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横たわる人たちが全員亡くなっていると気づくまでに、しばらくかかった。

NOVA音楽祭は、2023年10月6日に幕を開けた。しかし、私たちにとっては、もう少し早くから始まっていた。
2週間前、オムリから電話があり、音楽祭のステージデザインを依頼されたのだ。本番まであと2週間?心配ない!相方のドロールはまだネパールにいたが、彼がイスラエルに戻り次第、私たちが作業を始めることは当然だった。

2023年9月20日。ネパールにいたドロールからメッセージが届いた。「姉さん、キプールが終わったら、朝一番に会場に行く。死ぬ気で働くよ!」彼のこのメッセージは、今では少し違う意味を持ってしまった。
翌日、ミコとオッシャーから電話があった。彼らはいつも私を笑わせてくれた。私はこの兄弟を見分けることができず、彼らもそれを面白がっていた。彼らは、私たち(私とドロール)にステージデザインをしてほしいと依頼をくれた。この2人の素晴らしい兄弟は、この業界で私たちに初めてチャンスを与えてくれた恩人だ。どうして断ることなどできるだろう?

電話を切った後、2つのステージ、そしてシャレルと準備したアート作品を仕上げるのに、10日しかないことに気づいた。たった10日間だ!私とドロールは狂ったように働き、24時間365日眠れない日々を過ごした。今日、私はそのことに、ドロールと共に過ごした最期の時間に感謝している。最高の別れだった。

2023年10月3日。ドロールと私は、相変わらず24時間体制で仕事をしていた。嬉しい来客もあった!インドで出会ったドロールの友人、アビダンとオデッドだ。彼らは北部へ向かう途中、挨拶に立ち寄ってくれた。私たちがステージで作業しているのを見て、彼らはとても興奮し、次の瞬間には私たちを手伝い始めた。アビダンとオデッドはまるで兄弟のように親しみを感じたが、実際には私は彼らのことをよく知らなかった。彼らが音楽祭に参加するのかさえ知らなかった。しかしその翌日、アビダンが電話をかけてきて、こう言った。「ねえリラズ、僕のアパートは音楽祭会場のすぐ近くだから、みんな僕の家に泊まったらいいよ。‏作業道具や作品を運ぶのにちょうどいい車があるから、僕に任せて。他に何か必要なものはあるかい?」なんてことだろう。彼は素晴らしい人だった。

数時間後、オムリから電話があり、イベント当日にステージを組み立てる時間は、8時間しかないことを告げられた。良いチームを作らなければならないと思い、私たちは友人たちに電話をかけ始めた。私はヨナタンに、ドロールは彼の親友であるショヴァルに電話した。ドロールには信じられないほど多くの友人がいた。「ショヴァルは紐組みが得意なんだ。彼は竹のアートをを手伝ってくれるよ」と、ドロールは言った。私はショヴァルのことをそれほどよく知らなかったが、ショヴァルは電話で私にこう言った。「ドロールは僕にとって兄弟みたいなものだから、何があっても助けに行くよ。お金のことは何も気にしない。イベントの初めから最後まで手伝うよ」と。私が手伝いを頼んだのではなく、彼の方から手伝いたいと頼まれた。

2023年10月6日午前4時。私たちは会場に集合した。ショヴァルは1時間も前から待っていて、私に「遅刻だよ」と言った。その瞬間から夜明けまで、フェスティバルのフェンスの周りにマッシュルーム・ステージを作った。ステージを組み立てる間にも、まだ別の音楽祭(ユニティ・フェスティバル)が開かれていた。重圧のかかる仕事だった。
昼過ぎには、アビダンとオデッドも合流し、士気が高まった。たくさんの素晴らしい人たちが手伝いに来てくれて、そして開催時間になった。全てのステージや装飾が確実に組み立てられているか確認した。今となっては、安全性を疑ったことが信じられない。ステージはあの地獄を乗り越えたのだから。

