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私は心の中で懸命に、死ぬ覚悟を固め始めた。

今朝目が覚めた時、自分の体験を証言しようと思った。自分でもなぜかはわからない。おそらく、あの体験を振り返る心の準備ができたのだろう。経験した恐怖を世界中の人に知ってもらうためなのかもしれない。一番は、自分自身に刻み込むためだろう。愛する人たちと祝杯をあげ、疲れを癒すべき場所で起きたこの恐ろしい出来事の中で、自分が迂闊に命を落としそうになったことを。

私とユヴァルはNOVA音楽祭の会場に着いた。私たちはコロンビアのどこかで出会ったのだが、私たちが初めて一緒に行ったのは、数奇なことにこのNOVA音楽祭だった。ユヴァルと私、そして彼の友人でその日に知り合ったヨアヴと、同じくその日に知り合ったシャニで会場に乗り込んだ。到着してすぐ、カンタ(休憩所)に荷物を置いた。みんなで会場を散策したが、私はかなり疲れていて、楽しむ気持ちにはなれなかった。カンタでくつろいでいたら、いつの間にか眠ってしまった。

目を覚ますと、爆音が鳴り響いていた。午前6時30分頃で、危険はすでに迫り始めていたが、私は自分自身にこう言い聞かせた。「OK、確かにここはガザ辺境だわ。でもまさか今、レッドアラートが発令されるわけがない。これはきっと花火の音よ。」そう思ったのも束の間、警官たちができるだけ早く避難するようにと参加者たちに呼びかけ始めた。
トランス音楽のパーティの素晴らしい世界を知っている人なら、午前6時半がハイライトのひとつであり、喜びのピークであることを知っている。私はただただ音楽を楽しみ、降ろすべき重荷をすべて降ろすためにここに来たのに。

私は泣き出し、パニックになった。どうすればいいのかわからなかった。そうね、家に帰ればいいのよ!けれど、ベエル・シェバのユヴァル(の家)まで車で行くのは危険だし、時間もかかる。とにかく私たちは身支度をし、荷物を集めた。車に乗り込み、いつものように荷物を積み始めた。
こういうパーティーの終わりにはいつも、野外で音楽を流している車を見かけるものだ。ちょうど私が大好きなモダスの曲が聞こえたので、私は突然踊りたい衝動に火がつき、踊り始めた。2年前、オズラ音楽祭のオープニングで、この曲が流れていたことがあまりに嬉しくて、「トランス状態で死なせて!」と友達に叫んだことを思い出した。その言葉がやがてどんな意味を持つことになるのか、当時の私は知る由もなかった。ただこの音楽が大好きで、いつまでもこの音楽とともに喜び、踊り続けたいという意味で発した言葉だった。

数分もしないうちに、私たちは車に乗り込み、いざ出発の準備が整ったその時、私は携帯電話を無くしたことに気づいた。ユヴァルと私だけがカンタに走り、そこに忘れてきたかどうかを確認しに戻った。携帯はバッグの中にあった。私たちは車に戻ろうとしたが、何百台もの車が同時に出発しようとする大混乱の中で、ヨアヴの車を見つけることができなかった。私たちはヨアヴとシャニの居場所を探し、平静を保とうとした。駐車場の出口で座って待っていると、突然、女性の泣き叫ぶ声が聞こえた。「車が銃撃された!」

私は自分の聞いたことが信じられなかった。まだ何が起きているのか理解できていなかったのだ。しかし、足を撃たれた少女がいることがわかり、救急隊員であるユヴァルが助けに走った。
私たちはようやくヨアヴを見つけ、渋滞の列に戻った。シャニはとても怯えていたが、私はすでにチートスの袋を開けて食べ始めていた。事態の深刻さを全く理解できていなかったのだ。
私たちは車を走らせ始めたが、渋滞は遅々として進まなかった。すると突然、警官か警備員が「テロリストがいるぞ!みんな車から降りて野原に逃げろ!」と叫んだ。大パニックになったが、そんな狂気じみた狂った瞬間でさえ、私はまだどれほど危険が大きいのかを理解していなかったし、信じてはいなかった。

