見出し画像

手をつないで命からがら逃げ出した。「死ぬ時は一緒だよ」

これから、僕たちが経験したことを書くけど、今回、いかに直感に従うことが大事かってことを知った。
3週間くらい前、ノヴァ・ミュージック・フェスティバルのプロデューサーの一人であるアフェク F.と話して、めったにないチケットの割引リンクをもらい、さらに当日現金で支払うことも了承してくれた。
これまで、この様なイベントのチケットを買うときは、前売りで、クレジットカード支払いオンリーだったから、あり得ないことだった。

イベントの3日前、パートナーのヤミットが体調を崩していたので、無理して行く必要はないし、予定変更してもいいこと、現地で当日払いだから特に問題はないと伝えた。僕たちが来なくても、特に誰も気にしない。僕がこれまで、こんなこと言うなんて、あり得なかった。この類のイベントはいつも全部行きたいし、一つも見逃したくない性分だから。
ヤミットは「そうだよね、大丈夫。ちょっと新鮮な空気がほしいな」と返した。ヤミットも大丈夫そう。
僕は、良き夫として、いつも通り計画を進めた。

当日、二人ともわくわくしていた。
僕たちは毎週の恒例行事のように支度をした。イベント当日、仕事を終え、子供たちと夕食をとった後、荷物を積んで街を南下した。いつもより比較的早めに会場に着いた。
入り口でセキュリティチェックがあるので、入場に遅れが生じている。ご存知の通り、スーパーノヴァのイベントは公認イベントで、運営ライセンスも厳しく、警察の許可、CCTV、警備員、覆面捜査官まで会場にいる。外で入場を待っている時、僕は、体の中で、何とも言えないプレッシャーを感じ始め、原因不明の緊張を覚えた。ヤミットにも伝えたけど、二人ともそれが何かはわからなかった。

僕たちは、毎週踊りに行ってるけど、このパーティも楽しむために来た。ようやく、現金を払って、入場する。今さっき感じた変な感覚は、忘れようとした。中に入ると、クレーンや梯子などがまだあって、作業員たちがまだメインステージのセットアップをしている。こんなこと今まで一度もなかったから、ビックリした。パーティは1つのステージで幕を開け、もう一方のステージでは、まだセットアップの作業中。
そこにいるスタッフに聞いてみたところ、前の日に、ユニティ・イベントがこの同じ場所で開催されていたとのこと。どうして同じ場所で連日2つのフェスティバルをやるのか意味がわからなかった。イベントの運営許可取得にほぼ不可能な条件を付けて、僕ら、トランスコミュニティとイベントプロデューサーたちを、こんなに遠くて危険な地域へ追いやっているのは、イスラエル警察とライセンスを出す保健局なんだってことは、僕には明らかだった。結局のところ、彼らは僕たちの安全なんかどうでもいいし、僕たちのコミュニティを排除して、イベントを行えないようにすることが狙いなんだ。

とにかく僕たちはキャンプを張り、バーに行ってビールとウイスキーを買い、友人たちに挨拶しに回り始めた。ダンスフロアに行って、そこでさらに多くの友人たちと出会い、挨拶を交わした。この間ずっと、僕はある種の不快感を感じていた。どう説明したらいいのかわからないけど、何か調子がいまいちだった。そしてヤミットはいつもの様に、僕が感じている不快感を瞬時に察知した。
夜中の2時半頃、ヤミットが、お腹が少し痛いから、テントでちょっと休む、僕はここで踊ってていい、自分は大丈夫だからと言った。僕は「ヤミット、いいよ、家に帰ろう。荷物をまとめて。それでいいよ。」と答えた。
ちなみに、僕の辞書に "家に帰ろう “は存在しない。
ヤミットは「少し寝るから、日が昇ったら起こして。」と言った。パーティは、日の出がクライマックスなのは有名だ。

