警官たちを率いて、放火された家々に向かうことになった。私たちはテロリストに背後から音もなく慎重に近づいた。放火犯がいた場所まで近づいたが、彼らはもうそこにはいなかった。どうやら彼らに立ち向かった警官が仕事をしたようだ。

キブツの住民たちが数人、燃えている家から逃げ出てきた。彼らはセーフルームの窓から脱出しながら「生きたまま焼き殺される!」と叫んだ。私たちは、家々を回り、燃えている家から全員を救出し、放火を免れた家のセーフルームに避難させなければならないことを悟った。燃えさかる家々を通り抜け、最後の一軒にたどり着き、セーフルームを開けると、疲れ果て力尽きた様子の家族がいた。そのうちの2人は車椅子に乗っていた。それはとても言葉にできないほど心が痛む光景だった。この家族が生き延びたのは奇跡だった。彼らは、自分たちは火事で死ぬのだと確信し、ずっとセーフルームに静かに閉じこもっていたのだという。

何人かの住民は散水ホースを手にし、屋根に放水して消化活動を始めた。警察官たちもそこに残り彼らを援護した。私はニヴとオーレンと合流するために、南の地区まで走った。

私たちはキブツの中心部にある新しい居住区を目指した。走っている途中、私たちが無力化したテロリストの遺体も目にした。私たちは軍隊で学んだ通り、互いに安全を確保しながら、慎重に進んだ。しばらくして、待機していたオムリとロン(ブブ)が合流した。私たちは一緒にタイ人労働者の様子を見に行った。タイ人労働者の居住区は空っぽだった。ドアはすべて開け放たれ、誰一人として残されていなかった。

私たちはオリーブ畑を進んだ。何かが動いたと思った次の瞬間、銃撃された。テロリストを倒すため、私たちの部隊は指示を共有し始めた。すると突然、軍に臨時勤務している友人の家から、私の名前を呼ぶ叫び声が聞こえた。「銃で撃たれた負傷者がセーフルームにいるんだ!」

私たちはテロリストを無力化し、私を呼んだ友人のもとにたどり着いた。彼がセーフルームを開けると、NOVA音楽祭から逃げてきたという15人ほどの若者たちが出てきた。彼らは外の空気も吸わず、ただじっと静かにセーフルームに隠れていたのだ。人が大勢集まっているのに完全に沈黙していた。私たちは彼らを連れ、40メートルほど南にある診療所に向かった。鍵がかかっていたので、窓から中に入った。NOVA音楽祭の会場から逃げてきた若者たちはひどい様相だった。彼らは恐怖で嘔吐し、ショック状態だった。私は衝撃を受けた。

私たちは、ハッツェリム地区とオリーブ畑に潜入していたテロリストと戦い続けた。警官の一人が足を撃たれ、出血した。私は彼を脱出ルートに誘導し、避難を要請するためにコミュニティ・レジリエンス・チームのリーダーのところへ行った。すると、リーダーは、軍の治安部隊がこちらに向かっていると言った。部隊をキブツ内に入れるため、私は南門に向かうよう指示を受けた。追加部隊をキブツ内に案内したあと、私たちは待機していた別の隊員、エヤルを迎えに走った。

ある家のセーフルームの窓が開き、その家の住民ではないキブツ隊員が窓から外を覗いているのが見えた。彼はその家に住む3人の子供たちを見守るためにそこにいた。隊員は窓から身を乗り出し、恐ろしい話を私たちに語った。3人の子供たちは、目の前で父親と母親が殺されるのを目撃したのだった。夫婦を殺害したあと、テロリストは女性の口紅で家の壁に「子供は殺さない」と書いた。
彼らの家の前庭の芝生を見つめ、そこで毎日父親と遊んでいた子供の記憶がよみがえってきた。庭はサッカーボールでいっぱいだった。テロリストは3人の子どもたちから愛する父親を奪ったのだ。別の家では、85歳の女性がベッドで殺害されていたと聞いた。

その間、私の妻と子どもたちはドアを閉めたまま、セーフルームに閉じこもっていた。キブツの全メンバーがそうしていた。彼らは力いっぱいセーフルームのドアを閉め、ドアを開けようとするテロリストと闘っていた。
妻から電話があり、「トイレに行きたいから戻ってきて欲しい」と頼まれた。私の手元には弾薬も残っていなかったので、私はエヤルとオーレンと一緒に家に向かって走った。セーフルームに入り、妻がトイレに行く間、私たちはそこを守った。妻は私に弾丸を詰めたカートリッジを2つ渡してくれた。

私たちは、後から加わった治安部隊に合流し、戦いを続けた。私たちの役割は、到着した治安部隊を誘導することへと変化した。また、救助が必要な人を探した。キブツは焼き尽くされていたにも関わらず、人々はまだセーフルームに身を潜めていたのだ。とても異常な事態だった。テロリストがまだキブツ内に残っている可能性もあった。

私は真夜中過ぎに帰宅した。ソファに突っ伏してスポーツチャンネルをつけた。セルティック・グラスゴーのファンがパレスチナ人を応援している様子が映し出された。彼らにとっての”自由の戦士”が、私のキブツを焼き払い、赤ん坊から老人まで、目にした者すべてを殺害したことを喜んでいる様子を見て、私は心の底からショックを受けた。

私は軍服を着たまま、装備をすぐそばに置いて、眠りについた。午前1時30分、待機部隊のニヴからのメッセージで目が覚めた。「家の中にテロリストが侵入した。至急援護を頼む」
私は家の裏へと駆け込み、そこで警備コーディネーターのハレルと合流した。すぐに空挺部隊のパトロール隊が到着した。子どもたちがよく遊んでいたニヴの家まで、装填された銃を手に走ることになるとは想像もできなかった。私は彼の家の裏手の歩道に身を隠し、現れるかもしれないテロリストを無力化する準備をした。空挺部隊の一団がニヴの家に接近し、手榴弾を家の中に投げ入れた。そして家の中へと進軍し、2人のテロリストを排除した。ニヴと彼の家族は助かった。私は泣き崩れ、涙が止まらなかった。気がつくと、私はニヴの家の裏の歩道に横たわっていた。私はただ泣きながら横たわっていた。

キブツ・レイムの待機部隊のメンバーを称えたい。ハレル、ニヴ、ノアム、オムリ、ヤニヴ(彼は私の義弟だ)、オーレン、エリアル、アヴィ、ロン(ブブ)。彼らは多くの命を救った。
エシュコル、オファキム、スデロットのすべての住民、つまり西ネゲブのすべての住民に心から哀悼の意を表します。そして、現在避難生活を送っている、親愛なるレイムの住民たちにも。彼らが戻ってきたら、私たちはここですべてを再建し、私たちが持つ素晴らしいコミュニティを全世界に示すだろう。そして、疑念を抱いている人たちのためにはっきりさせておくが、イスラエルは必ず勝利する。

イムリ・B(41歳)

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