何百人、何千人という人々が荒野を逃げ惑う中を、私たちは走り始めた。背後ではレッドアラートのサイレン、爆発音、そして次第に銃声が聞こえてきた。「私たちは一体何をしているの!?」とユヴァルに尋ねたことを覚えている。みんなが一緒に走っているのは理解できたが、それが正しいことなのか疑問に思った。命を危険にさらす行為だと分かってはいても、本能に従って走り、命がけで戦う以外にできることはなかった。それ以外の選択肢は何もなかったのだ。

道中、私たちはできるだけ賢くあろうとした。母が電話をかけてきて、何が起きているのと聞いてきた。私は「わからない。ひどい大混乱が起きているの。でもきっとすぐに警察や軍隊が到着して、対処してくれるわ」と言った。
40分ほど走った後、私は恐怖を感じ、隠れることにした。振り返ってみると、この決断が私たちの命を救った。パーティー会場へ続く道からかなり離れた大きな木の下で、私たちは地面にくぼみのようなものを見つけ、すぐに中に隠れた。ヨアヴは(くぼみの)外で見張ろうと思っていたようだが、頭上で銃声が聞こえたので、彼も中に避難した。私たちは地面に直接座るのではなく、幅広い大きな串のような木片の上にまたがって身を隠した。

ヨアヴとユヴァルは片側に身を伏せ、私とシャニは抱き合って座った。木の破片は本当に痛く、慣れるまでには時間がかかったが、時間が経つにつれ、私たちは木と一体化し、痛みにも慣れ、それを忘れていった。それでも時間が経つにつれて、私がどんな風に動いても、木の棘はシャニを刺し、逆もまた然りだった。私たちはできるだけ優しく動こうとした。私たちはその木を砕くことができず、落ち着いて座る場所を確保することもできずにいた。幸い、私はフリースの長ズボンをはいていた。当初は「しまった、短いものに着替えるべきだった。暑くなるのに」と思ったが、振り返れば、ズボンが破片から私を守ってくれたのだ。

そのくぼみに横たわった瞬間から、銃声とロケットの炸裂音がやまなかった。テロリストたちがこの居場所を特定することを恐れ、私たちは携帯電話を機内モードにしていた。30~40分経ったころ、左足がしびれてきて、即座に動かそうとしたが足の置き場がなかった。足を動かすたびにシャニは痛かったが、私はしびれを感じ、気が狂いそうになった。これは異常事態であり、不快な姿勢や困難な瞬間に耐えなければならないことを体に言い聞かせ、できる限り動かさないようにした。すべては、いつかこの状況から抜け出せるようにするためだ。

私は携帯電話で時間を確認し、私たちがこの茂みに1時間も隠れていたことに気づいた。信じられなかった。「これは長い戦いになる」と自分に言い聞かせた。はじめのうちは、ヘリコプターや戦車が到着して私たちを救助してくれることを想像していた。しかし、徐々にその思いは消え去り、想像することさえできなくなった。
「どうして銃撃は鳴り止まないの?」とシャニが訊いたが、私もあれほど激しい銃撃が止まらずに続いたことが信じられなかった。外で何が起こっているのかは全くわからなかった。私たちは地下にいたようなもので、見つかることを恐れて外を覗くことはできなかったのだ。何が待ち受けているのかわからなかった。外で地面が燃えている景色が見えるのだろうか?

突然ふと、喧騒が止んだ。叫び声も聞こえなくなった。静寂と、銃弾が発射される音だけが響いた。あの銃弾の音は忘れられない。あんなにリアルに聞いたことはない。人の所業ではない。

私は自分に語りかけた。「マヤ、あなたは以前にも極限状態に陥ったことがあるし、クレイジーな人生を送っているとみんなにも言われているわね。けれど、これは一体どういうこと?ひどすぎる」私は自分が経験していることが信じられなかった。

