車が曲がる度に、これで人生が終わるかもしれない...そう思いながら走り続けた
どうやって脱出できたの?
タイミングよく逃げたの?
みんなが私にこう聞いてきます。
もし「タイミングよく逃げた」のであれば、そもそも、あの時あの場所にはいなかったでしょう。私が生き残れたのは、タイミングよく逃げたからだと、シンプルに言えることではありません。
それを説明するには、もっと詳しく述べなければなりません。脱出作戦をうまく遂行できたかのように見えるかもしれませんが、現実は、その時々に瞬時にした決断が、たまたま死に至るものでなく、それらの奇跡の連続によって生き延びることができたのです。
すべては素晴らしい日の出から始まりました。音楽に包まれ、体中の血が騒ぎ、ただダンスに酔いしれていました。夕日のような日の出は息を呑むほど綺麗でした。このパーティに友人を誘った自分を誇りに思ったのは、この時が最後。私は、友達のヤエルに、とにかく誰にも邪魔されずに音楽に浸りたいから、サングラスをかけて踊ろうと言い、カンタ(座る場所)にサングラスを取りに戻りました。ヨニットもついてきました。
カンタに向かっていると、今まで聞いたこともないような爆炎が空で響き始めました。
私がヤエルを見ると、彼女はいつもと変わらない落ち着いた声で「迫撃砲の爆弾よ。」と言ったので、私はすぐに「逃げよう」と言いました。
タマルとイファトがまだダンスフロアで踊っているとヨニットが言っています。まず、一番初めに運命の分岐点となった決断は、私たち全員でタマルとイファトを迎えに行くと決めたことです。もし私たちがあの時一緒に行動していなかったら、今日の私はいないでしょう。
私たちはすぐにカンタに戻り、まるで軍隊の様に3分以内で荷物をまとめ、バックパックを背負いました。荷物をまとめている間、イベントスタッフがステージでパーティーは終了するとアナウンスしていました。そのスタッフは、一切取り乱さず、周囲の参加者に気を配っていました。アラド・フェスティバル(1995年に開催された音楽フェスティバルで、開催側の怠慢が原因で圧死者が出た)に参加した者にとっては、その差は歴然としていました。
私たちは駐車場へと急ぎました。皆、少なくとも2人以上の子供を持つ母親なので、なんとしても無事に帰らなくてはいけないと思っていました。途中で、駐車場に早く戻れるように真ん中のフェンスが取り去られていることにヤエルが気づきました!これもイベント開催者の方たちに感謝です。
ヤエルと私は自分たちの車に乗り込み、タマル、イファト、ヨニットはヨニットの車に乗り込みました。運転は私とヨニット。ヨニットは、どんな状況下でも冷静保てる人なので安心しました。彼女ならみんなの面倒を見てくれると思ったし、私はヤエルの面倒を見るつもりでした。早速車を発車させました。
出口でちょっとした渋滞があり、誰かが私に向かって、早く進めと罵り始めました。誰も車でひかないように慎重に運転していただけなのに。私も怒鳴り返そうとしましたが、ヤエルがそんなことはいつでも出来るから、今はここから脱出することが先決だと言いました。
私はパーティに持ってきたスナックを食べ始めました。何か口にするといつも落ち着くのです。
周りの車からは、こんな状況で食べるなんてと笑われたけど、一瞬でもみんなを笑わせることができて嬉しくなりました。
渋滞から抜け出すことができ、警官にアフィキムに向かって南下するように言われました。
でも私はWaze(ナビゲーションアプリ)の示す方向、北へ走りました。それが賢明な判断だったかどうかはわかりません。(今思えば、その判断で、最終的には家に帰れることになったので、あの時の判断は良かったと思います。)それから、10分ほど走ったところで、何台かの車が前で立ち往生していました。道路に金属の破片が落ちているのが見え、引き返せと叫んでいる人がいました。 全く前に進めないので、引き返すことにしました。
南に20分ほど走り、また渋滞、またそこでも引き返すように言われました。まるで実験用ネズミが、あっちに行ったりこっちに来たりと、ぐるぐる回っている感じです。周りにいた警官たちは、助けようとはしてくれているものの、何をしたらいいのか迷っているようで、私たち以上に何かを知っているようには見えませんでした。結局また同じ道を戻って行きました。
タマル、イファト、ヨニットが車から降りて移動式シェルターに入っていくのを見ました。「私達もそうしたほうがいいかな」とヤエルに尋ねると、彼女は「このまま車で逃げよう」と答えました!
