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シェルターのクローゼットに子供たちを隠した

10月7日、午後2時。
私たち親子は、すでに7時間半もシェルターの中にいた。
シェルターに逃げこむ寸前、子供たちのためにタブレット端末を、自分のために携帯電話の充電器を、そしてナイフを手に取った。

カトラリーの引き出しの前で私は考えた。
「刃先は丸い方けど、よく切れるナイフがいいのかしら?
それとも、切れ味は悪くても刃先がとがっている方がいいの?」
…わからない。そんなジレンマに悩んだことはなかった。

「テロリストを殺して生き残るためには、どっちがいい?心臓と顔、どっちを刺すべき?そもそも殺される前に刺せるの?」
「彼らは私を殺した後、子供たちのベッドに気づくかしら?子供たちを探すかも?何があってもそこで静かにしているようにと念を押せば、子供たちはクローゼットに隠れて静かにしていられるかしら?
そもそも、静かにしていられたからと言って、助かるの?」

心臓が飛び出しそうだった。ただそう感じているだけかしら?
結局私は刃先のとがったナイフを選び、シェルターまで走り、鍵が取り付けられなかったドアを閉めた。だって、一体誰がこんな状況を想定できたというの?

私は、気を落ち着かせて、冷静に部屋を見渡した。 テロリストが入ってきたとき、最初に見るものは何だろう?最後に見るものは?

一番安全だと思ったクローゼットの前に子供たちを行かせた。
ベッドの下から、紐で結んでいた板を取り出し、切断した。その板でクローゼットの取っ手を固定しようとするけれど、うまくいかない。
カーテンロッドも分解した。その方が安定したのでそのままにした。
最後にキャビネットを動かして、シェルターのドアをふさいだ。これで、テロリストたちが押し入るまでに少しは時間が稼げるはずだ。

テロリスたちがドアを叩く音。
窓を叩く音。
沈黙。
再び、ドアと窓を叩く音。

午後2時。シェルターに入って、もう7時間半が経っていた。
長女が小声で「ママ、もうお昼過ぎだよね?」と尋ねた。
ナイフを選んだ時、食べ物や水も一緒に持ってくればよかった。
子供たちは昨日の夕食から何も食べていなかった。朝早いうちは、「土曜日に食べるいつものパンケーキが食べられない。」と文句を言う元気があった子供たちも、数時間後には静まり返り、何も尋ねてこなくなった。
誰も助けに来てくれない。外ではとめどない爆音が聞こえていた。
子供たちを脱水症状にさせるわけにはいかないし、空腹の辛い記憶を植え付けたくなかった。
私はシェルターの外に出ることを決めた。

子供たちに「何があってもそこにいるんだよ。」と言い聞かせ、私はキッチンに走り、できる限りのものを手に取った。シェルターに駆け戻り、急いでドアを閉めた。

子供たちは水を飲み、昨日焼いていたイーストケーキを食べた。
昨日は子供たちと一緒に、家族の分のケーキを作り、近所のお年寄りにも配った。彼らは今、無事だろうか?

「ママ、もっとケーキを食べていい?」
いいよ。
「ママ、もっと食べていい?」
いいよ。
「ママ、もっと食べていい?」
好きなだけ、食べていいよ。
長女は驚いて私を見た。
「どうして?このケーキは体にいいの?」

そのとき私は思い知った。
昨夜まで、「体を守る」と言えば、体に良い食事を摂ることだった。
日焼け止めを塗り、歯をしっかりと、奥歯も忘れずに磨くことだった。
なんて単純なことだったのか…
その瞬間、私たちはもう元には戻れないのだとわかった。もしここから助かり、安全な場所に逃れられたとしても。

アタル・M.


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