約1時間後、私たちは勇気を出して家族や友人に電話することにした。ヨアヴは諜報部員と電話で話し、何をすべきか相談した。彼は近くの町に行くことを勧めたが、グーグルマップで調べると、一番近い町まで歩いて40分かかり、1分でも歩くと危険なことは自明だった。私たちは茂みの中にとどまり、命が助かるように祈ることにした。ヨアヴはガールフレンドにメールを送り、警察に通報してもらった。私は父とヨニとリドルに電話した。母がヒステリーを起こすかもしれないと思ったので、わざと母には電話しなかった。

私たち4人は、電話をかけるためのタイミングを合わせ、それぞれ相手に聞こえる最小限の声でささやいた。「私たちは茂みに隠れている。どうか警察に電話して私たちを助けてくれるよう頼んでほしい」と。電話の向こう側にいた人たちが、この言葉をどんな思いで聞いていたのかは想像もつかない。シャニは彼女のパートナーと話し、彼は彼女の指揮官やその他いろいろな人に連絡してくれた。
私も「救助のために警察を呼んでください」というテキストメッセージを送ろうと試みたが、なぜか送信できなかった。受信はできても送信することはできなかった。

私はイスラエル南部で行われた別のパーティの(whatsapp)グループに入っていた。そこで人々はMOVA音楽祭について話し、「テロリストが無差別に銃を乱射している」とか「死傷者が出ている」などとメッセージを送り合っていた。私が実際にいるこの場所で起きていることなのに、私は現実だと思えなかった。一体何が起こっているの?投稿されるメッセージはどれも正気の沙汰とは思えなかった。それでも人々は励まし合い、「何が起ころうとも、今日が終わるころにきっと家に帰れる!」と信じていた。

銃撃とロケットは止むことなく、ただ時間が過ぎていった。次第に私は、経験している事態を理解できなくなっていった。この経験を人々に伝えるため、私はこの状況を生き延びることができるのだろうかと自問したが、腑に落ちなかった。それでもその場から逃れることはできず、爆発音が聞こえるたびに手で頭を覆った。「今にも銃弾が当たるかもしれないしロケットが落ちてくるかもしれない。頭を覆ったところで関係ないわ」それでも、少なくとも頭を守れば脳が傷つくことはないじゃないかと自分に言い聞かせた。

爆発音を聞くたびに、また別の爆発音が鳴り響き、頭上には何百、何千という銃弾や銃声、ロケット弾が飛び交っていることが信じられなかった。手榴弾の爆発音もあったかもしれない。私たちはさまざまな爆音を聞いたので、その区別はつかなかった。聞こえているブーンという音は、(ロケット弾の)迎撃音なのか、それとも命中音なのか。もし命中した音なら、ロケット弾は私に命中していたかもしれないし、次こそここに落ちてくる可能性がある。一瞬一瞬が最後の瞬間になり得た。

さらに2時間後、ロケット弾や銃声はまだ続いたが、小休止もあった。そのたびに私は「終わったんだ!鳴り止んだ!」と思ったが、そうではなかった。小休止が終わると、テロリストたちの叫び声が聞こえ始めたのだ。最初はヘブライ語かアラビア語か判断がつかなかったが、残念ながらアラビア語だった。一連の経験の中で最も恐ろしい瞬間だった。

屋根裏部屋のアンネ・フランクに恥じないほどの静寂に包まれた。誰も息をせず、私たちは沈黙した。私たちは、彼らが近づいてこないことを祈った。声はかなり近くに聞こえたが、私たちは地面の下にいたので、外で何が起こっているのか一切わからなかった。突然、焦げた臭いがした。私は恐怖に包まれたが、不思議と木の茂みにいる間は比較的冷静でいられた。私をよく知る人なら、私がどれほど傷つきやすい性格かを知っているだろう。しかし、恐ろしい考えが頭の中をぐるぐる回っていたにもかかわらず、私は全く泣かなかった。ふと思いつき、私はヨアヴに尋ねた。「私たち助かるかしら?」彼は「絶対助かるさ」と答えた。「根拠は?」「そんな気がするってだけ」

