こんなところでは死ねない。生きたい!
10月7日。その日を生涯忘れることはないだろう。
私は、今経験していることを書き留めることにした。そうすれば、少しは気が楽になるかもしれないから。
たくさんのサポートを受け本当に感謝しているけど、なぜか気持ちは晴れない。苦しい思いは変わらず、説明もうまく出来ない。
みんなに元気かと聞かれるが、いつも答えは同じ。
「私は大丈夫、生きている。」
「私は生きている」という言葉は、ギヴァタイムにある私のアパートに戻り、あそこから抜け出したとわかった瞬間から、私の頭の中で繰り返し響いている。
私たちは泣き、強く抱き合った。私は生きている。生き延びたんだ。
私がどうやって生き延びたかの詳細は重要ではない。なぜなら、それは、運の問題、多大な運と計り知れない奇跡の連続だっただけのこと。私たちが瞬時に選んだすべてのルートが、たまたまラッキーだっただけ。奇跡でしかない。
一体どれだけの奇跡で守られたのかに気づいたのは、 家に辿り着いて、何時間も座ってニュースを観てからだ。今思えば、すべてを客観的に見たその時に初めて、自分が何から救われたのかがわかった。
もしあと15~20分長くあのパーティー会場に残っていたら、もしテロリストのグループが来た時に逃げるのが遅れていたら、もし多くの人たちと同じように車を乗り捨てていたら、もし左折せずに他の人たちと同じように右折していたら、もし泥から車を引き上げることができなかったら、もしあそこまで速く運転していなかったら、どうなっていただろう…そう想像することは、この世で最も恐ろしいことだった。
殺害された人々や誘拐された人々のことをニュースで見て、私たちの身にも十分にあり得たことだったことを痛感した。しかし、私たちには奇跡を起こす守護天使がいたようで、私たちが瞬時に正しい判断をして安全に逃げられるように導いてくれた。
生き残れるかどうかもわからない2時間、永遠に感じられた2時間、私の頭の中にあったのはただ「こんなところで死ぬわけにはいかない。生きたい!」ということだけだった。
だから、質問にはこう答える。「私は大丈夫、生きている」と。
まだ実感がわかないし、このトラウマと向き合い癒されるには、時間がかかるだろう。でも、友人と私は生きている。私たちは生き残ったのだ。
正直、この痛み、悲しみ、怒りをどう受け止めていけばいいのかさえわからない。あの人間とは思えない獣たちが、兵士や子どもたち、お年寄り、あらゆる人々を人間性のかけらもなく殺したのだ。どうして、どうしてそんなことが出来るのだろう。信じられない。このすべてを受け入れることなど絶対に不可能だ。
私は、逃げ遅れた人たち、殺された人たち、誘拐された人たち、彼らの友人や家族とともに、大きな痛みに苦しんでいる。すごく辛くて悲しい。
このようなことが起きたのは、フェアではない。全くフェアじゃない…なぜ彼らは生き残れなかったのに、私は生き残れたのだろう?
本当は大丈夫ではないけど、私は生きている。
あとは癒されるだけだ。
ドール・T
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