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自分の命のために祈らなければならない状況になるなんて、考えたこともなかった

結論から言うと…私は今、家にいる。神様、感謝します。
私の人生で最も暗黒であったあの日のことを、どう語り始めたらいいのかさえわからない。

私は、基地での勤務を午前4時に終え、午前5時に寝た。午前6時20分、部屋の隣にミサイルが着弾する音で目が覚めた。鼓膜も破れそうな音を耳にしながら、私はシェルターに駆け込んだ。緊急電話がかかってきた…「アリン、基地全地域に空襲がある。今すぐオペレーション室へ!」

「空襲だ」これは、ガザ国境地帯を監視する者なら誰もが恐れる言葉だ。私たちはこの基地での任務開始以来、もちろんこの危機のために準備をしてきたが、今起きてる現実ははるかに深刻だった。

私たちはオペレーション室に向かって全力疾走した。あんなに恐怖心に駆られて、走ったことは初めてだ。命からがらと言うべき、、実際、テロリストたちは私たちを殺しにきていた。私たちはパジャマ姿でオーペレーション室に到着し、鼓動も激しかったが、イスラエル国家、基地、市民、兵士を守る決意を固めた。
私たちは恐怖に震えながら、ロッカーの後ろに身を屈めていた。ストレスで何度気を失いそうになったか数え切れない。友人が私の神経を落ち着かせるために水を飲ませてくれた。

作戦室の兵士たち

テロリストたちが部屋に侵入してきた時に見つからないよう、とにかくロッカーやスタンドや棚など、そこら辺にあるものは何でも使って隠れた。時間は刻々と過ぎ、多くの負傷兵がオペレーション室に入ってきた。友人たちは兵士たちに止血バンドを巻いた。兵士たちはみんな外に出ていたので、他に手当てを施す人がいなかったからだ。銃声や爆発音が聞こえたが、壁の向こうで何が起こっているのかまったく理解できなかった。部屋から出て行った兵士たちは怪我をして戻ってきたり、戻ってこない兵士たちもいた。部屋に残っている兵士たちは、私たちを守ることに集中した。

シェルターに座る兵士たち

このような状況の中で、家族はどれだけ心配しているだろうと思わずにはいられなかった。私はオペレーション室の外に投げた携帯電話を取ってきてくれるよう、女性兵のひとりに頼んだ。彼女が取って来てくれた携帯は血で汚れていた。唯一電波の入る携帯だったので、それを使って家に電話するしかなかった。みんなでこの携帯を順番に使い、無事を伝えて両親たちを安心させようとした。恐怖心を悟られないように。

電話は1台だけ、水もエアコンも電気もトイレもない中、私たちはついに7人だけになった。火災報知器が鳴り響き、私たちを守っていたドアが突然開くと、3人のイスラエル兵士が真ん中に立って、武器を構えていた。彼らの背後には、傷つき血を流す兵士たちがおり重なって横たわっていた。テロリストたちはまだ基地内を歩き回っていたのだ。

私たちは「シェマ・イスラエル」の祈りを唱え続けた。最悪の映画の中に閉じ込められたような気分だった。無傷で家に帰れるよう、その映画が終わるのを必死に待った。援軍を要請し、多くの仲間兵士たちが亡くなったという知らせを聞くたびに不安は募った。ただ待つことしか出来なかった。

すると突然、援軍が到着する音が聞こえた。銃声が基地全体に響き渡ったが、その銃声がテロリストのものなのかイスラエル兵のものなのかわからなかった。この時点ですでに夜になっていて、私たちは朝の6時半からなすすべもなく、悲痛な時間に耐え、本当ならこんなこと、誰も目撃したり経験するべきではないことを聞かされ続けていた。

ついに援軍が基地全体を制圧し、私たちが救助される番が回ってきた。天使のような人が入って来て、私たちを安全な場所に連れていくと約束してくれた。この試練から生きて帰れるという希望に満ち溢れながら、さらに数時間、苦しい中で待ち続けた。

その後、基地を出るために歩いて行ったが、あんなに神経を使って歩いたことはない。愛する仲間たちの死を見るのが怖くて、基地内の凄まじいあり様を見ないように目を固く閉じた。すでにあんな過酷な時間を耐え抜いたのだから、とにかく早くバスにたどり着いて、安心して保護してもらえる別の基地を着くことだけを願った。

知らない方が良いこともあるので、他にもある恐怖体験は割愛する。

監視員たちは一体どこにいたのだと訝しむ人たちに、これだけは言っておきたい。私たちは、一人ひとりの兵士のために、そして私たち自身の命のために、全力で休むことなく戦った。自分たちの力ではどうにもならないこともあったし、自分たちの命、友人、基地全体のために戦った18歳、19歳、20歳の若い女性たちを批判する権利は誰にもない。私は、最善の結果を得るために全力を尽くした自分自身、指揮官、友人、そして将校を誇りに思います。

アリン・M


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