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両手を縛られ、友を抱きしめることさえできなかった。ただ頭を寄せ合い、一緒に泣いた。

とても辛い経験をした。細かいことが徐々に思い出されてくる。

テロリストが我が家に侵入してきたとき、子供たちと夫は家にいなかった。私は一人で身を隠し、テロリストが家に押し入ろうとする音を聞いた。家族のWhatsappグループに「テロリストが家に侵入してくる!」と連絡して1分もしないうちに、彼らはすでに家の中にいた。
家の中でテロリストの笑い声が響く中、もし彼らがシェルターに入ってきたらどうしようかと考えている間に、(ドアの取っ手を上に上げていなくちゃいけないなんて、知らなかった。)彼らはあっという間にシェルターに入って来て、私を後ろから見ていた。
テロリストは、2人いた。1人は英語、もう1人はアラビア語を話していた。私はアラビア語を少し話せる。「心配するな、傷つけるつもりはない。」と彼らは言い、私はどうか見逃してほしいと頼みこんだ。「来い。一緒に来い。俺たちは車が欲しいだけだ。車はあるか?」と聞かれた。私はローブとパジャマしか着ていなかった。

私は、車を持っていないこと、そしてここキブツなんだから、キブツの車が沢山あることを説明した。(キブツとは生活共同体のコミュニティーなので、いろんな物を住民と共有する。)「キブツには100台以上あります。」と、付け加えた。「車の鍵をしまっている棚まで、私を連れて行って下さい。」と伝えた。そして、着替えたいことも伝えた。着替えを許してくれ、靴も履いた。私が武器を取り出さないか、数秒おきに確認し、バッグを持つのも許可してくれた。私たちは外に出て、キブツ内を歩いた。
彼らは私に「子どもはいるのか?夫は?」と聞いてきた。大通りに出ると、遠くに一人の兵士が見えた。テロリストたちは「あいつは仲間だ」と言ったが、その兵士はヘブライ語で「こっちへ来い!」と私に叫んだ。私は、隣にいるテロリストたちは武装しており私の手を掴んでいると、彼に示すだけで精一杯だった。

すると、私たちの方に向かって発砲してきた。テロリストたちは私の手をつかんだまま走り出した。彼らは反撃しようとはせず、ただ私を連れて逃げた。西に向かって走っていたので、嫌な予感がした。私は、違う方向に進んでいると彼らを説得しようとし、「どこへ連れて行くんですか?」と叫んだが、返事をしてくれなかった。彼らは無線で仲間たちと話し、叫び、混乱していた。彼ら自身もどこに逃げればいいのかわからないようだった。

銃撃戦からほどなくして、私はキブツ内の老婦人の家に連れて行かれた。そこには老婦人と、介護士のフィリピン人女性、そして大勢のテロリストたちがいた。彼らはより組織的で、強そうだった。互いに口をきかず、無言で規律に従い、軍服の上から多くの武器を装備していた。
彼らはすぐに私の両手を背中に回してきつく縛り、座らせた。服をきちんと着ていなかったので、私の足を覆った。いくらか時間が経った。テロリストたちは老婦人を黙らせようと躍起になっていた。老婦人は何が起こっているのか理解できず、静かにしろと言われたことも忘れて質問し続けたからだ。
その時、「パパ、パパ」という子供の叫び声が聞こえた。テロリストが2歳の男の子を連れてやってきて、その子の手を持ち宙づりにして私たちに投げつけた。男の子は叫びながら父親を探し、逃げようとしたが、テロリストたちは許さなかった。フィリピン人女性が両手を前に縛られたまま、男の子を抱いて落ち着かせようとしたが、彼は 「パパ、パパ 」と叫びながら逃げていった。私は父親が誰なのか、男の子に尋ねようとした。逃げたら彼が撃たれてしまうのではないかと恐ろしくなり、男の子の気をそらそうとしたのだ。男の子は私に話し始め、自分の父親が誰なのかを説明し始めた。

もう一人、7歳か8歳の男の子とその母親が連れて来られた。彼女とは知り合いだった。彼女は銃弾の傷だらけで、シャツも血に染まっていた。身体は震え、歩くのもやっとの状態だった。テロリストは、彼女と男の子をバルコニーに放り投げるようにし、彼女は私の隣に座った。夫が撃たれ、赤ん坊の娘も死んだと彼女は言った。どうしてそんなことを、赤ん坊は死んでいないかもしれないじゃない、と私は言った。彼女は「頭を撃たれたのよ。」と言った。
両手が縛られていたので、彼女を抱きしめることができなかった。彼女の上に頭を寄せ、ただただ一緒に泣いたが、テロリストたちは私たちを黙らせた。彼らは老婦人のドレッサーから、シャツを取り出し、血まみれのシャツを着ていた彼女に着替えるように施したが、彼女は怪我のせいで息をすることも難しく、着替えることなどできなかった。彼女は私にこう誓わせた。「アディ、私は生き残れない。お願い、どうか私の子供たちを守って。」
私は彼女に、大丈夫、すべて上手くいくはずよ、と言い聞かせた。年上の男の子が「ママ、僕たちはどうなるの?」と聞くと、母親は「私たちは殺されるのよ」と言った。私はそうではないと言おうとした。そして、その親子を連れてきた男が私に近づき、こう言った。「お前は生かしてやる。私の言うとおりにすればいい。この親子は言うことを聞かず逃げようとしたから撃ったのだ」と。

