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「耳を塞いでいなさい」と子供達に言った。もし、生きてここを出られたとしても、この喧騒を覚えているべきではないのだから。

私自身の精神的なリハビリのため、2023年10月にキブツ・レイムで起きた虐殺について、実体験を記すことを決めた。

最後の週末は楽しいものになるはずだった。子供たちのスコット休暇の2週間の締めくくりであり、子供たちが学校に戻る準備をする週末だった。いよいよ日常に戻らなければ。
木曜日には友人たちの助けを借りて凧揚げをした。そのわずか3日後、同じ空いっぱいにテロリストが襲来し、破壊と殺戮の限りを尽くすことになるなんて…
10月6日金曜日には、2年間にわたる子供たちと夫のシャイの説得の結果、私たち家族は可愛い里犬を探しに出かけた。しかし着くと、他の家族がすでに私たちの希望する犬を迎えていることがわかった。テルアビブから戻る帰り道、「いつか必ず犬を飼おうね」と子供たちを元気づけなければならなかった。
その道中、車でレイムの駐車場を通りかかると、道路から巨大なアート作品が見えた。警察官や警備の人たち、何千台もの車も見えた。「どうして私たちはパーティーに招待されなかったのかしら!」と、大声で冗談を言ったことを覚えている。(招待されていないことは、実際は幸いだった。)

金曜日の夜、私たちはキブツ・レイム設立77周年を祝うパーティーを開き、シオニズム、信念、そして土地とそこへ暮らす人々への愛に満ちた77年間をお祝いした。それは幸せで、一致団結したパーティーだった。その夜、キブツ・レイムは、私たちと一緒にお祝いをしようと集まってくれた人々、家族、友人たちでいっぱいだった。

翌日の朝6時半、携帯アプリの「レッドアラート」のサイレンで目が覚めた。あちこちでミサイルが発射されていることを確認した。リション・レ・ジオン、キリヤット・ガット、ヤド・モルデカイ…携帯の画面はあっという間に標的となった都市の名前で埋め尽くされた。私は何かの間違いだと確信した。リモコンを手に取ったが(私はいつも夫が彼のベッドサイドにリモコンを置くことに静かに苛立っていた)、それを押すチャンスさえないうちに、ミサイルが我が家に撃ち込まれた。アプリの誤作動などではなかったのだ。

私はノアムを起こしにノアムの部屋へと走った。シャイはイドをベッドからつかみ、私たちはハレルと彼の友人ヤイルが寝ているセーフルームに飛び込んだ。「ほんの数秒の間だけよ。数分もすればベッドに戻れるはず」そう思ったが、今回は違った。レッドアラートのサイレン、絶え間ない爆発音とミサイル迎撃音。その時点で、私たちはこれがいつものミサイル攻撃ではないことを理解した。数が、密度が、威力が、何かが違っていた。異常だった。致死的な一撃だった。

セーフルームへと急ぐあまり、私は携帯電話を忘れてしまった。子供たちの携帯電話は、部屋のすぐ外にある私のパソコンデスクで充電していた。シャイだけが携帯電話を室内に持ち込んでいた。「何が起きているの」と尋ねても彼は返事をせず、どうしたことか、彼の目は一瞬たりとも画面から離れなかった。それから間もなく、銃声が聞こえ始めた。私はまだ信じられない気持ちで、シャイに身振り手振りを交え、私の考えている事態なのかどうか尋ねると、彼は首を縦に振って同意した。
その間、WhatsAppのグループ上で、私たちの友人でヤイルの母親でもあるハダスが、窓の外から男たちがアラビア語で叫んでいるのが聞こえると書いていた。私たちはテロリストたちがここキブツ・レイムに侵入していることを理解した。そして、彼らから守ってくれるアイアンドームがないことも。

私は子供たちをベッドの下に押し込み、静かにするように、しゃべったり身動きしないように頼んだ。子供たちは私の言うとおりにした。私たちはセーフルームのドアを閉め、外から開けられないようにシャイが取っ手をしっかりと握っていた。私たちはひたすら黙って身を隠した。停電し、セーフルームは真っ暗になった。私はドアに耳を押し当て続けた。鳥のさえずりが聞こえていた。私はこのさえずりで目覚めるのが好きだった。

警報が始まって約30分後、テロリストたちの侵入を知らせるメッセージが友人たちから続々と届いた。
「ドアを撃っている!」
「窓が破られた!」
「手榴弾を投げつけている!」
「セーフルームのドアを爆破しようとしている!」
「彼らはセーフルームのドアを開けようとしている!!!」
一週間前に第一子を出産したばかりの女性からメールが届いた。彼女は家に火をつけられ、立てこもっていたセーフルームから逃げられずに窒息しそうになっていた。次々に届くボイスメッセージで、私たちは彼らが窒息していく叫び声を聞いた。次から次へと家が燃えていく。テロリストたちが排除されることもなく…