私たちの舞台美術の仕事では、私がデザインを担当しているが、本当に称賛に値するのはドロールだ。彼がいてくれたからこそ、物事はうまくいった。彼は誰よりも先に私を信じてくれた。彼はこの仕事に本当にのめり込んでいて、唯一無二の存在だった。

2023年10月7日午前2時。眠れない夜が続いたが、ようやくメインステージの建設が終わった。ドロール、ショヴァル、私の3人は少し休もうと考えていたが、アビダンとオデッドがパーティーに戻ろうとしていた。「やるしかない!踊ろう!」

午前5時20分。私たちは休憩を取った。私とオデッドと先に、そして残りのメンバーは数分後にやってきた。ドロールと私は互いに目配せをして、話をした。彼は私に夢を語り、私たちはステージをとても誇りに思った。
私はあまりに疲れていて起きていられなかったので、日の出を待って、写真を何枚か撮ってから眠りについた。

午前6時31分だった。マッシュルーム・エリアのステージ裏で休んでいた時に、レッドアラートが鳴った。上空にロケットが何発か見えた。オムリがDJと一緒にステージから降りながら「リル、何が起きたんだ?」と尋ねた。私は「わからない、ただの雑音かもしれない」と答えた。アビシャイは私のいる方に移動してきて、他の大勢の人たちも会場出口に向かった。私はドロールに一緒に来るように言ったが、彼は「ここにいたい」と言った。私はどうすればいいか分からなかった。アシュケロンに住んでいるアビダンに電話をかけ、これが通常の出来事なのか聞いてみた。「いつものことだよ、ここに残って大丈夫さ」私は本当に、どうすればいいのかわからなかった。

アビシャイ、リャドと私はアビシャイの車でパーティー会場右側の出口に向かっていた。警察は車を外にうまく誘導できていなかった。ナビが「右に進め」と示したので、私たちは右折した。しかし、しばらく走ると、ロケット弾がますます近づいているように見えたので、会場に引き返すように頼んだ。私はドロールと一緒にいたかった。ドロールたちに電話をかけ、「一緒にアビダンの家に行こう」と伝えると、彼らは「ここに残って仕事を終わらせ、ステージを解体してから家に帰る」と言って聞かなかった。

アビシャイはドロールに怒鳴り始めた。「兄弟、お前と言い争ったり、喧嘩したりしたくない。俺たちはチームだろう。会場の片付けはあとでやればいいんだ」私たちはパーティーの反対側の出口に行き、アビダンの家に向かった。彼らの身に起きることも知らずに。

2キロほど走ったところで、前を走っていた車が向きを変え始めた。乗っていたのはアビシャイの友人で、テロリストがいてあちこちで銃を乱射していると言っていた。彼らはすぐさま私たちの車に乗り込み、私たちは急いでその場を離れた。彼らの名前はガルとマオルで、一人はパニック発作を起こし、もう一人は顔に血がついていた。私は彼の体をチェックし、かすり傷だと分かり、心配ないと伝えた。

数分の間、私と仲間たちは、他の通行人に、危険だからこの先の道を行かないようにと警告してまわった。また、警察に電話をかけ、この道路を封鎖するよう懇願した。「何が起きているのか全くわかりません。今すぐ助けに来てください!」

午前7時5分。私はドロールに自分の居場所を送り、「ここは大混乱で、テロリストが人を撃っているの。ここには来ないで!」と伝えた。私はドロールの状況がわからなかった。
私たちはしばし身を隠していたが、アビシャイが銃声を聞いたので、真向かいにあるキブツ・サアドに向かった。遠くの方に銃殺部隊の男二人が見えた。一人はM16を持ち、もう一人は靴を履かずにツィツィットを着て銃を持った男だった。私たちはキブツに逃げ込み、先ほどまで私たちと一緒にいた人たちの姿が見えないことに気づいた。すると、彼らが傷ついた姿でキブツに入ってきた。‏次々と怪我人が運ばれてきた。私はMDA(イスラエルにおける赤十字社)に再び電話をかけ、助けを求めた。位置情報や怪我人の写真を送った。他の人は怪我人の応急処置にあたった。