振り返ってみると、これも正解でした。
Uターンを4回程繰り返し、気付くと、1時間前に出発したパーティーの入り口に戻っていました。また渋滞に巻き込まれたところで、ヤエルが 「銃声がするわ。聞こえる?」と言いました。
確かに...
パトカーが車で道筋を作りながら野原を走り抜けて行ったので、私はすぐにその後を追いました。
渋滞のど真ん中にいたので、そこから出るのは簡単ではありませんでしたが、 バック、前進、バック、前進で、狭いスペースに駐車する、"テルアビブ式駐車 "の様に、車を動かして、パトカーの後を追いました。切り返し中に、ヨニットの車に当ててしまったようで、彼女は叫んでいましたが、私は車が無事であることを確認し、テルアビブで詳細を交換しようと彼女に伝えました。
ヨニット、タマル、イファトは車を離れ、歩いて橋の下に向かっていました。(次の日に、ヤエルが私に言ったことによると、私たちのすぐ前の車に乗っていた人たちが、車から飛び降りて私たちの方に向かって走り出し、「私たちを狙っている!」と叫んでいたそうです。)
このときの記憶はありません。私の頭にあったのは、家に帰らなければならないということだけでした!そして、ヤエルと私は車で逃げることを決めていました。なんとか野原を走っていましたがパトカーを見失ったので、他の車を追いかけ始めましたが、どの車も走る方向がバラバラでした。道もない中、みんな無事に家に帰れることを祈りながら、瞬時の選択をしなければならず、その選択が正しいかも確信がないまま進んでいました。ある曲がり角で3人が私たちの車に乗ってきましたが、2分後にはその人達は降りて行きました。
その数秒後、2人の女性がガス欠だから他の仲間2人を乗せてくれないかと言ってきたので、了承し、彼女たちにも一緒に乗るようにいいましたが、彼女たちは大丈夫だと言い車には乗って来ませんでした。私の車はいつも、ガソリンが満タンであることはないのに、この時初めて満タンであることを神に感謝しました!あの2人の女性が無事でありますように。
車に乗ってきたカップルはエイラトから来ていて、とても不安そうでした。女性の方は電話で叫んでいて、私は集中できないから黙ってくれと頼みました。
彼女は警察に救助に来てもらおうと一生懸命訴えていたけど、今動き出そうとしている警察の時間を取って、邪魔をしているとしか思えませんでした。私たちは右へ左へ、道もわからずに曲がり続けました。そこは農道で、一日の仕事が終わって、家に帰る農家につながっているに違いないと思ったので、その道を走り続けることにしました。恐怖な上に、車も周りも埃だらけ。前も良く見えませんでした。
野原はオープンで何もなく、私たちは標的になっているカモのようでした。私は、地面の砂にタイヤが埋まって動けなくなるのではないかと、心中とても心配していました。ヤエルは地図を見続け、私たちが確実に東に向かっているかを常に確認してくれていました!テロリストが狙っていたのは正にパーティにいた私たちでした。このことが、ニュースになっていることに気づき始めたのは、「大丈夫?」とたくさんの人達からメッセージが来ていたからです。私はみんなに、「大丈夫だけど、今、脱出の真っ最中だから、話すことはできない」と返信しました。心の中では、一寸先は闇、いつなんどき状況が変わるかもしれないことは分かっていました。
曲がる度に、殺されずに済んだことに、毎回安堵の息を吐き、また次に曲がる時には、息を飲み込みました。白い軽トラックを見かけ、たくさんの人が荷台に捕まって乗っていました。彼らは確実にテロリストで、中の方を見るとパーティにいた子どもたちが乗っていました。(翌日、ヤエルと私は、彼らが生存者なのか人質だったのかと思いを巡らしていました。どちらにしても、テロリストが私たちを撃ってこなかったことは本当に良かったです。)
そうこうしているうちに、道路脇で立ち往生している車があり、停車するように手を振っている人たちを見かけました。初め、ヤエルは、「知らない人たちだし、車で通り過ぎよう」と言いました。近づいたら、パーティーにいた人たちだとわかりました。彼らの車は、私が正に心配してた通り、砂に埋まって動けなくなっていました。私は彼らに、車に乗る?と聞き、彼らは誰が車に乗り、誰が残るかで議論し始めました。誰もほかの人の命が救われるチャンスを奪い取りたくなかったのです。
こんなに思いやりのある場面に遭遇したのは初めてです!