ついにテロが始まって2時間半後、家の中でガラスが割れる音がした。子供たちはベッドの下に隠れていたので、私は耳をふさぐように命じた。もし生きてここを出られたとしても、この喧騒を覚えているべきではないのだから。
怪物(テロリスト)たちは私の家の中で、アラビア語で言い争い、部屋から部屋へと移動し、私たちを探していた。足音はだんだん近づきドアのすぐ向こう側にきた。しかし、誰も助けに来なかった。彼らはドアをこじ開けようとしたが、シャイの手が必死でハンドルを強く握り、彼らは中に入ってこられなかった。テロリストたちはクローゼットを壊し、ベッドを持ち上げ、テレビを壊した。私たちができるだけ長く生きていられるように、彼らがこの家にすべての怒りを解放してくれることを祈った。

その瞬間、私は意識が寸断された。何も聞こえず、何も見えず、何も理解できなかった。体を前後に揺り続け、この悪夢が終わるのを待った。どう終わるかはわからない。ただ終わりさえすればいいと思った。
「終わったぞ」という夫の言葉が、私を現実に引き戻してくれた。テロリストたちは去ったのだ。気づけば家の中は静まり返っていた。

しばらくして、私は子供たちがベッドの下から出ることを許した。しかし、まだセーフルームの中だ。いつまでかはわからない。彼らはあっという間に、2時間ほど眠ってしまった。そして空腹で目を覚ました。お腹を空かせたことのない少年ヤイルは、古くなったパンでも何でもいいと言った。しかし、部屋には食べ物が何もなかった。「これはホロコーストなの?」とハレルが尋ねると、ヤイルは、「ホロコーストは何年も続いたけれど、僕たちが体験していることはほんの数時間のことで、その二つは比較にならないよ」となだめていた。
私は彼らに、他のことを考えて気を紛らわそうと言った。何か前向きなことを。「外に出たら、パーティーを開いてピザを作ろう」と私は彼らに約束した。彼らは喜び、助けを待つことに同意してくれた。私たちはゲームをしたり、本を読んだり、外に出てから食べるおいしいもののことを考えたりし始めた。

ヤイルは、両親が心配しているのではないかと私に尋ねたので、私は、「大丈夫。あなたの両親は私たちが全員無事だと知っているわ」と言った。しかし後から知ったのだが、テロリストが我が家に侵入した瞬間から、ヤイルの両親は私たちと連絡が取れずにいた。なぜなら、テロリストたちが我が家のインターネットのルーターと子供たちの携帯電話を持ち去っていたのだ。その位置情報は今はカン・ユニ(ガザ地区の都市)にある。ヤイルの父親は、私たちが誘拐されたと確信していたことだろう。

あとは誰かが来て、私たちを連れ出してくれるのを待つしかなかった。何時間も何時間も誰も来なかった。子供たちは、イスラエル国防軍が来る可能性はまだあるのかと尋ねた。時間はどんどん過ぎ、その可能性はほぼ皆無に思えた。

午後2時頃、軍隊が到着するという報告を受け、私たちは少し落ち着いた。さらにもう2時間ほどしてようやく「開いたドアと割れた窓があるぞ」というヘブライ語の声が聞こえた。兵士たちは家に入ってきて、「中に誰かいますか」と尋ねた。「います!」と私は叫んだ。セーフルームのドアを開けるように言われたが、夫のシャイは身元を確認するためにいくつか質問をし、それからドアを開けた。

私は、生き残ったことを理解した。

私は兵士たちに家の中を見て回り、テロリストがいないことを確認するよう頼んだ。彼らは親切で、私が頼んだ通りにしてくれた。彼らは戻ってきて、家の中は安全だと約束した。さらに私は、これから私たちが見ることになるものに対して心の準備をさせてほしいと頼んだ。兵士たちは、家は完全に破壊されていると教えてくれた。
兵士たちは私たちを抱きしめ、彼らもまだ未成年にもかかわらず、私たちを支えてくれた。そして「まだ遺体が横たわっているので、キブツの小道を通るときは右も左も見ないでください」と言った。

近所の駐車場は廃墟と化し、車はすべて壊され、タイヤはパンクさせられ、燃やされ、盗まれていた。私たちの緑豊かなキブツは戦場と化し、火のにおい、割れたガラス、血痕で汚れていた。

私たちはキブツの集会所に行った。徐々に多くの家族が集まった。私たちは誰が殺されたかを聞き、愛するキブツのメンバーの何人かが誘拐されたことを知った。私たちの心は打ち砕かれた。

私たちは今、我が家から遠く離れ、安全な場所にいる。しかし、あらゆる意味で、あのセーフルームの中に未だ閉じ込められたままだ。
私たちがどこに戻るのか、国としてどのように存続していくのか、キブツがどのような姿になるのか、誰にもわからない。
しかし、イスラエルは必ず勝利する。それ以外の選択肢はない。私たちは無意味にあのような経験をしたのではないのだから。

この投稿は、ドロン・メイルとその娘モル・メイル、そしてロイ・ポップルウェルへの敬意を表して書いたものである。
メイル一家は、私たちが以前住んでいた家のちょうど向かいに住む隣人だった。私たちがキブツ・レイムに引っ越してきたとき、ドロンは真っ先に挨拶に来てくれた。彼は私の子供たちのために自転車を貸してくれたり、彼の素晴らしい娘たちも子供の面倒をよくみてくれた。
魅力的なロイは、私たちが住んでいた家のすぐ近くに住んでいた。彼はイドの凧を直し、凧揚げに最適な場所を教えてくれた。

この投稿は、行方不明になっているすべての人々の無事の帰還を祈るものでもある。

ケイティ・L


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