テロリストの気配は私を震撼させたが、この恐怖を友人たちには共有しなかった。その代わり、心の中で懸命に死ぬ覚悟を固め始めた。
いくらでも楽観的になれたし、今が死ぬ時じゃないと自分に言い聞かせることもできた。自分にはたくさんの計画や愛する人たち、叶えたい夢があるんだと。誰も私に死んでくれとは言わないだろう。それなのに、私は悲劇を覚悟した。救われないことを覚悟していた。
だって、もう2時間も3時間も経っているのに、あるいはもっと経っているのに、誰も助けに来てくれない。今まで来なかったのだから、いつ来てくれるかなどわからない。このまま助けは来ないかもしれない。
日暮れまでそこにいることを想像した。暗くなったらどう対処すれば良いのだろう。負傷し、完全な静寂の中でそれに対処しようとする自分の姿を想像した。私たちの誰か(正直に言えば私)が、撃たれ、全員が私の名前を叫ぶ姿を想像した。打ちひしがれている母を想像した。家族はどうやって私たちを見つけるのだろう。そして私が人生最後に目にするのは、覆面のテロリストが武器を向けてくる姿なのだろうと想像した。負傷したらどうしよう。それが指でさえも恐ろしい。そんなことになったら、どう対処すればいいのだろう。リドールに電話して別れを告げようと思ったが、やめた。

「イスラエルを愛しているが、このままではこの国で生きていけない」そんな思いがふとよぎった。こんな人生はとても無理だ。私がしたことといえば、ただパーティーに行っただけなのに!
私たち4人は見つめあっていたが、ある時、みんな睡魔に襲われうとうとした。私たちは疲れ果て、目を閉じていた。半開きのまなざしで見つめ合うと、私たちは何も語らずとも全てを分かち合った。それぞれが今何を考え、何を感じているのか推し量ろうとしたが、訊ねる勇気はなかった。私は、この木があることがどれだけ幸運なことかを言いたかったが、突然この木が私たちの死の原因になるかもしれなかったので、ここを出るまではそのことを口に出して言えなかった。

「怖い」と言ったシャイに、私は何も言えなかった。そんなことは生まれて初めてだった。私はいつも何か言いたいことがあるし、人を元気づける方法も持っている。しかしその時はただ「私も」としか言えなかった。
そして私はシャニにブレスレットを見せた。ブレスレットには 「全ては起こるべくして起こる」と書かれていた。彼女は泣き出し、「彼(神)があなたを守ってくれますように」と書かれたネックレスを私に見せた。この1年間、ブレスレットの言葉に何度も心揺さぶられてきた私は自問自答した。「私がここにいることは本当に意図的なことなのだろうか?」「この状況は意図的に私に起こっていたのだろうか?」「私がそこにいる目的は、それを乗り越えて強くなるためだろうか?それとも、私の物語を終わらせるためだろうか?」私たちは考えるのをやめ、ただ時が過ぎるのを待ち、冷静でいようとした。

何度かテロリストの声が聞こえたが、そのたびに音は小さくなって消えていった。彼らの声が聞こえるたびに、私はただその声を止めてほしかった。彼らの声が聞こえた後、銃声の連打が聞こえてきた。警察か軍隊との銃撃戦なのか、それとも私たちのように隠れている人たちを撃っているのか、わからなかった。

ユヴァルが「彼らはここから十分に離れていったから、もう心配する必要はない」と言った。でも私は自分に言い聞かせた。もし今、彼らがみんなを殺して回っているのなら、いずれ私たちのところにも来るだろうと。すべてが漠然としていた。
体を移動してヨアヴとユヴァルのそばに横たわりたかった。私の角度からはそこにはスペースがあるように見えたからだ。縮こまった体を少しでも伸ばしたかった。けれど動く勇気はなかった。苦痛を感じるたびに、私は「楽なことではないけれど、この状況を維持できればきっと勝てる。それ以上できることはない」と自分に言い聞かせた。