私はとにかく、早く誰か車に乗るように言い、ヤエルは、他の人たちは、別の車に乗った方がいい、グループで一緒に行動しない方がいいと伝えました。彼らが無事だといいけど。車に乗ってきたのはホロン出身のダニエルと言う男性でした。彼は女の子の友達と電話をしていました。その女の子のボーイフレンドとその友人が彼女の隣で殺され、彼女は血を流しているそうです。誰も助けに来てくれない中、彼女は誰か止血しれくれないかと電話口で懇願していました。私はダニエルに電話を切って彼女は警察を呼ぶべきだと言いました。彼は、私は何もわかっていないと言い、私は、私が分かっているのは、今運転していることだと言いました。運転に集中するためには感情的にならずに落ち着く必要があると言いました。彼はその意味を理解して、それ以上何も言ってきませんでした。
その時点で、彼は友人を置き去りにしたという事実に苦しんでいましたが、私は彼が生きていてくれてよかったと思います。ヤエルは私たちを東へと導き続けてくれました。ヤエルは私たちの位置情報を、彼女の友達にライブで知らせ、彼がミサイル警報を見ながら安全に導いてくれました。まるで小さな戦場にいるようでした。ヤエルはヨニット、イーファト、タマルたちにライブ位置情報を送り、道路で見かけた標識を読んで、私たちと同じ方向に運転するように指示していました。
ヨニットの車の位置情報が止まり、10分経っても動きません。ヤエルと私は息ができない程心配しました。
家にいるヨージェフに電話して、ヨニットとタマルにすぐに電話をして、無事か確かめるように頼みました。私たちもまだ逃げている途中で、その瞬間、なぜ私の車に知らない人たち3人を乗せているのに、私の友人3人を乗せていないのかと心苦しくなりました。一生残る罪悪感を抱くような耐えがたい気持ちでした。
ヨニットはfairies(私たちのグループチャット)にメッセージをくれました。ツェリムの地下壕で、兵士たちと一緒にいるということでした。さらに6人を加えて兵士たちの車に乗って移動していました。私たちはなんとか高速道路6号線に乗り、エイラトから来た女の子にトイレ休憩を頼まれましたが、ヤエルと私は、「止まれるわけないじゃない」と、その子が”幻覚でも見てるの”という目で睨みつけました。アシュケロンの近くのキルヤット・ガット地区に着き、そこは安全な地点であると判断し、また何か起こる前に、私たちはトイレに行きました。
目の前の空に煙が立ち込めるなか、また走り続けました。私たちはすでに安全な場所まで来ていましたが、まったくそうは感じられませんでした。車に乗っている人たちが、途中で自分たちの家まで送ってほしいと言い始めましたが、私とヤエルは一刻も早く自分たちの娘たちのところに無事にたどり着きたいと思っていました。
次に止まる場所はテルアビブのキブツ・ガルヨ通りにある警察署だと伝えました。そこにつくと彼らは車を降りました。私はヤエルを家まで送りました。
家に着くと、近所の人がショックを受けている私を見て駆け寄って来て、戦争が始まったと言いました。
私はさらにショックを受けました。
家に入り、10年ぶりにニュースを聞きました。その時警報が鳴りましたが、ソファから立ち上がれませんでした。これまでのことに比べたら、全てが大したことないように感じました。
私はみんなに、かすり傷ひとつないから大丈夫だと言いました。
何人かは私が困惑していると思い、ただ抱きしめに来てくれました。
私は家に向かいました。1時間後にはもう家に着いていました。
私は午前10時、タマル・イファトとヨニットは午後4時に到着。
今日はそれから3日後の10月10日火曜日。
スーパーマーケットにいたときに気づいたのですが、私の体はヤエルと一緒に、(スーパーマーケットから)家に帰ろうとして車の中にいました。説明するのは難しいです。
昨夜、覚えてなかった光景がよみがえり始めました。思い出したくないけど、これから2、3日したら、もっと多くの記憶が戻ってくると思います。でもそうすることで、私の魂は癒されるかもしれません。日曜日の朝、ヤエルに「生きているね」とメールしました。彼女は「そして家に帰ってこれた」と返してきました。彼女は正しかった。私にもヤエルにとっても、「生きて家にいること」は特別なことでした。
今私が感じているのは(いろいろなことに対する)罪悪感ですが、娘たちにまだママ(私)とパパがいて、本当に良かったです。膨大な量の電話とメールで、私たちがどんな地獄にいたのかがわかりました。まだ何があったのか頭で整理できていません。その場にいた人たち、帰ってこれた人たち、帰ってこれなかった人たちを心から愛し、そしてこの恐ろしい、理解しがたいことへの報復のために召集された人たちのことを、私は心から心配しています。
みんなが無事に帰ってくることを願っています。
もう私はこれ以上耐えられません。
ナタリー・K
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