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すぐ外で人が殺されているのに、私たちには身を守る武器が何ひとつなかった。

私たちは奇跡によって救われた。
私はネティヴ・ハアサラに住んでいた一人として、実体験をシェアしたい。今でも、当時の記憶は衝撃的で、自分なりの考察を通して説明しようと試みることしかできない。

10月7日、私たちは凄まじい数のロケット弾攻撃と共に朝を迎えた。ロケット弾攻撃には慣れていたが、今回は全く異質だった。
防空壕に身を寄せ合い、私と姉は極度の不安に襲われた。
爆発の不協和音に包まれ、続いて不穏な銃声が空気を貫いた。
それは今までかつて私たちが遭遇したことのない、非常に厳しい現実だった。「テロリスト?突然?そんなはずない…」そんな考えがよぎった。
私たちの両親はモシャブに所属していたが、入ってくる情報はまだ不確かなものだった。しかし突然、私たちを震撼させる情報が流れた。モシャブのメンバーが殺されたというのだ。その時私は、事態の深刻さを痛感した。

「何か行動を起こさなくちゃ!」と姉が叫び、私たちは急いでドアをバリケードしたり、窓を密閉したりした。しかし父は、窓に釘付けになり、外で何が起きているのか理解しようと必死になっていた。
すぐ外には銃声と無数のロケット弾がこだましているのに、武器は何一つなかった。私たちは無力感に打ちひしがれた。その瞬間私は、「その日を生き延びられないかもしれない」という厳しい現実に支配された。家の中でなすすべもなく待っていることは、生き残る可能性のある選択肢ではもはやなかった。ただ隠れ、沈黙を守らなければならなかった。

ショックを受けながらも、私は家族のための作戦を立てた。各自が具体的な任務にあたり、私たちは必要な物資を集めて静寂の中に身を隠した。砲撃が続く中、通りからは銃声と悲痛な叫び声が聞こえてきた。
私は大切な人たちにメッセージを書き、これが私の人生の終わりかもしれないという厳しい可能性、そして愛を伝えた。万が一、私たちに何かあったら、猫たちの世話をしてくれるよう頼んだ。外の世界が混乱に陥る中、身を隠しながら、私たちの心は暗く沈んで行った。

午後5時頃、イスラエル国防軍が外に駐留しているという知らせが入った。兵士たちは安全のために護衛しながら、私たちをモシャブから避難させ始めた。私たちは急いで荷物とペットたちをまとめ、家をあとにした。
逃げる道すがら、多くの警備員や火事、放置された車を見た。ロケット弾が上空を横切った。姉は親しい友人が殺されたことを知り、不安と戦っていた。
一方、私はショックのあまり、翌日になるまで自分たちが失ったものの深刻さを十分理解できなかった。右隣や左隣の家でも人が殺されていたことが、徐々に明らかになっていった。
なぜ私たち家族は助かったのだろう。もしテロリストたちが侵入してきたら、私たちはどうなっていたのだろう。常に不安がつきまとった。
翌日には、この地域の幼なじみが殺されたり、誘拐されたり、あるいは行方不明になったというニュースが次々と飛び込んできた。

私の心は深く傷つき、厳しい現実を受け入れるのに必死だ。
自分の中に残る痛みを表現するのは難しい。
心は深く沈んだままだが、頭では厳しい真実を理解することができる。私が想定する今後のシナリオが、私の想像にとどまることを切に願う。

だから、この困難な時期、私たちは団結し、互いに支え合いましょう。

カリンB.D.


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