見出し画像

一時静かになったので、希望がよぎったが、再びの銃声でその希望は打ち砕かれた

6時30分、私たち家族はレッドアラートの警報によって命拾いをした。私と母は寝室から、オーレンはリビングルームから、それぞれセーフルームに駆け込み、そこで子どもたちと合流した。

ほんの数分後には、家の周りで銃声が聞こえ始めた。ガラスが割られ、物が落ちる音も聞こえた。何か深刻なことが起こっていると分かった。すると、すぐ近くでアラビア語の声が聞こえ、オーレンはセーフルームのドアを押さえた。
近所のWhatsAppグループには「手榴弾が家に投げ込まれて、煙が立ち込めている!」というメッセージが続々と届いた。それらを読み、私は最初怒りを覚えた。そんなのは妄想で、事実のはずがないと思ったからだ。
しかし、親愛なるテヒラの訃報を受け、愕然とした。彼女は電波の届かないところにいて、生きていると確信していた。

家の外では重機の音も聞こえた。イスラエル国防軍が来たのだと思っていたが、そうではなかった。テロリストたちが車両を占拠し、私たちの美しい家の隅々まで破壊していたのだ。
その間ずっと、子供たちは地べたやベッドの下で怯え凍えていた。何時間もの間、彼らは一言も発しなかった。水も食べ物も要求しなかった。自分たちの役割は、ただ静かに隠れていることだと理解したのだろう。愛するテマリは、恐怖のあまり眠ってしまった

勇敢な母は、孫たちの世話をし、私を落ち着かせ、勇気づけてくれた。母も私たちと一緒にこのトラウマを乗り越えなければならないことはとても辛い。空中に響く銃声。そして静寂。それは繰り返し何時間も続いた。静寂が続くと希望を持ったのも束の間、すぐに銃声が続いた。

午後2時頃、銃撃戦が再び始まったが、今度は応戦する戦闘音も聞こえてきた。私たちはついに国防軍が来たと理解した。しばらくして、兵士たちが家々を回っていることを知らされた。「こちら国防軍、こちら国防軍。家の中に誰かいますか」と、声が聞こえた。しかし、私はオーレンに、本当に軍だと確信するまで答えないように言い聞かせた。
さらに2時間後、オーレンは兵士の声を聞き、確認しに行った。バルコニーには10人の兵士がいた。ついに兵士に付き添われてセーフルームを出ると、家中ひどく破壊されていた。ショーケースのドアは完全に破壊され、台所の窓も割れ、天井は穴だらけだった。

18時30分、私たちはキブツ・グヴロットに避難した。脱出する道中に見た光景が頭から離れない。キブツの門と門番所は、更地になっていた。タムリとベエリは車の中で粉々になったガラスの上に座っていた。遺体は道路に投げ捨てられていた。戦車は炎上し、車両は道路上でバラバラになっていた。

翌朝、私たちはより安全なサマールへと向かった。前日に味わった恐怖、惨劇の大きさ、その甚大な被害について、理解しようとしている。ホリットは私たちの故郷だった。これから私たちはどこへ行けばいいのだろう。ただ、私たちに大きな奇跡が起きたこと、私たち全員が生き延びたことだけは確かだ。そのことへの感謝は、尽きることが無い。

ダナ N.


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?