短歌を詠むきっかけになったこと

 今年中に出そうと思ってた短歌集、『おくたんか』(仮)の一部試し読みみたいな感じで書きました。短歌を詠むきっかけになった話です。しばしお付き合いください。

 Mastodonで短歌を投稿して、3か月ぐらい経ったある日。とあるフォロワーさんから素敵な一言をもらいました。

「おくたさんは短歌を毎日作れるの偉業」
「おくたさんは自然に短歌の神様がついているのね、きっと」

 その言葉をもらって嬉しくなったので、「どうして私はこんなに短歌を作ることが好きなんだろう」「どうしてこんなにも短歌をたくさん作ることができるんだろう」と思い出すことにしました。すると、『いいことが一つもなかった』と思っていた中学時代の、唯一と言っていいほど素敵な思い出を見つけることが出来ました。よければ、しばしお付き合いください。
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 私についているのは、ついてるのは短歌の神様というか、魔法使いかもしれない。その魔法使いは中学の国語の先生だ。

 もともと小学生のころから小説や詩を書くことが大好きだったが、人に見せてはバカにされることが多かったのでだんだん見せる相手を制限していった。(親にすら見せていなかった。後でわかったのだが、母は村上春樹しか読まないタイプの偏屈な人間だった笑)

 そんな中学生のとき。授業で短歌を習う機会があった。当時、なるべくレベルの高い高校に行きたいと思っていた私は「内申点」のためにノートに沢山短歌を作って提出した。

 そしたら、担当の国語の先生から「おくたさんの短歌は素敵ですね」とコメントをもらった。

 褒めてもらえると人間はやる気が出る。じゃぱねっとでもがんばったことに「えらい!」という文化がある。私はその文化が大好きだ。

 話を戻して。とにかく、先生のおかげで短歌を作るのが楽しくなって、すっかりハマった。私は時々、その国語の先生に見せに行っていた。毎回しっかり読んでくれて、毎回感想をくれた上に褒めてくれた。学校の先生は忙しくて本当に大変な仕事なのに。

 あと、その先生は札幌市の中学生がつくった文学作品を集める文芸雑誌の編集者をしていた。おくたは中1のころからその雑誌に載るのが夢だった。小説で出していたが、なかなか採用されなかった。

 そんな中3のある日。国語の授業で短歌か俳句の解釈文を作ることになった。どんな短歌だったか覚えていない。でも、素敵な短歌だったから自分の中に膨らんだイメージを自分なりに言葉にしてみた。

 そしたら、国語の先生から「おくたさんの文が素晴らしいので採用されました」と言われた。言われたときは全然信じられなかったのだが、実際に形になった雑誌を見た時、本当にうれしかった。色んな人に自慢したのを思い出した。心無い一言を言う人もいたが、そんなのはどうでもよかった。

 当時の国語の先生がかけてくれた「素敵」という魔法のおかげで私は短歌を作る力・楽しむ力が身についた気がする。だから、本当に先生には感謝しかない。今も生きてらっしゃってたら、70歳弱だと思うのだが、お元気だろうか。

 あと、高校生の時は携帯小説サイトでも短歌毎日投稿していた。好きな人がいて毎日その人に対する思いを綴っていた。(今と変わらない…)高校生のときに作成した短歌はネットの海のどこかにあると思う。いつか発掘できるといいな。

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 このほかに短歌を詠むことになったきっかけがもう一つあり、小説を再開しようと思ったきっかけがもう一つあります。それはいずれどこかで語れればと思います。

 2023年もありがとうございました。来年もよろしくお願いします。

御剣八(みつるぎおくた)

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