私たちが隠れている場所のすぐ近く、茂みの向こう側に他の人たちが隠れていることはわかっていたが、何人くらいいるのかはわからなかった。きっと彼らが隠れている場所は、私たちよりも露出しているだろうと想像し、バーンという爆発音がするたびに、できる限り頭を下に押し下げ、破片から身を守れるようにした。体の1センチでも傷つかないように、持てる力を全て尽くした。自分にできることは何でもしたし、「身を守るためにできる限りのことをするんだ」と自分に言い聞かせ続けた。それ以外にできることといえば、テロリストたちが私たちを見つけないように祈ることだけだった。

全てが終わる1時間ほど前、近くに隠れている人たちから合流しないかと連絡が来た。「いいですよ。けれどここには身動きできる場所がほとんどないので、素早く慎重に来てほしい」と返答した。
やってきた2人のうち女の子はビーチサンダルと短パンを履いていた。木のトゲにたくさん刺され、彼女の足は出血し始めた。彼女にとってそれはとてもつらいことで、私たちがみんな同じ状況に置かれていることも、本当に生きていたいならトゲを受け入れなければならないことも理解していなかった。彼女は痛みでうめき声をあげ、座る姿勢をとるのにかなり時間がかかった。彼女と一緒にきた男性は、茂みの中には座らなかった。もっと身を低くするようにと終始彼に囁き声で注意したことを覚えている。「どういうつもり?」と尋ねると、彼は「大丈夫さ」という顔で私を見つめ返してきた。責任感が強く臨機応変な私たちの努力が台無しにされるかもしれないと怖くなり、私たちはこの2人が私たちと同じ精神状態になれるようサポートした。

突然、シャニが泣き出した。私は「何が起きたの」と尋ねた。(喜びの涙を流す理由など一つもないという風に。)シャニは彼女のiPadを通して、ようやく手元のiPhoneの位置情報が検出できるようになったと言った。それは希望が垣間見えた瞬間だった。
すでにだいぶ静かになっていたが、まだ爆発は続いていた。銃撃戦は終わりに近づいていた。考えてみれば、その間、私たちは言葉を交わさず、アイコンタクトをとり、重要なことを話すときだけ小声で話したりしていた。誰かが泣き言を言うと、私たちはすぐに「シー」と言った。
すると突然、誰かがやってきて、私たちの仲間になったヤムの名前を呼んだ。彼はすぐさま立ち上がり、「ここだ!」と言った。私たちは罠ではないかと恐れ、「何をするんだ!」と彼に叫んだ。しかし、神様は最後まで私たちを守ってくださり、その天使を遣わしてくださったのだ。私の理解では、その天使はボランティアで、火の海になっているところにやってきて、私たちを助けてくださった。

その瞬間のことを私は決して忘れないだろう。私たちは大急ぎで彼のもとに駆け寄った。すると、そこに隠れているとは思いもしない木陰から15人ほどの人たちが突然現れ、小さなバンに次々と乗り込んだのだ。ボランティアの男性は運転を始めた。私は今起きたことが信じられなかった。想像すらできなかった瞬間が、現実に起こったのだ。

安全な場所に着くまで、母に電話する勇気はなかった。私たちは皆、ぎゅうぎゅう詰めになり、互いに重なり合って座り、泣いていた。何も言わなくても、彼らの目を見れば、私たちが経験したことを彼らも経験したのだとわかった。少年たちのズボンの多くは破れ、血濡れていた。数分も走ると、信じられない光景が目に飛び込んできた。私たちと同じように茂みに隠れている人たちが大勢いたのだ。「車を停めて!まだたくさんの人がいる!」と叫んだ。すると運転手はその場所を記録し、私たちを安全な場所まで送り届けて再びその場所へと引き返して行った。道中ずっと、アイアンドームの迎撃音と思われる爆音が聞こえていた。

救出されたなんて、信じられなかった。周りにいた人々が家族に連絡を取っているのに気づき、私は母を窮地から救うため、電話かけた。あんなに泣いたのは初めてだった。母のためにも、私にとっても、助かって本当に良かったと思った。「安全な場所に着いたらどんな奇跡が起きたのか話すわ」
不意に、私の近くに座っていた女の子が振り向くと、それはヤエルだった。私はとても驚いた。「マヤ、木の下でずっと一緒にいたなんて信じられない!」私たちは言葉を失った。ふたりともここにいて、ふたりとも生き延びたのだ。別々にいながらも、私たちは同じ経験したということに唖然とした。