ノアムという男がやってきて、「軍の車両が爆破された」と言った。彼は非常にショックを受けていた。後日彼のことはニュースで見かけた。アビシャイは彼のために、上着を枕にして渡した。
私はオズと一緒にいた。オズは兵士で、任務に向かう途中で肩と背中を撃たれていた。私はためらいなく手袋をはめ、彼の傷口を押さえた。救急隊員がキブツから救急箱を持ってきてくれた。私は応急処置など何も知らなかったが、救急車と一緒に待機しているときから彼の傷口から手を一切離さなかった。MDA(イスラエルにおける赤十字社)は助けに来ず、キブツの誰かが、「重傷者は今すぐ(ベエル・シェバの)ソロカ病院に運ぼう」と決断した。別の誰かは自家用車の座席を取り払い、トランクを開けた荷台に担架を2つ乗せた。

アビシャイは運転手と一緒に前の座席に乗り、私は後部座席でオズの介抱をした。隣にはタイ人のカップルがいて、女性は背骨を撃たれていた。男性はショック状態で反応が無く、コミュニケーションを取ることができなかった。オズに話を振ると、「君は糖尿病なのかい?」と冗談を言ってきた。彼は2カ所も撃たれて重症だったのに私を気遣ってきたから、おかしくて笑ってしまった。
私たちの車は完全に無防備だった。運転手に「敵の戦車からどう逃げるのか」と尋ねると、彼は「最善を尽くす」と言った。

救急車を見つけたので、その隣に停車した。車の床に横たわっていたオズは、私に「傷口から手を離さないでくれ」と頼んだ。私は、「もう大丈夫。医師がいて、治療を受けられるから」と答えた。
医師がオズを診察したところ、血圧が高く、バイタルが安定していなかった。診察するスペースをあけるために、私は一瞬手を離した。立ち上がると、バスターミナルにもその反対側にも、負傷して倒れている人々が見えた。ある男性はブランドストーンの靴を履いて横たわっていたが、彼の足はそこにはなく、靴は片方だけだった。彼の目は開いたままで、周りには地獄が広がっていた。しばらく彼を見つめたが、彼はとても穏やかで安らかな表情をしていた。隣には女の子がいた。この光景をもはや思い出すことはできない。

残りの人々は毛布で覆われていた。全員が死体だと気づくのに数分かかったと思う。隣の車では、誰かが車の中に戻ろうとしているような変わった体勢をしていた。医師に見に来るように言うと、誰かがドアを開けた。それは死体だった。
友人のシェイもそこにいて、ガールフレンドが車の中で撃たれ、心肺蘇生を試みたことを話してくれた。

バスターミナルの後ろにまわり、しばらくすると、私はパニック発作に襲われた。すぐに発作に気づいたので、呼吸を整えようとした。パニック発作を起こすような状況ではなかったからだ。どうしたらいいのかわからなかった。
救急車の中でオズを介抱していると、彼は私たちに一緒に来てほしいと言ったので、アビシャイと私はソロカまで付き添うことにした。

午前8時半。ドロールからメールが来た。
ドロール:「大丈夫?」
私   :「うん。怪我人に付き添って、ソロカに向かってる」
ドロール:「気をつけて」
私   :「あなたは、一体どこにいるの?」
ドロール:「ステージの下に隠れている。信じられない。テロだ。
     人が爆発するのを見た。死体だらけだ。
     ここはめちゃくちゃだ」
私   :「何が起きているの?あなたは安全なの?」
ドロール:「ステージの下にいて、あらゆる方向から撃たれてる。
     這いつくばって、最善を祈るしかない」