男の言うとおりにしなければ、私はいとも簡単に殺されるのだろうと覚悟した。男は私を道路に連れて行き、こう言った。「あの車が見えるな?あそこから死体を出してこい。俺たちの仲間が死んでいるんだ。」イスラエル国防軍の兵士が見ているかどうかわからなかったので、私は両手を上げて車に向かって歩いた。するとまた突然、銃撃がはじまった。私に命令した男は、私に駆け寄ってきて手を握り、「走れ、走れ、ヤジュリ(アラビア語で『走れ』の意)!」と言いながら、他のテロリストたちと同じ方向に走った。

私は、さらに多くのテロリストがいる別の家に連れて行かれた。家は焼き尽くされ、地面にはたくさんの銃が散らばっていた。RPGランチャーもあったし、燃える装甲車、家のそばには死体もあった。家に入れと言われたが、焼けて熱くて入れなかった。私は家の入り口に小屋があるのを見つけて入った。小屋の中で、多くの人々が戦っていた。私は奥に入れと促された。

テロリストたちは銃を乱射していた。強烈な火薬の臭いがして、破片が飛んできたので、拾ったバインダーで頭を守った。途中で、紙おむつのパッケージがあるのを見つけ、身を守るために、自分の周りに敷き詰めた。そこに座って小さくなっていると、テロリストが次々と入ってきた。時々、私を変な目で見てきた者には「あなたの友達が連れてきたのよ」と言った。

徐々にテロリストの人数が減り、銃声も減り、アラビア語の叫び声も少なくなった。それからどれくらい経ったかわからないが、遠くからヘブライ語が聞こえてきた。テロリストたちは家を通り抜けて裏庭に行き、逃げて行った。
イスラエル兵が、小屋にいる私をテロリストと間違えるかもしれないと思ったので、「兵士たち!」と大声で呼びかけた。すると、「女性がいる。イスラエルの市民が中にいるぞ。」と言うのが聞こえ、また銃撃が再開した。
素晴らしく統率の取れたチームが到着する音が近づいてきたので、私は再び「兵士たち、兵士たち!」と叫んだ。指揮官が私に近づき、「ここで何が起こったのですか!」と尋ねた。私は、テロリストがたくさんいたと言い、彼らが行った方向を教えた。彼は部隊を送って家の中を調べさせ、私を連れてここを脱出しようとした。
しかし、戦いはまだ終わっていなかった。兵士たちは私に、「あなたはこれから私たちと一緒です。あなたを守りますから。」と言ってくれた。私たちは前進しようとしたが、激しい銃撃にさらされた。全員地面に伏せ、前進を断念した。低木の多い庭に引き返し、常に誰かが私の傍にいてくれた。
兵士たちはまるで天使のようだった。私のところに付く兵士たちはみな、必ず最初に名前を名乗り、「あなたを守り、一緒にいます。すべてうまくいきます。あなたをここから連れ出します。」と言ってくれた。「私を茂みの中に置いていってください。私のことは考えないで、あなたがやるべきことをやってください。重荷になりたくないです。」と私が言うと、「そんなことはありません。あなたを助け出すために我々は来たんですから。我々はあなたを置いてはいきません。」と言ってくれた。
私を取り囲む兵士たちはテロリストと戦い、私の目の前で4人が負傷した。怪我をした兵士たちは庭の中央に運ばれ、衛生兵が止血帯を巻いて手当をした。指揮官が負傷したと聞いたが、軍曹が兵士たちにこう言った。「指揮官が負傷した。しかし、我々はチームだ。今は私が指揮官を務める。私の命令に従ってくれ。」兵士たちは「はい」と答えた。彼らは懸命に戦った。「我々はここで市民を守り、彼らを救い出す。我々、軍はそのために戦うのだ!全力を尽くそう!」と、軍曹は兵士たちを鼓舞した。
キブツからの避難は、銃撃が絶え間なく飛び交う中で行われた。時に地面に這いつくばり、車の陰に隠れなければならない場面もあった。兵士たちは身動きが取れない中でも、懸命に戦い、死力を尽くした。

皆、「国防軍はどこにいるんだ?」と言い続けていたが、私は違う。私は物事を分析をするタイプではないが、国防軍の兵士たちは勇敢に戦ってくれたことは事実だ。彼らの思いやりは言葉では表現できない。兵士たちは私と負傷者をキブツから連れ出すことに成功した。私に起こったことはまことの奇跡であるけど、あの母親と2人の子どもに何が起こったのかはまだわからないままだ。

アディ・E
Source: Ynet


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