助けられた私たちは、安全だと言われる開けた場所で車をおりた。私たちは親切なボランティアに迎えられ、水をもらった。数分後、車がやってきて、私たちをその地域の中心地まで送ってくれた。そこではまた別のボランティアの方々が迎えてくれた。彼らは私たちが救われたことを確認するために、私たち一人ひとりの名前をすぐさまメモしていた。シャニと私は、そこにあった広間に入った。私たちはマットレスの上で休み、コーラを飲み、バンバを食べた。
しばらくすると、優しそうな男性が広間に入ってきて、シャワーを浴びたい人はいないかと尋ねてきた。彼は、私とシャニともう一人の女の子を彼の家でシャワーまで連れて行ってくれた。

彼は、今まで私がしてもらったことのないようなもてなしをしてくれた。タオルを手渡してもらい、鏡を見ると私の髪はホコリだらけだった。私たちはシャワーを浴びて体をきれいにし、外に出た。彼は私たちにお皿いっぱいの食べ物を用意してくれた。私たちは席につきたくさん食べた。私は彼に心からの感謝を込めてハグをした。
彼の名前はベンジだ。マスルルの町のベンジ、もしこれがあなたに届いたなら、私はあなたの親切を決して忘れません。
私たちはお茶を飲み、私はバナナを食べ、みんなが集まっている場所へと戻った。

私はヤエルと少し座り、何が起こったのか話し合おうとした。けれど私たちは何を話せばいいのかわからなかったし、あの場所で誰かと視線を交わすたびに、すべてが明らかになった。何も話す必要はなかった。ダンスフロアで誰かを見たとき、その人の精神状態を理解し、何も言う必要がないと感じるのと同じだった。

バスが到着し、私たち全員をベエル・シェバに連れて行ってくれた。バスが走り出した途端にレッドアラートのサイレンが鳴ったので、みんなバスから降りてホールのシェルターに駆け込んだ。向かう道中でサイレンが鳴ったらどうしようと悩んだが、とにかく出発し最善を祈ることにした。神は再び私たちを救ってくださり、無事にベエル・シェバへと連れてきてくださった。
そこからシャニのボーイフレンドがユヴァルの家に連れて行ってくれた。そこにいた女の子のひとりが、私にもう一度シャワーを浴びさせてくれて、服をくれた。「本当に大変な一日だったでしょう」彼女はそう慰め言っててくれた。私は自分が生きてそこにいることさえまだ信じられなかった。シャワーを浴びて、またリフレッシュすることができた。清潔な服を着るのはとても気持ちよかった。

その日の終わりに、私はハデラの父の家に着いた。今日まで、すでに4人の知り合いが殺されたことを聞いた。さらに2人の女性がまだ行方不明で、彼女たちが無事に戻ってくることを祈っている。一人一人素晴らしい魂の持ち主だ。

死は私の目の前まで迫り、そして去っていった。しかし死は、私の親しい人たちを連れ去ってしまった。私たちは皆、知り合い同士だ。
私は自分自身のため、そして愛する人々のため、私たち全員のために、これまで1週間以上も私たちがどのように持ちこたえたかを振り返りたい。リーダー不在のこの混沌の中においても、私たちの優しさ、与えようとする意志、助けようとする意志によって持ち堪えてきたのだ。

ありがとう、イスラエルの人々。そして私の命を救ってくれたボランティアの皆さんに感謝します。
どうかイスラエルで今起きているすべての良いことを終わらせないでください。この連帯を終わらせないでください。そのことに集中してください。みんな、ここイスラエルで平和な生活を送りたいだけなのだ。ここから成長しよう。私たちは無意味にここにいるのではない。愛を広げよう。願わくば、私たちみんながすぐに幸せで満たされることを。

マヤ・E


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