私の携帯バッテリーは残り2%だった。
私は彼に最後のメッセージを書いた。
私   :「もうバッテリーがないの。
     このあとはアビシャイに連絡して。どうか気をつけて」

9時12分。ドロールから紫色のハートの絵文字が送られてきた。私は何も知らなかった。

ソロカに向かう途中、青い車が私たちの前に止まり、誰かが救急車に向かって走ってきた。今まさに銃撃された様子の青年だった。彼の指は銃撃によって吹き飛んでいた。彼は救急隊員に、「首は撃たれているか」と尋ねていた。首が撃たれた状態で、運転なんてできるわけない、と耳を疑った。しかし、救急隊員は彼が撃たれていることを確認した。

アビシャイはこの青年の車を代わりに運転し、私たちはソロカ病院に到着した。そこにはたくさんの人がいて、ほとんどがアラブ人だった。すべてが生々しく、レッドアラートがずっと鳴っている間、私たちは駐車場に避難した。
しばらくして、病院の受付でアビシャイの友人について尋ねた。彼が殺されたという知らせを聞いたばかりだったのだ。しかし、「まだ負傷者ばかりで、遺体はない」と言われた。「一体何人が負傷し、何人が殺されたのだろう」全くわからなかった。

10時42分。携帯電話を充電し、すぐにドロールにメッセージを送った。

私(10:42)「?????
      あなたたちの身に何が起きているの?
      ?????」
私(12:41)「ドローーーール!
      お願いだから返事をして」

何が起きたのか、私には知る由もなかった。

その日、私たちは南からテルアビブへ向かう車に乗ってソロカ病院を出た。そしてハディドへ、そのあとアフラへと連れて行かれた。それ以来、私たちはここにいて、このテロの被害の大きさを理解しようとしてきた。一緒にステージを作り上げた仲間たちがどこにいるのかわからなかった。
自分自身にも、他の人々にも、亡くなった人たちの家族にも、この体験を語ることは難しい。しかし、彼らが忘れられないために、私は最善を尽くそうとしている。

ドロール・バハット!!!!!!!!!!

アビダン・タージュマン!!!!!!!!!!!!!

オデッド・アバーゲル!!!!!!!!!!!!!

ショバル・ヤコブ!!!!!!!!!!!!!

彼らの名前の横に "R.I.P "と書くなんて、本当に気が狂いそうだ。彼らは皆、野蛮なテロリストに殺された。おそらく同じ舞台の下で。彼らが築き上げたその舞台の下で、全員共に。
ドロールとショバルは同じ日に、アビダンとオデッドはその翌日に遺体が安置された。

私の心は粉々に砕け散り、時にはその痛みに耐えられないこともある。これほど多くの人のために同時に泣くことができるだろうか?今、この世界から多くの光が奪われ、彼らを表現するには言葉が足りない。あの日命を奪われた人たちが他にもたくさんいることは知っている。けれど彼らがあの時、私と一緒にいたことを知ってほしい。「ステージはあなたが作ったの?」と聞かれたら、「彼らが作った」と答えたい。私はただのデザイナーだったから。彼らのいない世界を生きることは、本当に辛い。

あなたたちは、この仕事を完成させたかったんだよね。ステージの機材を持ち帰り、満足し、安心して家に帰りたかったんだよね。何が起きるかなんて分からなかったから、ただ会場にいたかったんだよね。2日前、フェイスブックに書き込みをしたら、優しい人たちが片付けを手伝いに来てくれたよ。あなたたちなら絶対に、同じことをしたに違いない。計画していた通りに、仕事を祝うチャンスがなかったね。古き良き、素晴らしいインド料理ディナーを作ろうと言っていたのに。もう、できなくなってしまったね。

この日のことを、私は一生忘れない。あなたたちのことを本当に知ることができたこの日のことを。光を失ったこの真っ暗闇の世界を、あなたたちが経験せずに済んだと思うことがせめてもの救いだ。
安らかに眠れ。

リラズ・U

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