朝5時半頃、ヤミットを起こしに行った。
その時、ヤミトが空を指差して「タル、見て! ロケット弾よ!」と言った。
5秒も経たないうちに、何百発ものミサイルが飛び交い、みんなヒステリーを起こし、逃げ惑い、警察もヒステリックに恐怖に襲われながら会場に入って来た。
誰も誘導してくれる人はおらず、みんなそれぞれ四方八方に逃げ惑い、大混乱、カオスだった。僕たちはカウンターの方へ走って、狂ったようにすべてを車に詰め込んだ。呼吸を整えられたのは、ほんの1分もなかった。

そのとき、車が見つからなくて、ヒステリーを起こしている2人の友人を見かけた。
もちろん、彼らが車を見つけるまで探すのを手伝った。今思うと、車を探したあの時間が僕たちを救ったのだ。その場をすぐに離れた人たちは、集中砲火を浴びさせられたからだ。逆に、その場に長くいた人たちも、砲撃に巻き込まれ、銃撃され、誘拐されたことも後で知った。

車に乗り込み、音楽をかけた(コスモ・アーティスト)。そうするしか、冷静になることができなかったし、ヤミットに止まないロケットの音が聞こえないようにボリュームを上げた。
運転を始めてすぐ渋滞にあたった。20メートルくらいは進めたけど、渋滞は続いていて、全然進まなかった。100メートルほど先に救急車が見えた。事故かと思い、今、対処してるんだなぁと思いつつ、僕たちはゆっくりと前進した。
その時、救急車の中にはテロリストがいたのだ。

すると「降りろ…車から降りろ、爆破される...降りろ...逃げろ...逃げろ...隠れろ...」という悲鳴が聞こえた。ヤミットは咄嗟に携帯電話とバッグをつかみ、僕たちは命からがら走り出した。

まだ状況がよくわかっていない。数秒後に、両サイドと上空から、僕たちに向かって銃撃してくるまでは。その瞬間、僕たちは何百人もの人たちと一斉に逃げだし、ひらけた場所へと、どんどん突き進んだ。若い人たち、友人たち、みんな違う方向にばらばらに走っていった。誰も何が起きているのか理解できていない。走りながら、僕たちは軍隊にいる息子に電話した。家族のみんなに愛していることを伝えてと頼み、同時に自分たちのことも落ち着かせようとした。
もちろん、僕たち二人は手をしっかりと握りながら走り、ある瞬間に、「いつも話していたように、少なくとも死ぬ時は一緒だよ。」とヤミットに言った。
警官も兵士も誰一人いなかった。3時間ほど走っただろうか、オレンジの果樹園に入り、レモンの果樹園を横切り、走り続けた。
突然、ヤミットは3人乗りの車があることに気付き、すぐに飛び乗った。
僕は彼女に続き、他の6人も続いて乗った。僕たちはただただアクセルを踏み込んで飛び出した。この間もずっと銃弾が飛び交う中を走り続けた。いまだに兵士も警官も一人も来ない。銃を持った兵士が見えたときでさえ、怖くて呼びかけるのをためらった。テロリストたちが軍服や軍用車を盗んでいたことは分かっていたから。

時速150マイルで走り、よく知っているキブツ・ライムに到着した。ゲートはロックされていて、降りてキブツに入ろうかどうか迷っていた。僕たちを助けてくれるだろうか。後に分かったことだが、その時テロリストがキブツ・ライムを占拠していた。
その後、右に曲がり、キブツ・ツァリムに到着すると、すでに、パーティに参加していた人たちが250人くらい先に逃げ込んでいた。キブツ・ツァリムの人々はすぐに料理を作り始め、僕たちの必要なものをすべて満たしてくれた。本当に感謝しています。あなたたちはヒーローです。緊急部隊の皆さんは本当に勇敢でした。

どうか、良い知らせが届きますように。

虐殺された友人を思い、誘拐された人たちのことを思って悲しみが止まない人たちが泣いている。

イスラエル政府にガザとハマスの撲滅を期待し、要求する!それ以外にはない!

10月7日、僕たちのコミュニティは大きな打撃を受けた。もう元通りに戻ることはない。

ヤミット & タル O.

https://www.october7.org/post/we-ran-for-our-lives-hand-in-hand-and-i-said-at-least-we-die-together


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?