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私たちは疲れ果て、道の真ん中に立ち尽くし、助けを求めて手を振った。

午前6時、ダンスフロアは熱気に包まれ、幸福に満ちた美しい人々が日の出を待っていた。音楽祭の日の出ほど素晴らしいものはない。最高のシーンだ。

しかし日の出は、空いっぱいに広がる大量の「光」にその座を奪われた。音楽が止み、レッドアラートのサイレンの音が響いた。「光」は大量の弾幕だった。ニュースでしか見たことのないような、そして南部に住む人々しか知らないような激しさだった。体はショックで硬直したが、今すぐ逃げなければならないとわかっていた。
数秒で下したその決断が、おそらく私たちの命を救ったのだろう。

私たちは車に乗り、パニックで大混雑になっている会場出口へと向かった。人々は逃げ回っていた。レッドアラートのサイレンが鳴り響く中で、安全な場所を求めて人々がパニックになるのは当然だ。

T字路に差し掛かり、私たちは左折することにした。
1分も経たないうちに、突然、あらゆる方向を向いた車が大量に現れた。ひっくり返った車、血を流している人、そして車内に死体も見えた。そして、銃声が聞こえてきた。私の身体はショック状態に陥り、恐怖で顎と歯が硬直したのを感じた。このままこの道を進めば、おそらく次は私たちだ。

私たちは引き返した。
向こう側に見えた景色は、神と私だけが知っている。
白いバンが私たちのすぐ側の道路脇に立っていて、そこから先はもう戻れないことがわかった。
リオルと私は頭を下げ、彼はアクセルを踏み込んだ。私の耳には、何度も何度も炸裂する銃声が聞こえた。車はパンクしたが、私たちは運転を止めることはできなかった。

瞬く間に、車はビープ音を立て始め、停止してしまった。
私の心臓も止まった。私たちは終わりだ。こんなことが私たちに起こるはずがない。神様、そんなはずはありません。私たちには、帰りを待つ2人の子供がいます…
すべての決断は一瞬だった。車はない。そう、車はもうないのだ。私たちは命からがら車を飛び出し、走って、道端に隠れ場所を探そうとした。

まず頭に浮かんだのは、テロリストがすぐそこにいるということ。それだけでなく、彼らが空っぽの車を見つければ、私たちがそばに隠れていると理解し、見つけようとするだろうということだった。逃げ場はなく、すべてがむき出しだった。立っていたら見つかってしまう。目の前にはフェンスがあった。飛び越えたくても、できなかった。私たちはただそこに身を潜め、見つからないようにすることしかできないのだと覚悟した。
私たちは地面を掘り、葉っぱで身を隠し始めた。たくさんの葉っぱがそこらじゅうに散らばっていた。どうやったら顔や髪、体のあらゆる部分に葉っぱをつけられるか、それだけを考えた。髪の毛1本さえ彼らに見つからないように。

私たちは息をのみ、完全に沈黙した。背後では絶え間ない銃撃があり、私たちと同じような車両が次々と射撃されていた。一瞬たりとも動くことができなかった。

警察を呼ぼうとしたが出ない。消防署や救急車を呼ぼうとしたが、誰も出なかった。私は友人のマイとメッセージを送り合った。すべてが始まったあの瞬間、私たちはそれぞれ別の方向に逃げたのだが、マイも私たちと同じような状況に置かれていることがわかった。呼吸は速くなり、心臓は狂ったようにドキドキした。恐怖のあまりおしっこを漏らしてしまうような感覚を初めて味わった。もう後戻りはできないのだと心の中で理解した。両親から何度も電話がかかってきたが、私は出ることができなかった。私は兄にメールで状況を説明し、私たちを助けに来てくれるよう頼んだ。そして、両親には何が起きているのかを伝えないでほしいと。

数時間後、救急車のサイレンが聞こえた。そして車の音も。私たちはすぐにその場を離れるべきだと判断し、道路に向かって走った。まるで映画のワンシーンの主人公のようだった。私たちは疲れ果てて、道路の真ん中に立ち、涙を流しながら両手で運転手に止まるよう合図した。それは救急車であり、パトカーと軍用車だった。私たちは軍用車両に乗り込み、後部に座った。その瞬間、私たちは警官と兵士、そしてテロリストの銃撃戦の真っ只中にいることに気づいた。まだ戦いは終わっていないことを悟った。

どこからともなく、一組の親を乗せた車がやってきた。彼らは「息子たちに連絡をしても返事をしてくれない。何が起こっているのか誰にも分からない」と怯えながら話してくれた。イスラエル国防軍の兵士は、その夫婦と一緒に行けば安全だと知っていて、私たちをその夫婦に預けた。彼らは私たちを安全な場所まで送ってくれた。そこにはすでに兄が車で待っていた。

何が起こったのか全く理解できないまま、私たちは家まで車を走らせた。実家に帰り着いたその瞬間、私は自分たちの身に大きな奇跡が起きたことを理解した。母が床に倒れ、泣き叫び始めたのだ。

私の涙は止まらず、100錠の精神安定剤を飲んでも、嫌な考えが消えない。あの時の悲鳴、そして銃声、叫び声が消えない。日に日に辛くなる。
こんな風に考えてしまう。もし車のそばでもう少し待っていたら、私たちはどうなっていただろう。もし銃弾が車ではなく、私たちどちらかに当たっていたらどうなっていただろう。私たちと一緒にいて、そして今はもういない人たちのことを考えた。私たちが誘拐される側になっていたかもしれない。

誘拐された子供たちのことを考えると、母親である私は涙があふれ、引き裂かれるような思いだ。こうした悲しい考えが止まらない。
眠れない2日間。幽霊のように歩き続けた2日間。泣き腫らした目が痛んだ2日間。胃が捩れるように痛んだ2日間。どんな物音にも、どんな音にも、異常な恐怖を感じる2日間。我が子を見て、幻ではないかという気持ちになる2日間。そして、家族や友人に囲まれ、何年も音信不通だった人たちからもあたたかなメッセージをもらった2日間を過ごした。

それでもまだ消化しきれていない。これからどうすればいいのかわからない。私の心は壊れてしまった。
ただわかるのは、これまでの人生で最も恐ろしい経験をしたということ。そして立ち直るには長い時間がかかるということだけだ。

私たちは、イスラエルでは決して見ることのできない出来事の一部だった。神は私たちの声を聞き、私たちとともにいてくださったのだと思う。私たちは絶対的な摂理と偉大な奇跡を経験した。家には父親と母親を必要とする2人の子供がいて、彼らが私たちの力となった。

夫に何も起こらなかったことを神に感謝します。私一人ではこの事態に対処できなかったから。私たちの命を救ってくれた神のご決断に感謝します。私たちが一緒にいられたことに感謝します。

バー・M



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